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番外・石見銀山:豊榮神社

2021年12月22日 08時48分44秒 | 何処へ行っても
島根県大田市大森町に鎮座している「豊栄(とよさか)神社」です。

設置の説明板によると
『毛利元就が祭神の毛利家ゆかりの社です。
永禄5(1562)年石見銀山を領有した元就は、自分の木像を造り山吹城に安置させたが、元就の孫・輝元が洞春山長安寺を建立し、木像を移しました。
関ヶ原の役後、石見銀山を徳川氏が支配する中で長安寺が荒廃したため、元禄4(1691)年毛利家は木像を萩の本藩へ引上げました。・・・・』とあります。

本殿の隅棟の鬼瓦に毛利の紋:一文字三星をみました。

鳥衾にも紋が入っています


羅漢寺に行ったところで、レンタル自転車がある事を自転車を利用していた若い夫婦に教えてもらいましたので、早速教えてもらったレンタル屋さんへ行きわたしは電動自転車を借りました。
龍源寺間歩へ行く途中出合った神社で、説明板がありみると毛利元就が祭神だとあったので、お参りしたのです。

(裕編集の)豊榮神社

12月22日(安芸区のわが家付近)天候:曇り


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2 コメント

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Unknown (ガーベラ)
2021-12-22 19:27:32
こんばんは 裕さん。

戦国時代栄華を誇った毛利元就
豊栄神社にお参りする人も余りおられないのですかね。
ちょっと侘しさを感じます。
萩に自身の木像を移したからなのでしょうが。
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歴史を紐解き私見をくわえれば ()
2021-12-22 20:31:36
こんばんは。ガーベラさん。

尼子氏を破り中国地方の覇者となってここ石見銀山をも手に入れた毛利元就でしたが、
元就の孫・輝元が関ヶ原の西軍で徳川家康に敗れ手放さざるえなかった。
時は300年を経て明治維新前、徳川幕府が長州を2度にわたり征伐しようとしたが失敗。
徳川を破った長州軍がこの地に進軍して、毛利元就に繋がるお寺を見つけ歓喜したそうです。
しかし、明治維新での廃仏毀釈で神社になったそうです。
戦前昭和18年の水害で被害を受けたが戦時中で復旧できなかったのでしょう。
戦後は国家の庇護を受けることができないので、見るからに荒れた境内でした。
それを整備する信仰心というものは少子化が進む日本、現代では信仰心は薄くなるばかりで?このままお寺は朽ちていくのでしょう。
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