2005年10月14日撮影
永井隆博士の住まいだった「如己堂」
きょう、朝ドラ・エールを見ていて涙があふれ、2005年長崎を妻と一緒に訪ねたときを思い出しています(ので)。
過去に編集した頁を掲載した記事にしました。
わたしは、2005年になってはじめて永井博士の『長崎の鐘』を読み如己堂に行ってみようと思ったのです。
(裕編集の)
如己堂
永井隆博士著「長崎の鐘」の書名になった鐘が奇跡的に無傷で見つかったこの浦上天主堂も是非訪ねてみたい教会でした。

1981年ローマ法王の訪問を機に外壁をレンガタイルで改装
(裕編集の)
浦上天主堂
10月23日(安芸区のわが家付近)天候:(雨上がりの)くもり
学生時代に如己堂へ行ったら、思っていたよりもずっと小さく感じて、ここでどうやって療養をしたのだろうかと、驚きの連続でした。
脚色されていて、永井隆博士の名前も変わっているし、その点では作曲家古山裕一のドラマなんだな、と感じました。
「長崎の鐘」を通じて、主人公も長崎も日本そのものも復興・復活に向かっていくのだろうという気持ちになりました。
永井博士が住まれていた如己堂がドラマでは描かれていない。
そして、永井博士が主人公のドラマではないので描き切れていないと思いましたが、
読んで感動した『長崎の鐘』が出てくる処でしたので、重ね合わせて涙が止まりませんでした。
長崎には2度行ったことがありますが、
如己堂のことは知りませんでした。
裕さん編集の如己堂を拝見し、永井博士が
こんなに小さな家に住んでいたのかと知り
愕然としました。
「長崎の鐘」の歌は大好きで、歌っていると
涙が出てきます。本も読んでみたいと思います。
ドラマですので、
長崎の鐘の曲ができていった過程の全貌ではないのでしょうが、
古関裕而さんの苦悩の一端がわかる筋立てのように思いました。
BS・NHKの英雄の選択という番組で取り上げていた時の印象と少しばかり違っていたので、涙があふれたのかもしれません。
希望とドラマで云っていましたが、
コロナ禍の現在暗い話だけではやっていけませんが。
「長崎の鐘」ちゃんと聞いたことが無く、今朝は聞けたのがよかった、しみじみと聞いてしまいました。良い曲だなって
そして永井博士さん、どんな人なのと思うようになりました。
長崎の如巳堂も行ってみたいです
ありがとうございます
“長崎の鐘”の歌は懐かしさもありますが、
お若いお天気ママさんにはなじみがないのも仕方ないことでしょうが、
聴かれて良かったと思われたのは、よかったです。
きょう土曜先ほど、一週間分の集編を見ましたが、やはり涙しました。
広島にも永井博士に関する石碑も建立されています。
博士の詠まれた歌が刻まれています
「太田川の水は逆さに流るとも原子爆弾は用うべからず」
http://masuda901.web.fc2.com/page2bx118.htm
先日、古関裕而物語では藤山一郎さんが歌っておりましたがこの場面が一番好きです。
毎年、長崎の追悼式の様子をTVから頂いて記事にしております。
何年前ですか、永井博士のご子息様が参列して紹介されておりました。
いい歌はこれからも歌い続けられていくのでしょうね。
そうあっていただきたいものですね。
昨日、当地の新聞一面に核兵器禁止条約批准国49ヶ国と大きい見出しの記事がありましたが、
今日ニュースを聞いていたらホンジュラスが批准して50ヶ国に達し、『核兵器禁止条約発効へ』と報じていました。
これこそが多くの被爆者の願いであり、多くの市民が願う核兵器廃絶の一歩を歩むことになったと思いました。
被爆国の日本も批准をと願わずにはおられません。