
広島市中区中島町の平和記念公園(旧中島地区部分)に造られた「被爆遺構展示館の園路」を取り上げました。
※旧中島地区にあった“天神町筋”にそって2024(令和6)年3月に整備開通しました。
広島市の説明では、
『平和記念公園には被爆前、多くの人々の日常の営みがありました。
1945(昭和20)年8月6日その日常が一発の原子爆弾により、一瞬にして失われてしまいました。原爆被害の凄惨さ、核兵器の非人道性を伝えるために、被爆の実相を直接見て肌で感じていただけるよう、原子爆弾による被害の痕跡が残る住居跡やアスファルト舗装された道路跡などを「被爆遺構展示館」で露出展示しています。
この度、平和記念公園全体の回遊性に資するため、被爆前にあった天神町筋と同じ幅員の園路を整備し、完成しましたのでお知らせいたします。』

広島市平和推進課の公開資料を使用しています
ここの処、平和記念公園の総合的全体的な思考が欠如し、
環境影響評価を考えず小さい施設などを造ることが多くなってきているのではとおもわずにはおられませんので、この園路も取り上げました。
(裕編集の)被爆遺構展示館の園路
※旧中島地区にあった“天神町筋”にそって2024(令和6)年3月に整備開通しました。
広島市の説明では、
『平和記念公園には被爆前、多くの人々の日常の営みがありました。
1945(昭和20)年8月6日その日常が一発の原子爆弾により、一瞬にして失われてしまいました。原爆被害の凄惨さ、核兵器の非人道性を伝えるために、被爆の実相を直接見て肌で感じていただけるよう、原子爆弾による被害の痕跡が残る住居跡やアスファルト舗装された道路跡などを「被爆遺構展示館」で露出展示しています。
この度、平和記念公園全体の回遊性に資するため、被爆前にあった天神町筋と同じ幅員の園路を整備し、完成しましたのでお知らせいたします。』

広島市平和推進課の公開資料を使用しています
ここの処、平和記念公園の総合的全体的な思考が欠如し、
環境影響評価を考えず小さい施設などを造ることが多くなってきているのではとおもわずにはおられませんので、この園路も取り上げました。
(裕編集の)被爆遺構展示館の園路
3月13日(安芸区のわが家付近)天候:くもり、14.7℃、58%
部外者から見ましても寂しく感じました。
長い間被爆遺構の歴史を見つめてこられた裕さんですから
人一倍感じることがお有りかと思います。
被爆以降の構造物によって被爆を受けた諸々を
痛めてしまうことは何の為の保存かと思えてしまいます。
発掘してきた被爆遺構を展示したらという発想は被爆者からの要望だったのでしょうが、
現在造られた被爆遺構展示館は、担当者レベルで決済できる?範囲からでしょう
14万人にもの方々が亡くなった原爆の惨禍を示すのは余りにも小さすぎます。
この園路にしても、被爆以前の街並みを考えてみてくれと押し付けられても、当時を知らない者には考えられないと思います。
ここの処、平和記念公園に整備されるせせこましい施設などを公園の主設計者だった故・丹下先生がみられたら嘆かれるのではないかと(わたしは)思うので、記事にしています。