中区寺町の広電横川線通りに設置されている手押しポンプです。
(昨日紹介したNo.1の北側=電停から離れた位置にあります。)
No.1、No.2ともKOYOの手押しポンプですので、戦後設置された手押しポンプということがわかります。
・この場所の北側に天満川が、横方向(東西方向)に流れていることから横川と云われるようになり、川の北側あたりを横川の町と呼ぶようになったようです。
・紹介した手押しポンプがある町はお寺が沢山建立され(西側からの敵から広島城を守る役割をしていたそうで)寺町と呼ばれています。
・電停の別院と云うのは、浄土真宗本願寺派(安芸地区の)別院がある事から別院電停と名付けられたのでしょう。
(裕編集の)広電横川線通り(2)手押しポンプ
(昨日紹介したNo.1の北側=電停から離れた位置にあります。)
No.1、No.2ともKOYOの手押しポンプですので、戦後設置された手押しポンプということがわかります。
・この場所の北側に天満川が、横方向(東西方向)に流れていることから横川と云われるようになり、川の北側あたりを横川の町と呼ぶようになったようです。
・紹介した手押しポンプがある町はお寺が沢山建立され(西側からの敵から広島城を守る役割をしていたそうで)寺町と呼ばれています。
・電停の別院と云うのは、浄土真宗本願寺派(安芸地区の)別院がある事から別院電停と名付けられたのでしょう。
(裕編集の)広電横川線通り(2)手押しポンプ
11月10日(安芸区のわが家付近)天候:くもり
16.7℃、55%
当市はほぼ埋め立てによって造られた市です。
山が海岸線近くまで来ていましたから土地が少なく
幹線道路や商業地は埋め立てて出来た所です。
なので街中に手押しポンプが無いのかと思われます。
海辺の地区では水不足から井戸を掘り水不足を補う為に手押しポンプがありましたが
海水が混じったりしていたようです。
上水道が引かれ手押しポンプを使用することも無くなりました。
田舎には手押しポンプは残っておりますが街中で見掛けることが無いのは埋め立てて出来た地域の特性かと思ったのでした。
云われるように、埋立地に井戸(手押しポンプは)なかなかないでしょうね。
広島旧市街地は、デルタに発達しましたから多くが埋立地です。
広島城築城開始が1589年と云われていますので450年弱も経っていますが、手押しポンプ結構あるものです。
川が7本あったのでその近くであると云えばそうだったのかもしれませんが。
例えば宇品港近くの手押しポンプです。
http://yutaka901.fc2web.com/page5aqx08.html
そちらも3本の川があるようですので、井戸が残り手押しポンプも残っていないとは云えない??