イチゴのような芳香があることからストロベリー・グァバといわれているようですが・・
どう感じようとしてもイチゴの香りはしないと思うのです・・・
ことしは(一気にたくさんの数ではなく)せいぜい1個か2個なのですが
次から次に熟れるので口に放り込むのです。
これもイチゴ味ではないのですが結構甘くて美味いのです、
(小さな種がたくさんあるのですが一緒に食べています)
わが家の ストロベリーグァバ
どう感じようとしてもイチゴの香りはしないと思うのです・・・
ことしは(一気にたくさんの数ではなく)せいぜい1個か2個なのですが
次から次に熟れるので口に放り込むのです。
これもイチゴ味ではないのですが結構甘くて美味いのです、
(小さな種がたくさんあるのですが一緒に食べています)
わが家の ストロベリーグァバ
広島に建立の平和祈念碑を先に知っていましたので、
長崎に行ったら長崎の碑も見てみたいと思っていたのです・・・
何処に建立されているのかは調べきっていませんでしたので、
資料館から原爆公園に行く途中に建立されているのをみてここだったのだと思ったのです。
広島の碑には『平和祈念碑』と碑銘が刻み込まれていますがこちら長崎のは碑銘はありませんでした・・・・
裕編集の『PEOPLE AT PEACE』碑
長崎に行ったら長崎の碑も見てみたいと思っていたのです・・・
何処に建立されているのかは調べきっていませんでしたので、
資料館から原爆公園に行く途中に建立されているのをみてここだったのだと思ったのです。
広島の碑には『平和祈念碑』と碑銘が刻み込まれていますがこちら長崎のは碑銘はありませんでした・・・・
裕編集の『PEOPLE AT PEACE』碑
広島には「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」があり街角に碑が設置されてきていますが・・・
この像になった話は、被爆者である松添博氏が描かれた、悲しき別れ-荼毘(だび)がもとになって建立されたものだそうです。
裕編集の『未来を生きる子ら』像
この像になった話は、被爆者である松添博氏が描かれた、悲しき別れ-荼毘(だび)がもとになって建立されたものだそうです。
裕編集の『未来を生きる子ら』像
長崎原爆資料館、
『知る』ことの意義と「知らない」でいることを考えるているですが・・・
被災した品々がわたしに語りかけていることを必死に感じ取ろうとしたのですが・・・
小さな語りかけは、感性を磨いていなくては聞き取れないのかもと・・・
内部の写真はありませんが裕編集の長崎原爆資料館、その周辺
(祈念碑、慰霊碑関連はこれから編集ですが)
『知る』ことの意義と「知らない」でいることを考えるているですが・・・
被災した品々がわたしに語りかけていることを必死に感じ取ろうとしたのですが・・・
小さな語りかけは、感性を磨いていなくては聞き取れないのかもと・・・
内部の写真はありませんが裕編集の長崎原爆資料館、その周辺
(祈念碑、慰霊碑関連はこれから編集ですが)
クスノキは長生き・・・
長崎・山王神社で見た被爆クスノキは樹齢500年とも云われているようです、
この広島市営住宅南西側駐車場横のクスノキは大きさからまだまだ若者、
永く被爆の惨禍を思い出させる存在となっていくのでしょうか・・・
(市営住宅南西側駐車場)クスノキ
長崎・山王神社で見た被爆クスノキは樹齢500年とも云われているようです、
この広島市営住宅南西側駐車場横のクスノキは大きさからまだまだ若者、
永く被爆の惨禍を思い出させる存在となっていくのでしょうか・・・
(市営住宅南西側駐車場)クスノキ
こちらは広島の被爆樹木クスノキです。爆心地より≒1120m
被爆樹木の資料をみたのでこれが被爆樹木のクスノキかとわかりましたが・・・
被爆60年のことし、平和記念公園内のクスノキも大きくなっており、
大きなクスノキをみてもそれが被爆樹木とわからないほどになっているように思うのです・・・
60年の時の流れを思わずにはおられませんが、
決して風化させてはならぬ被爆の惨禍をと・・・
裕編集の(広島の)裁判所アパート南側被爆樹木・クスノキ
被爆樹木の資料をみたのでこれが被爆樹木のクスノキかとわかりましたが・・・
被爆60年のことし、平和記念公園内のクスノキも大きくなっており、
大きなクスノキをみてもそれが被爆樹木とわからないほどになっているように思うのです・・・
60年の時の流れを思わずにはおられませんが、
決して風化させてはならぬ被爆の惨禍をと・・・
裕編集の(広島の)裁判所アパート南側被爆樹木・クスノキ
爆心地から南東≒800mのこの山王神社のこの2本の大クスも爆風により幹には大きな亀裂を生じ、枝葉が吹き飛ばされ丸裸となり熱線により木肌を焼かれ一時は枯死寸前を思わせたそうです(当時のクスノキを米軍が撮影した写真が説明板にありました)
その後樹勢を盛りかえし画像のようによく茂っていて大きなクスノキだな~と思いました。現在は長崎市の天然記念物に指定されています。
山王神社前の道路傍に『坂本町民原子爆弾殉難之碑』が建立されていました。
裕編集の山王神社
その後樹勢を盛りかえし画像のようによく茂っていて大きなクスノキだな~と思いました。現在は長崎市の天然記念物に指定されています。
山王神社前の道路傍に『坂本町民原子爆弾殉難之碑』が建立されていました。
裕編集の山王神社
1924(大正13)年10月に山王神社二の鳥居として建てられたものだそうです。
1945(昭和20)年8月9日午前11時2分、米軍投下の原子爆弾の炸裂により一方の柱をもぎ取られてしまい、現在に至っています。
破壊された鳥居の部分のことなど考えていませんでしたが、
思慮深い人なら石造物残っているとは想像に難くないのでしょうが
わたしはいうことを考えていませんので近くに整理保存してあるその部分をみいって撮影を忘れるところでした・・・・
裕編集の片足鳥居
1945(昭和20)年8月9日午前11時2分、米軍投下の原子爆弾の炸裂により一方の柱をもぎ取られてしまい、現在に至っています。
破壊された鳥居の部分のことなど考えていませんでしたが、
思慮深い人なら石造物残っているとは想像に難くないのでしょうが
わたしはいうことを考えていませんので近くに整理保存してあるその部分をみいって撮影を忘れるところでした・・・・
裕編集の片足鳥居
広島ぶらリ散歩で舟越保武氏の野外彫刻をみて
どういう人物か調べて「長崎二十六聖人殉教者記念像」の作者だと知っていましたが実物を拝見したのは今回がはじめてでした。
長崎駅を撮影してから訪ねたのでした・・・・
裕編集の日本二十六聖人殉教地
どういう人物か調べて「長崎二十六聖人殉教者記念像」の作者だと知っていましたが実物を拝見したのは今回がはじめてでした。
長崎駅を撮影してから訪ねたのでした・・・・
裕編集の日本二十六聖人殉教地