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東区:楳明奥先生碑

2024年06月26日 09時25分41秒 | 各種記念碑等
-画像が現れない記事になっていたら、編集頁を見てやってください-

広島市東区二葉の里の大神社参道根際に再建建立されている「楳明奥先生碑」です。
※広島藩士で姓は奥、名は弥兵衛猛雅、号を楳明と称し、砲術家として藩士の指導に当たっていましたが、享和2(1802)年に亡くなり、七回忌に当たる文化5(1808)年に門弟たちによって、その功績を称えるために建立されたものです。
題額は当時広島藩随一の儒学者頼春水(1746-1816)の揮毫で、
撰文と書は頼杏坪(1756-1834)によるものです。


大神社参道 「楳明奥先生碑」広島東照宮参道石段

2022年11月中國新聞の記事で、2022年11月19日現地で住民有志による楳明奥先生碑復元委員会〔山本一隆委員長(78)〕によって除幕式が催された事を知りました。

(裕編集の)楳明奥先生碑

6月26日雷記念日〔菅原道真(845-903)に由来あり〕
(安芸区のわが家付近)くもり。25.0℃、82%


--------12:35追記

台所出窓の処にて

父の日のプレゼントでお嫁さんにもらった花束、仏壇前に置いていましたが、
その中のひまわり、茎がふにゃっとなりましたので、もう終わりだなと思いましたが、
花部分だけを台所に飾りました。
料理をするわけではありませんが、朝昼晩と癒してくれるだろうと。


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2 コメント

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文化5年に門弟たちによって (地理佐渡..)
2024-06-27 07:02:25
おはようございます。

すごいです。この当時のことですから相当の
思いを持ってのことだと思います。一方で、
恩師への思いというのが強くて、この時代の
人たちの情熱なども感じてます。
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原爆にも石碑は耐えて・・・ ()
2024-06-27 17:43:03
こんばんは、地理佐渡管理人さん。

江戸末期、頼山陽の父さんが揮毫し、おじさんが撰文をしたためたその人物は砲術家。
明治維新が芽生えようとしていた時代背景
この辺りの日本史は学んではいませんが、
頼山陽から派生関連する頁を編集してきてわずかばかりわかるようになってきていますので、興味がわいてきますね。
返信する

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