♪♪あなた知ってる?~広島~

HP「広島ぶらり散歩」編集&更新の履歴ブログです。
広島市は“平和都市”のほか“水の都ひろしま”も推進しています。

番外:JR三江線廃線まであと105日

2017年12月16日 12時55分30秒 | 何処へ行っても
上画像は、石見川本駅で昨日撮影したものですので、きょうはあと105日に替えられているでしょうね。

昨日(12月15日)、JR三江線(さんこうせん)に乗って江津(ごうつ)まで行き、引き返してわが家に帰ってきました。
三次(みよし)駅10:02発~石見(いわみ)川本駅12:18着(終点)
(始発)石見川本駅13:45発~江津駅14:54着
いっぺんに江津駅まで行く事ができない運転形態になっています。

そこで昼食を川本町でとなるのです。
「川本町探索マップ」を観光協会青年部?が駅で手渡してくれましたので、

(駅から5分とかからない)“ふくむら食堂”で昼食

マップにあった“マジオム

マジカルオムレツの略:特大オムレツの中には、ウィンナー3本、唐揚げ3個おまけにハムまで!の宣伝文句とイラストの掲載がありましたので

105日後にはもうみっれなくなる江津駅での風景・三本の列車が止まっているところです。

三江線:三次行列車
山陰本線(下り):益田行・快速アクアライナー
山陰本線(上り):出雲行・普通


三江線の駅には正式駅名のほか神楽の演目にちなんだ駅名があるのです。
最初の画像:石見川本駅は「八幡」ステイションというぐあいにです。
昨日は必死になって(車内から)撮影したのですが未撮影全駅は撮影できませんでしたが、今後追加編集する予定ですが
(いま現在編集の)三江線・神楽街道三十五次

12月16日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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番外:(廃線決定)三江線のラッセル車

2017年12月15日 23時04分08秒 | 何処へ行っても
来年3月31日をもって廃線が決まっている三江線に今日乗ってきました。
いままで、(広島県の)伊賀和志駅、(広島県三次市に近いのですが島根県の)口和駅を撮影するのに一度。
二度目は、(島根県の)浜原駅、粕淵駅を撮影するのに乗りましたが。
三江線の終点江津(ごうつ)駅まで乗ったことがなかったので、きょう単に江津まで乗って引き返して先ほど帰ってきたところです。

口和駅にラッセル車が配置されていることは知っていましたが、前回は車庫の扉が閉まっていて撮影できなかったのです。
きょう、江津に行き掛け11:00に口和駅に着いたのですが、扉が閉まっておりラッセル車はみえないな~~と女房に話したのです。
女房はその格納庫の方をみて後ろ側の扉が開いておりラッセル車が見えるとわたしに教えてくれたのですが、既にデジカメの段取りはしていなかったので撮影できなかったのです。
帰り(三次に行く)時は口和駅発18:01(ですが実際は15分ほどすれ違いで待ち時間がありましたが)、既に陽が沈んでいるので撮影は無理だろうと思いながら
(2両連結)先頭列車のフロント窓でデジカメを構えていて撮影したのが上の画像です。

(女房にはラッセル車と云われなくてはわからない画像と云われましたが)
わたしは、はじめてみる実働の構えをしたラッセル車ですので、記事にすることにしました。

(以前裕編集の)JR口羽駅
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三次市:三次市吉舎支所

2017年12月15日 06時44分20秒 | 建物等
三次市吉舎町吉舎368にある「三次市(みよし し)吉舎支所(きさ ししょ)」です。
※2004年三次市と合併するまでは双三郡(ふたみ ぐん)吉舎町吉舎368にある吉舎町役場でした



勤め人時代仕事で吉舎町役場に来たことはありましたが、同僚運転の車だったこともあり、どういう経路だったか吉舎町役場庁舎がどういう建物であったかほとんど記憶が無くなっていました。
今回、資料で知っていた吉舎町原爆慰霊碑を訪ね頭を垂れることを主目的に訪ねたのです。
街灯が並んで建っている吉舎町町並みを通ったのですが支所の位置がわからず、日曜日で(みぞれの時もあった)寒い日で、人通りがなく役場の位置を尋ねる人を探すのに苦労しました。たまたまおられたご婦人に教わりやっとたどり着いたこの旧吉舎町役場でした。

(裕編集の)三次市吉舎支所

12月15日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

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三次市:JR吉舎駅

2017年12月14日 08時43分26秒 | JR駅舎
三次市吉舎町三玉にあるJR福塩線の「吉舎駅(きさ えき)」です。
※吉舎駅が開業した1933年当時は双三郡吉舎町の駅で、2004年3月31日までそうでしたが、
4月1日三次市と合併しましたので三次市吉舎町の駅になりました。


屋根がある跨線橋が設置されています。

駅舎内の時刻表を見ると12:49府中行き、13:51三次行きのほかは10時台から14時台間は運行がないのです。

(裕編集の)JR吉舎駅

12月14日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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番外:ハンス・ショール作「Storage of celestial mechanics」

2017年12月13日 08時37分57秒 | 何処へ行っても
宇部市大字沖宇部のときわ公園に展示されているハンス・ショール作野外彫刻の「Storage of celestial mechanics」です。


*まだまだ野外彫刻の展示はあるのに、
帰宅の爲の宇部線電車の時間が気になってきていましたので、帰ろうとしたときに見たのがこの作品でした。
(作品プレートは撮影しただけで)頁を編集するときに読みながらタイピングしていて最後に
『・・・中に入って、見上げてみよう!』とあることを知り、しまったな~と思いましたので、
貴方がこの作品をご覧になるときは中に入ることを忘れないようにと敢えて恥を忍び書きました。

(裕編集の)ハンス・ショール作「Storage of celestial mechanics」

12月13日(安芸区のわが家付近)天候:くもり
わが家の溜め水に(この冬初めて)薄い氷がはる


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【伊方原発3号機運転を差し止め決定】 14:00追記
昨(2016)年8月に再稼働した四国電力伊方原発3号機(愛媛県伊方町)の運転差し止めを広島市内などの住民4人が申し立てた仮処分の即時抗告審で、
広島高裁はきょう(13日)、申し立てを却下した。
広島地裁の決定を覆して3号機を差し止める決定をした。高裁が稼働中の原発を止めるのは全国で初めて。
3号機は現在、定期点検中で運転を停止し、四電は2018年1月22日の運転再開を予定しているが、決定は、2018年9月30日まで運転してはならないとした。
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番外:中出武彦作「夜行バス」

2017年12月12日 08時07分39秒 | 何処へ行っても
宇部市大字沖宇部のときわ公園に展示されている中出武彦作野外彫刻の「夜行バス」です。

*作品名「夜行バス」でしたが、英語表記Midnight expressをみた時、この作者とわたしの年代の違いを感じました。
それは、わたしの年代では、夜行バスと云うよりも夜行列車が先に出てくるからです。



作品コンセプト板がありましたが、わたしはその下の子どもたちへのメッセージが心に刺さりました。
2000年頃からHPを編集していますが、「大変そうだなぁ!」という頁よりも「楽しそうだなぁ!」という頁を編集したいとの思いはあるのですが、大変さから逃げない頁を心掛けていかなくてはとも思いながらHP広島ぶらり散歩を編集しているからなのですが。

(裕編集)中出武彦作「夜行バス」

12月12日(安芸区のわが家付近)天候:くもり
(積雪あり)画像を↓頁でUP

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安芸区:わが家付近少し積雪

2017年12月12日 08時07分22秒 | カテゴリー以外
安芸区中野東わが家付近の家々の屋根に積雪あり、道路面には積雪はありません。


わが家の温室の上にも薄く積雪あり


(みても面白くもないわが家からの過去の)雪景色
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番外:向井良吉作「蟻の城」

2017年12月11日 08時49分21秒 | 何処へ行っても
宇部市大字沖宇部のときわ公園に展示されている向井良吉作野外彫刻の「蟻の城」です。

※設置の説明板にこうあります。
『この作品は、「宇部をテーマとした彫刻」として1962(昭和37)年に現地で制作されたものです。
二本脚で大地に立ち、空に大きく羽を広げる「蟻の城」の姿は、
石炭産業により村から市へ急速に発展し、また戦後復興の中で起こった公害から立ち直ろうとする、たくましい宇部を象徴しているかのようです。
制作から半世紀以上を経た現在も、宇部のシンボルとして市民に広く親しまれています。』


わたしが常盤公園の彫刻を観に行こうと計画した時にもこの作品だけは見逃せない作品と思っていました。

(裕編集の)向井良吉作「蟻の城」

12月11日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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番外:能登原弘芳作「ネジリンボウ'81-A-B」

2017年12月10日 09時59分21秒 | 何処へ行っても
宇部市大字沖宇部のときわ公園に展示されている能登原弘芳作野外彫刻の「ネジリンボウ'81-A-B」です。

*ねじりに曲がりまで加えた石素材の作品でした。
このねじりは三角にしたスポンジの様な素材を三角に加工して形を確認してから石造作品として制作にかかったのであろうとわたしは思いましたが、
余計なことを考えながらこの作品をみました。


素材は白花崗岩とか
(≒含まれる暗色鉱物の量が5%以下の花崗岩)


(裕編集の)能登原弘芳作「ネジリンボウ'81-A-B」

12月10日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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番外:わが家の棕櫚竹に冬養生

2017年12月09日 09時33分43秒 | いまだ初心園芸


棕櫚竹(シュロチク)は一般的に寒さに強いと云われていますが、
(昨年の冬も簡易温室を造らなかったので、ビニールシートを巻き付けて冬養生を施しました。)
ことしは、根詰まりからでしょう葉先の枯れが目立ちましたので来春は植え替えなくてはならないな~と思いながら
昨年同様にビニールシートを巻き付けて冬養生をしました。

(わが家の過去の)シュロチク

12月9日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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番外:田中米吉作「無題No.95 1985」

2017年12月08日 08時19分43秒 | 何処へ行っても
宇部市大字沖宇部のときわ公園に展示されている田中米吉作野外彫刻の「無題No.95 1985」です。

*頭でっかちな作品だなと一目見て(わたしは)思いました。
緑色に塗装されていたなら周りの木々が揺れる状況と同調して揺れるイメージかなと思いましたが、茶色ですので、生き生きと生きる周りの木々の中で、(無機物の作品ですので)立ち枯れした木をイメージしたものかなと思ったりしたのですが。


この作品は近寄り中を見上げてみました。
(風に揺れる仕組みがなされているようでした)


(裕編集の)田中米吉作「無題No.95 1985」

12月8日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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竹原市:(光海神社建立)大正天皇御大典記念・碑

2017年12月07日 09時09分02秒 | 各種記念碑等
竹原市吉名町宮条に鎮座している光海神社前に建立されている「(大正天皇)御大典記念・碑」です。

*大正天皇の御大典記念碑か昭和天皇の御大典記念碑かどちらだろうかと思ったのですが、
寄付金が金20円が最高寄付金額で、その寄附者が池田信太郎(ここ広場に建立の池田昌造翁彰徳碑の昌造の父が信太郎と云うことで)とありましたので大正天皇の御大典記念・碑だろうと考え頁を編集しました。


(文字が刻まれているように思いますがわたしには読めませんでした)

今上天皇の退位時期がきまり、平成が終わり、次の元号はなんになるのでしょうかね~~。
頭文字が、M、T、S、Hではないことだけは云えるのでしょうが。

(裕編集の)大正天皇御大典記念・碑

12月7日(安芸区のわが家付近)天候:はれ
→くもり

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竹原市:(竹原地方煙草耕作組合)煙草碑

2017年12月06日 08時44分30秒 | 各種記念碑等
竹原市吉名町宮条に鎮座の光海神社前広場に建立されている「(竹原地方煙草耕作組合)煙草碑」です。

※碑文全文を(わたしは)解読できませんでしたが
「竹原区域の煙草産地は、明治38年吉名村長・有原豊太郎、先覚者・中楚平四郎などの勧誘で耕作されてきました。
その五十周年記念として日本専売公社協賛のもと、元大蔵大臣・池田勇人題でこの碑を昭和29年4月竹原地方煙草耕作組合連合会が建立しました。」と刻まれているようでした。


碑裏面:各町村煙草耕作組合長
(町名の下にその名前が刻まれています)

碑裏面をみた時、(わたしは)はじめて接する村の名前があったのです。
昭和29年にあった村々の変遷を少しでも知ることは広島県民としての務めでもあるのかなと思いました(編集頁に書き出してみました)。

(裕編集の)(竹原地方)煙草碑

12月6日(安芸区のわが家付近)天候:はれ
ご近所の屋根が白くなっています

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竹原市:池田昌造翁彰徳碑

2017年12月05日 11時22分09秒 | 各種記念碑等
竹原市吉名町宮条に鎮座している光海神社前広場に建立されている「池田昌造翁彰徳碑」です。

※碑文を読めば、
「池田昌造翁は、父慎太郎氏の家業(酒造)を継ぎました。
昭和2年在郷軍人吉名村分会長となり、その後吉名村会議員、戦時下の村長に推挙されました。
戦後は吉名信用金庫の初代理事長として活躍されました。昭和41年この碑を建立しました。」


碑裏面に碑文が刻まれています。


(裕編集の)池田昌造翁彰徳碑

12月5日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

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番外:わが家の柚子で

2017年12月04日 08時43分58秒 | いまだ初心園芸
ことしもわが家のユズは、わが家なりに豊作ですので、柚子湯で楽しむことにしました。
収穫したユズを入れ湯をはっている湯船を撮影しました。


柚子のトゲが邪魔しましたが、
脚立をつかって高い処の柚子を収穫しました。


(わが家の過去の)ユズ

12月4日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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