座敷ネズミの吉祥寺だより

吉祥寺って、ラッキーでハッピーなお寺ってこと?
中瀬の吉祥寺のあれこれをおしゃべり。

花まつりで展示したもの(1)

2022-04-10 | 古いもの

今回の寺宝展示で公開したものを 記録しておきます。

 

 

正面の花御堂の後ろには 

「ふれ愛観音」の作者である西村公朝師の手になる

釈迦如来の絵を。

 

 

          

花まつりは、何と言っても、

お釈迦さまのお誕生日ですからね!

 

 

 

 

花御堂は もうしばらく本堂に置きますので

甘茶かけをなさりたい方、どうぞお申し出下さい。

 

ただし、正面から別の場所になり、

掛け軸はもう片付けました。

 

 

 

 

 

お焼香をして 誕生仏に甘茶をかけて

そのまま左(西)に進むと 

先々代住職、三崎良泉大僧正の胸像があります。

 

 

        

 

先々代の喜寿のお祝いの時の像だそうです。

 

そこに掛けられた書が「円通自在(えんつうじざい)」。

 

意味は。。。、

 

こだわりのない心、とでも申しましょうか。。。

 

 

 

 

 

そこで左側、つまり南側を見上げると

良泉師の「千字文」の額が掛けられています。

 

千の文字が 一度も同じ文字を使う事なく書き連ねられていて、

しかもちゃんと意味があるみたいです。

 

書道の手本として使われる千字文ですが、 

良泉師の千字文としては 

この掛け軸の他に もっと大きな文字で書かれた

折り本があります。

 

     

 

良泉大僧正らしい端正な文字で 

大きな額が埋め尽くされています。

 

最後の行には

「維時大正丙寅歳末納筆 天台後學沙門天洞書於長勢山房」

とあります。

 

大正年間の丙寅の歳は大正15年(1924)で、

その年の歳末は 大正天皇崩御の頃です。

 

良泉さんは 明治25年(1892)の生まれですから、

32歳の時の書、という事になります。

 

すごい32歳、

26歳で中瀬の吉祥寺に赴任してきて

6年ほど経った頃でした。

 

 

「天洞」というのは 良泉さんの雅号で、

先に「春洞」という書家がいらっしゃって、

良泉さんの師匠が毘沙門堂門跡の杉谷義良師、

義良さんは 書家としては「雲洞」と名乗った方でした。

 

天洞 = 良泉 です。

 

          

 

コロナ前、お正月にお屠蘇を差し上げた時に使っていた猪口の一部に

「天洞」猪口がありました。

 

この額は しばらく掛けておきますので

これからもご覧いただけます。

 

 

 

残りはまた次回!

 

 

 



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