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今回整備する鐘楼と山門は
元は 観音寺というお寺のものだったのだそうです。
その観音寺が 後に吉祥寺に合併されてましたので
建物も吉祥寺に引越しをしてきた、というわけです。
ただし 観音寺の本堂は K市K地区のR寺さまに移築され、
本尊の観音像は 吉祥寺の薬師堂におまつりされました。
そして 南門の棟札の裏には 山門を移築した時の事が書かれていました。
観音寺 正門ヲ 合寺ニ付 吉祥寺正門 移ス
棟札 大工 石原市太郎
同 兵三郎
同 信太郎
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合寺世話人
衆議員 齋藤 安雄
村 長 河田 文衛
建築委員
石川 暢次郎
川田 高三郎
石川 政四郎
大正二年
四月廿七日
住職
権大僧都 能円(?) 覚宥
大正2年は1913年、今から95年前ですね。
第一次世界大戦中です。
前年には夏目漱石の『こころ』、阿部次郎の『三太郎の日記』が、
この年には森鴎外の『山椒大夫』、芥川龍之介の『羅生門』が出版されています。
この頃になってくると 知った名前が出てきて、ぐっと身近になりますね。
ご先祖さまに、感謝申し上げます!
元は 観音寺というお寺のものだったのだそうです。
その観音寺が 後に吉祥寺に合併されてましたので
建物も吉祥寺に引越しをしてきた、というわけです。
ただし 観音寺の本堂は K市K地区のR寺さまに移築され、
本尊の観音像は 吉祥寺の薬師堂におまつりされました。
そして 南門の棟札の裏には 山門を移築した時の事が書かれていました。
観音寺 正門ヲ 合寺ニ付 吉祥寺正門 移ス
棟札 大工 石原市太郎
同 兵三郎
同 信太郎
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合寺世話人
衆議員 齋藤 安雄
村 長 河田 文衛
建築委員
石川 暢次郎
川田 高三郎
石川 政四郎
大正二年
四月廿七日
住職
権大僧都 能円(?) 覚宥
大正2年は1913年、今から95年前ですね。
第一次世界大戦中です。
前年には夏目漱石の『こころ』、阿部次郎の『三太郎の日記』が、
この年には森鴎外の『山椒大夫』、芥川龍之介の『羅生門』が出版されています。
この頃になってくると 知った名前が出てきて、ぐっと身近になりますね。
ご先祖さまに、感謝申し上げます!
観音寺の本堂は、熊谷(柿沼)の龍昌寺に移築されたそうですね。だけど、今は建て替えてしまったそうです。だけど、観音寺の部材も使ったようなので、何か残ってるかもしれません。
機会があったら行ってみようおもいます。
市役所のすぐ西のお寺さんに 観音寺の瓦が使われている、と言われていた建物がありましたが、新築で見られなくなってしまいました。 残念ですが、仕方ないかな~、と諦めています。
こちらも何か残っているでしょうか?
観音寺の建物ではなくて、M地区のS藤さんちの氏神さま、と言われています(いるそうです)(汗、汗)
すごい鬼瓦でした。
文化財、というか、美術品というか。
河川改修は 何度も何度も行われてきましたが
大々的なものは 大正6年だった、と 昨日 伺いました。
観音寺の建物が 大正2年4月27日に 吉祥寺境内に移築・落成され、
河川の大改修が 大正6年、計算も合っている、というお話でした。