去年、落慶式の後片付けが一段落してから 住職と物置の整理をしました。
出てくる、出てくる!
役に立たないような ガラクタばっかり!(笑)
その時に出てきたものの中に、古い大般若経のケースがありました。
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帙「ちつ」と呼ばれるケースです。
この中に お経本が入っていて 擦り切れたりするのを保護してくれていました。
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転法輪と唐草の模様です、こんなのがどっさり出てきました。
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外側は紙ですが、内側には うす~い、うす~い 板が挟まっています。
これで ガッシリと 中身を守ってくれていたんですね。
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しみだらけの、虫食い穴だらけのもアリ。
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おや、文字が書いてあります。
天保年間ですか。
天保9年2月。
天保9年は 1838年。
徳川斉昭公が 幕府に意見書を提出した年だそうですよ。
天保と言えば、「棟札 その1」に書きましたように、
当時の観音寺の山門が成ったのが天保2年。
現在の川の土手の向こうに 観音寺というお寺があって、
なかなか凝った造りの堂舎や山門が すでに建っていた頃なんですねえ。
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おっと、出ました! 乗圓さん。
明治36年3月、新井乗圓さんの時に 修復なさったんですね。
「棟札 その2」に書きましたように、
新井乗圓氏が観音寺を兼務して 山門を修理なさったのが明治15年。
それから16年経っています。
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こちらは明治35年の2月になっています。
新井乗圓さん、意外とお茶目。
「新井」を「安楽居」と書いていますよ。
晩年の、ご隠居生活の頃だったんでしょうか?
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こちらは観賢さんの代に 修理が加えられているようです。
こうして 何代にも亘って 修理を繰り返して
何十年、何百年と 使われてきた大般若経なのですね。
吉祥寺の大般若、今年は2月20日(土)です。
出てくる、出てくる!
役に立たないような ガラクタばっかり!(笑)
その時に出てきたものの中に、古い大般若経のケースがありました。
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帙「ちつ」と呼ばれるケースです。
この中に お経本が入っていて 擦り切れたりするのを保護してくれていました。
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転法輪と唐草の模様です、こんなのがどっさり出てきました。
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外側は紙ですが、内側には うす~い、うす~い 板が挟まっています。
これで ガッシリと 中身を守ってくれていたんですね。
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しみだらけの、虫食い穴だらけのもアリ。
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おや、文字が書いてあります。
天保年間ですか。
天保9年2月。
天保9年は 1838年。
徳川斉昭公が 幕府に意見書を提出した年だそうですよ。
天保と言えば、「棟札 その1」に書きましたように、
当時の観音寺の山門が成ったのが天保2年。
現在の川の土手の向こうに 観音寺というお寺があって、
なかなか凝った造りの堂舎や山門が すでに建っていた頃なんですねえ。
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おっと、出ました! 乗圓さん。
明治36年3月、新井乗圓さんの時に 修復なさったんですね。
「棟札 その2」に書きましたように、
新井乗圓氏が観音寺を兼務して 山門を修理なさったのが明治15年。
それから16年経っています。
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こちらは明治35年の2月になっています。
新井乗圓さん、意外とお茶目。
「新井」を「安楽居」と書いていますよ。
晩年の、ご隠居生活の頃だったんでしょうか?
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こちらは観賢さんの代に 修理が加えられているようです。
こうして 何代にも亘って 修理を繰り返して
何十年、何百年と 使われてきた大般若経なのですね。
吉祥寺の大般若、今年は2月20日(土)です。
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