示玄

日々の雑感

2007-01-17 18:14:01 | Weblog
 医師不足に対応するため病院の再編案の説明会が始まる、こんな記事が今朝の新聞に・・・。
<下記の文はこれとは関係ございません>

その先生が5年の担任になった時、一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。
中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。
 
 あるとき少年の一年生の時からの記録が目にとまった。
「朗らかで、友達が好きで人にも親切、勉強もよく出来、将来が楽しみ」とある。
間違いだ、他の子の記録に違いない、先生はそう思った。
 
 二年生になると「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。3年生では「母親の病気が悪くなり疲れていて、教室で居眠りをする」
後半の記録には「母親が死亡、希望を失い悲しんでいる」とあり。

4年になると「父は生きる勇気を失い、アルコール依存症で子どもに暴力をふるう」
先生の胸に激しい痛みが走った、ダメと決めつけていた子が深い悲しみのなかに生きてきたのだ・・・先生にとって目を開かれた瞬間だった。
 
 放課後、先生は少年に声をかけた「先生は夕方まで教室で仕事をしているから、あなたも勉強していかない・・? 分からないところは教えてあげるから。」
少年は初めて笑顔を見せた。
 
 それから少年は自分の机で予習復習を熱心につずける・・<中略>
クリスマスの午後、少年が小さな包みを持ってきた、後で開けてみると母親の使っていたものに違いない、香水であった。
 先生はそれを一滴つけ夕暮れに少年の家を訪ねた、少年は飛んできて、あぁお母さんの匂いだ、今日はすばらしいクリスマスだ。
 
 6年生では担任ではなくなった、卒業のとき少年から一枚のカードが届いた「先生は僕のお母さんのような人です、今まで出会った中で一番すばらしい先生でした」と書かれていた。
 
 それから6年、またカードが届いた「明日は高校の卒業式です、僕は5年のとき先生に担当してもらい幸せでした、おかげで奨学金をもらって医学部へ行きます」
10年を経てまたカードがきた。

 それには先生に出会えたことへの感謝と患者の痛みが分かる医者になれると・・・
 そして一年。届いたカードは結婚式の招待状「母の席に座ってください」と一行添えられていた。

人は無数の縁のなかで生かされている。
 長くなりました、人間学Chichi 鈴木秀子先生のお話から。

           <写真 花梨>
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