jazz and freedom and avenger

勝手気ままな戯事日記 暇つぶしに・・・・

MUSIC IS HERE / FREDDIE HUBBARD

2023-08-28 | Legacy of Freddie Hubbard

 

昨年、リリースされたアナログ2枚組。1973年、パリでライブ録画(録音)された音源。2011年にDVD”LIVE IN FRANCE”で一部が日の目を見ているけれど、オーディオ単独でリリースされたのは今回が初めてです。妙に発掘音源と煽らないスタンスが好ましい。

 

DVDと異なる収録曲は”Straight Life”の替りに”Sky Dive”と”Povo”が新たに入り、3曲→4曲に増えている点です。

 

1973年と言えば、CTIから”RED CLAY”、”STRAIGHT LIFE”、”FIRST LIGHT”、”SKY DIVE”と傑作、人気作、グラミー受賞作、話題作(K・ジャレット参加)を立て続けに発表し、スターへの階段を一歩一歩登り、翌年にはあのマイルスを人気投票で破り、人気、実力共にマイルスと肩を並べる存在になっている。

 

 

 

収録されている4曲は、良く知られているオリジナル作ですが、既発のレコード(CD)が持つ完成度より、ライブ演奏の魅力の一つでもある臨場感、エナジー感が堪能できます。中でも人気曲”The Intrepid Fox”(勇猛な狐)では、まるでコルトレーンがtpを吹いているのでは、と思うほど凄まじいプレイを聴かせてくれます。また、「日陰の男」、J・COOKのコルトレーン・マナーをマスターしたtsも聴き物ですね。

 

こちらがDVDの”LIVE IN FRANCE 1973”。”Straight Life”、”The Intrepid Fox”、”First Light”の3曲が収録されている。なお、YouTubeでも観れます。

 

リーフレットに載っている写真は当ライブと異なります。

 

マイルス以降では、他のtp奏者に大きな影響も与えた最高のトランペッターですが、90年代初頭以降、トランペッターとしては致命的な唇のコンディション不良、フィジカル面の問題に悩まされ、思うようなプレイが出来なくなったことは誠に残念です。タイトルはシンプルだが、ハバードの真摯なプレイぶりは50年後の今でも無双です。


もう一つの”Stolen Moments” ・・・JAZZ CONFERENCE IN EUROPE / CURTIS FULLER AND THE AMBASSADORS

2022-11-25 | Legacy of Freddie Hubbard


 

一昔前、地元の円盤屋で安く手に入れた一枚。ある時、吉祥寺のオープンして間もない廃盤屋(個人店)へ行くと、この作品が一番、目に付く場所に飾ってあった。青摺りのモノトーンがカッコ良く見えるからだろう。気になる値段は地元と殆ど変わらず、ヤッパリと思ったけれど、ここは東京、吉祥寺、そんな安価なものをわざわざ飾るワケはないだろう、と目をこすってよく見ると、一桁違っていた(笑)。たしか諭吉が3枚でお釣りが少々でした。

流通上、米SMASH盤が一般的ですが、このオランダ・フィリップス盤とカヴァが異なり、ややインパクトが弱く内容の良さの割に軽んじられている。

中身は1961年3月10日、スイスのチューリッヒで行われたQ・ジョーンズ・オーケストラ公演のメンバーの内、10名がコンサート後、アフター・アワーズ・セッションで演奏した音源で、建前上、C・フラーのリーダー作になっている。全4曲ですが、腑に落ちないのがB-1の”Stolen Moments”です。いきなりハバードのソロで始まり、E・ディクソン(ts)のソロも途中でフェード・アウトしてしまう所です。

 

 

 

 

長年の疑問が氷解した作品が1984年にリリースされた発掘盤(マーキュリー)のこちらです。

 

 

似たようなカヴァがあるので紛らわしいけれど、コレが1961年3月10日、スイスのチューリッヒで行われたQ・ジョーンズ・オーケストラのライヴ音源です。ここにフルサイズの”Stolen Moments”が収められている。

ステージでQ・ジョーンズに紹介されたF・ハバード(tp)の5分半を超すロング・ソロについて、ライナー・ノーツでD・モーガンスターンは、

「”Stolen Moments”が初めて収録されたO・ネルソンの名作”BLUES AND THE ABSTRACT TRUTH”(インパルス盤、1961.2.23)からほんの二週間ほどしか経っていないにもかかわらず、ハバードは全く違う、しかも同等の素晴らしいソロを吹いている。僅か23歳(実際はまだ22歳)にしてこれほどまでに格調高く、自信に満ち、独自性に富んだ表現力を身に付けてけているのは驚嘆するほかない」と語っている。

Q・ジョーンズがハバードを演奏の前後、二度も紹介しているのも頷けます。

話を本題に戻すと、頭の部分をカットし、終りをフェード・アウトしてまで本番の一曲を流用した理由は、制約上、4曲共、コンサート後の演奏と見做すことにより、このハバードの名演を何としても埋もれさせず、世に出したかったのでしょう。関係者の熱い計らいです。いい話ですね。ハバードをカヴァのセンター(右がフラー)に据えたワケも解けます。

なお、フィリップス盤、SMASH盤、共に翌1962年にリリースされている。フィリップス盤(モノラル)は音がリッチでヴォリュームを入れると俄然、リアリティが増します。

 

 


ストレート・アヘッドを堪能 ・・・・・ LIVE IN PARIS 830322 / FREDDIE HUBBARD

2022-03-26 | Legacy of Freddie Hubbard

 

三年前(2019年)にリリースされた発掘CD盤。1983年3月22日、フランスはパリのElysee Montmartreでライヴ録音されたものでメンバーは以前、Upしている”AT THE CLUB”と同じなので欧州ツアの一環だったのだろう。

お馴染みの”One Of Another Kind”から始まる2枚組全7曲、ハバードの無双ぶりが遺憾なく発揮されている。勿論、そこが聴き所ではあるのだが、もう一つの聴き所はオーディエンスの反応、トータルで107分、ストレート・アヘッドな演奏を充分に堪能している。中でもH・マンシーニの”Moment To Moment”の美しいメロディを柔らかく奏でるハバードのflhは絶品、さすがパリの聴衆、確りと応えている。

モダン・トランペットの王道を最高に聴かせる作品です。

 

 

このライヴの丁度、10年前(1973年)にもハバードはパリのTVスタジオで収録している。

 

 

凄まじいパフォーマンスですね。別の機会にUpするつもりです。


真の三部作 ・・・・・ HUBBARD & MOBLEY

2021-06-15 | Legacy of Freddie Hubbard

 

左から”ROLL CALL / HANK MOBLEY”(4058、 1960.Nov.13)、

”GOIN’ UP / FREDDIE HUBBARD”(4056、 1960.Nov.6)、

”UNDERCURRENT / KENNY DREW”(4059 、1960.Dec.11)

三作の共通点は ハバード(tp)、モブレー(ts)というフロント2管のクインテットで録音はほぼ一ヶ月の間、No.も4057のひと番を外しただけの三連荘。

ジャズ・マスコミが作ったモブレーの通称「三部作」に対し、こちらはライオンが初めからハッキリと制作意図した三部作。狙いはデビューしたばかりで未知の器量に溢れるハバードとピークを迎え、恐らくマイルスのグループに参加が決まった?モブレーのプレゼンだったのは明らかですね。

ただ、”GOIN’ UP”は何故かデビュー作”OPEN SESAME”の陰に隠れ、”UNDERCURRENT”もあの「幻の名盤読本」の本稿ではなく巻末のレコード専門店のクイズの中で紹介され「裏・幻の名盤」扱いとなり、後年のヨーロッパ盤のイメージも強く、知名度、人気度は”ROLL CALL”に及ばない。

けれど、内容は甲乙付け難い名演揃いです。

リズム・セクションの人選は一流所、有望株を巧みに配し変化を持たせつつ、曲構成を”ROLL CALL”、”UNDERCURRENT”は全てリーダーのオリジナルで固め、二人の作曲能力を抜かりなく打ち出し、”GOIN’ UP”ではドーハムの代表作2曲を取り入れてハバードの経験の浅さをカヴァしている。

好みの順でいくと、

初心者の頃、初めて聴き朗々と鳴り響くtpに脳天をぶち抜かれた”GOIN’ UP”が一番、二人の息が段々と上手く噛み合い、特にA面の曲が良い”UNDERCURRENT”、そして、”ROLL CALL”かな。

”GOIN’ UP”のオリジナル盤はずっと縁が無く、今でも欲しい一枚です。

兎に角、ハード・バップの神髄、それも50年代ではなく60年代の熱いいぶきを全身に浴びるには最上のもの。

バード、モーガンではなくハバード一人に絞ったライオンの慧眼が光り、10年後、見事に証明されている。

 

 

 


新しい領域にもトライ ・・・・・ THE LOVE CONNECTION / FREDDIE HUBBARD

2021-03-29 | Legacy of Freddie Hubbard

 

ハバードのColumbia時代の作品の世評は総じて芳しくない。まるでフュージョンの親玉のような濡れ衣を着せられかのようだ。ショーター、ハンコックも、また、ナベサダ、ヒノテルだってばんばんフュージョンを演っていたのに・・・、人気投票であのマイルスを破るというタブーを犯したからなのか?(笑)。出る杭は・・・・・・・

ダブル・スタンダードどころではなくミュージシャン毎のマルチ・スタンダードが横行したのが70年代後半以降のわが国のジャズ・ジャーナリズムの世界。

今更、どうでも良い話ですが・・・・・・・。

今回、ピックアップしたアルバムは、カヴァのイージーさで損しているが、C・オガーマンの指揮するオーケストラとアレンジ、キーボードにC・コリア、そして一流のミュージシャン達を配したメジャー・レーベルならではの作品。

愛妻 Brigitte(モデル、ダンサー)と睦まじく収まっているバック・カヴァは、20年前、インディアナポリスのチンピラが、才器と努力によりジャズ界のスーパー・スターに「成り上った」事実を映している。

 

 

キャッチーなTOPのタイトル曲から始まり、愛妻に捧げた”Brigitte”、オガーマンの”This Dream”、B面に移り名作”Little Sunflower”、J・ヘンダーソン(ts)の隠れ名演(BASRA/P・LA ROCA)で知られる渋い”Lazy Afternoon”まで、オガーマン得意のクラッシック調のアレンジを含め、レベルの高い演奏が展開されている。クラッシック畑のミュージシャン達からも称賛・認知されるテクニックを8分の力で吹いている所が実に好ましく、例えば”Little Sunflower”はB・ジョエルの「ニューヨーク 52番街」で評判になった「ザンジバル」の名ソロを彷彿させます。A・ジャロウのボーカルは賛否両論ですが、ハバードのtpはクールでカッコ良いですね。

ジャズで無ければ、ポップスでもない新しい領域にもトライした作品。ハバードのキャリアを辿れば極自然な流れで、クオリティも高い。さすが、コリアもいい仕事をしていますよ。

 

こちらは、昔、SJ誌が本誌の中に組込んだディコグラフィーで、一枚ずつ切り取りファイルしたもの。カヴァが載っており重宝している。1987年まで、リーダー作を主に120枚が掲載されている。

 

 

 

92~3年頃からトランペッターとして致命的な唇の腫瘍により思うような演奏が出来なくなり、2008年12月29日、心臓発作により逝去、享年70。

マイルスが最高なら、最強はハバードと謳われた。


キースが参加した ・・・・・ SKY DIVE / FREDDIE HUBBARD

2020-11-08 | Legacy of Freddie Hubbard

 

K・ジャレットが脳卒中の後遺症により、本格的な復帰は難しいとのニュースが流れている。

若いイメージが強いけれど、自分同様、もう立派な高齢者なのでこういう事態は悲しいかな、いつかやってくる。

キースが50年近く前、ハバードの作品(CTI)に参加した一枚(1972年10月録音)を。

意外に思うかもしれないが、当時のキースは前年にECMに”FACING YOU”を吹き込んだとはいえ、ロイド・グループ時代の高い評価、人気は色褪せ、C・コリアの方に多くの関心が向き、存在感の薄い立場に置かれていた。だから、人気レーベル、しかもスターへの階段を登り始めていたハバードのアルバムに名を連ねられたのは、ある意味、C・テイラーが助け舟を出したようなものだった。

前作”FIRST LIGHT”はD・セベスキーの華麗なペン・ワークとハバードのゴージャスなtpが見事に溶け合いグラミー賞を獲得、本作もセベスキーがアレンジを施し、曲によりソウル色を強め、ベンソン、ロウズ、キースのソロ・スペースも充分に取られ、建付けはしっかりしている。「ゴッド・ファーザーのテーマ」ではキースがマジで弾いています(笑)。ま、ブラインドホールド・テストで出されたら分らないかも。

CTIは後年、リアルタイムで聴きもせず、頭でっかちな小僧たちにクロスオーバー、フュージョン・レーベルと勘違いされ、価値を貶められ勝ちですが、少なくとも個別ではそんなことはなく、そもそもC・テイラーの頭の中には、小難しいジャズは無く、少し進歩的で演る方も聴く方もエンジョイできるジャズで占められており、それ以上を求めるのはお門違いです。

ハバードに関して言えば、多くのプレイヤーは迷っていたのに60年代を引き摺らず新しいジャズtpの領域を広げようとチャレンジしている。そこがイイ。

「ゴッド・ファーザーのテーマ」なんて、他のトランペッターなら提案も無ければ、腰も引く素材だけれど、ハバードは果敢に攻め、キメています。ただ、エンディングでテーマ・メロディを被せたのはテイラー、セベスキーの「弘法の筆の誤り」で、ハバードに罪はありませんよ(笑)。

キースの体調が少しでも回復する事を祈ります。

ジャズを聴き始め、初めて覚えた名はロイドとキース。二人を追い、JAZZに嵌った。

 


正真正銘の当り発掘盤 ・・・ AT THE CLUB / FREDDIE HUBBARD

2020-08-23 | Legacy of Freddie Hubbard

 

一昨年の暮れ辺りに発表された発掘音源CD。

パーソネルは、

Freddie Hubbard (tp,flh)、Bob Sheppard (ts,fl)、Hilton Ruiz (p)、Herbie Lewis (b)、Carl Allen (ds)

録音は1983年3月、ロンドンのクラブ「Roundhouse」。

このハバードを一言でいい表せば「スーパー・カー」でしょう。神業的テクニックを駆使して疾走するスリリングでスケールの大きな世界はスタンダード・カーとは別次元。

心・技・体、三位一体となった熱演は彼の全キャリアの中でも屈指のレベルです。もっとも、「スーパー・カー」に興味がなく四畳半的ジャズを好むファンには ・・・・・・・

収録曲もお馴染みものばかりですが、メンバーがガラッと新しくなった分、受ける印象も異なり新鮮に聴けます。この後、名を上げていくC・アレンの若さ溢れるドラミングもGooですよ。ハバード学校の卒業生は結構、多いですね。

ハバードを「テクニックだけの人」と蔑むコメントを時々、見たり聞いたりするけれど、それで何十年も生き延びれるほどジャズ界は甘くない。マイルスが言った、と保険を掛けているけれど、本当にそう言ったのか、甚だ疑問です。同じトランペッターなら力量は解るはず。裏を返せば「ジェラシー、コンプレックス」を感じていると告白しているのも同然で、マイルスはそんな度量の狭さをあからさまに口にするタイプではない。恐らく、ある特定の立場にいるマイルス信奉者がある目的をもって一部を切取り、拡大解釈、もしくは曲解して拡散させたのでは? マイルスにしてみれば迷惑な話だが、拡散者は「忖度」の一字だったのだろう。

 

 

3曲目”Littel Sunflower”からの後半が好きです。中でも、C・ウォルトンの名作”Bolivia”は最高、リズミカルながらシャープに攻め込むハバード、白熱化するルイツのp、シェパードのts、そして、最後を見事に締めるハバード、これぞライブの醍醐味。名実ともにモダン・トランペッターNo.1の存在を明らかにしている。この音源はもっと早く世に出されるべきでしたね。

正真正銘の「当り発掘盤」。

これからも、どんどんハバードの発掘盤が出てきて、讒言者達を蒼褪めさすといい(笑)。

 

 

 


会心のライブ・・・・・ ROLLIN' / FREDDIE HUBBARD

2020-08-16 | Legacy of Freddie Hubbard

 

インディアナポリスでちょっとペットが上手いと評判のチンピラがNYに上京したのが1958年、マイルス、ドーハム、ファーマーと言った大先輩やバードを始めとする若手達、そして同い年(二十歳)のモーガンとリトルとtp界は錚錚たる人材に溢れていた。しかも、モーガンは既に何枚も、リトルも同年、初リーダー作を吹き込むという状況に対し、ハバードにはサイドで入る位でこれと言った足あとは見当たらない。

ハバードが頭角を現したのは60年に入ってからで、ドルフィーの初リーダー作「惑星」の相棒に抜擢され、また、BNで初リーダー作”OPEN SESAME"を吹き込み、そして、コールマンの”FREE JAZZ”に起用と、一気に「出遅れ」を詰めた。

彼のキャリアの中で、Columbia時代(1974~1979年)の緩い作品にバッシングする人がいるけれど、CTI時代の成功により、金、地位(常勝マイルスを抜き人気No.1)、女(美人モデルと再婚)、そして名誉(グラミー受賞)等々、全てを手に入れ、成上り者気分でちょっと脇が甘くなるのも不思議ではなく、もう少し広い分野までトライしてみようと野望を持ったのではないかな。V.S.O.P.の他、死後、発掘された音源を聴くと、スタジオものとライブものギャップが大きく、当時、使い分けていたフシが有りますね。

1981年5月2日、ドイツ、VILLINGEN JAZZ FESTIVALでのライブもの。リアルタイムでリリースされている。

些かシンプル過ぎるカヴァで、何とも無邪気なボーズが微笑ましいけれど、自分を過小評価しているのではないか、とさえ思える。

”One Of  Another Kind”、“Here 's That Rainy Day”、”Up Jumped Spring”など代表的なレパートリーを網羅(7曲)し、堂々たる「王道」が繰り広げられ、クオリティの高さがオーディエンスの反応の良さに現れている。

1曲1曲の演奏時間も均して7分弱とコンパクトに仕上げ、ライブにありがちなテンションの不用意な隙を作っていないのも好感が持てます。

一番好きな曲は愛妻にデディケートした”Brigitte”、情感をたっぷり湛えたプレイは絶品です。B・チャイルズのpも良いですね。

詳しくは知りませんが、チャイルズは90年代、グラミー賞を3度?も受賞するほど成長している。あまり語られませんが、ハバードは無名時代のケイブルス、バロンも自分のバンドで育てており、その功績はもっと評価されていい。

 

 

ラストのカリプソ・ナンバー”Breaking Point”でビシッと着地を決めるハバード、アンコールの嵐は止まなかった。

ハバード、会心の一枚。


LEGACY OF FREDDIE HUBBARD (12) ・・・・・ BACKLASH

2020-08-09 | Legacy of Freddie Hubbard

 

 

1966年はコルトレーンが初めて日本の土を踏み(7月)、わが国のモダン・ジャズ・ブームが空前の盛り上がりを見せた年ですね。その頃、まだ、ジャズのジャの字も知らなかったが、新聞にステージの異様な模様が報道され、そんな音楽の世界が存在するものだ、と強烈な印象を受けた。

当時のジャズの潮流はコルトレーンが牽引する所謂「アヴァンギャルド」で、前年(65年)の”ASCENSION”に参加していたハバードもS・J誌では「前衛の闘士」として紹介されているほど。A・シェップは「コルトレーンが”ASCENSION”でしようとしたことを本当に理解出来たのはオレとハバードだけだった」と語っており、まんざら的外れではなかったようです(笑)。

そうした時代背景の中、BNからアトランティックに移ったハバードの1stアルバム”BACKLASH”が録音されたのがこの年(1966年10月19日)で、予想に反しソウル・ミュージックをも取り入れ、「すべてのものに興味を持ち、自ら制限を設けない」と、ライナー・ノーツで語っている通り、実に自由奔放な作品だった。

ハバードのリーダー、サイドの作品を時系列に辿っていくと、もうBNというマイナー・レーベルの枠内では収まり切らない力量を既に身に着けていて、BN最後の録音となる1966年3月5日の2曲(後年発表)を聴くと、なぜ、一枚分、続きが録音されなかったのか、よく分かります。つまり、その兆候は既に”BLUE SPIRITS”(BN4196)に表れており、「新主流派」スタイルに拘らず新しいフィールドへチャレンジしたい思いが強く募ったのだろう。「新主流派」スタイルの先導的役割を果たしたハバードにとって当然の帰結です。

因みにマイルスは”MILES SMILES”(1966年)、”SORCERER”(1967年)”NEFERTITI”(1967年)を録音している。

 

キャッチーなソウル・ナンバー2曲、ラテン・フレーバーを粋に効かし、彼の代表作になった“Little Sunflower”、スリリングな”On The Queー Tee”、J・M時代からの人気ワルツ曲”Up Jumped Spring”、そしてミンガス調の”Echoes Of Blue”と実に多彩ですが、総花的になっていないのは、自信と確信に裏打ちされた「チャレンジ・スピリット」が貫いている証です。

サイドもいい仕事をしていますよ。スポールディングはあの辛口評論家の粟村氏が高く評価していたas奏者ですが、ここではflでも貢献しています。また、後にゲッツに気に入られ、活躍するA・デイリー(p)の小気味いいプレイも聞き逃せません。

特に好きな曲は”Up Jumped Spring”でリリカルな曲想の中、徐々に音を詰め込んでいくハバードの背後からアップルトン(ds)がビシバシと打ち込む展開が何とも言えない快感を呼びます。

半世紀以上も前の録音なのに今の耳で聴いても、その刺激性はちっとも色褪せていません。それどころか急成長中の若者が放つ「オーラ」さえ感じさせ、これはちょっとした傑作ですね。


OLE / JOHN COLTRANE ・・・・・ ボーナス トラックのハバードが美味しい

2020-04-04 | Legacy of Freddie Hubbard

 

その昔、ジャズ喫茶全盛時(1960年代)にコアなファンから熱烈な支持を受けた一枚。

インパルスと3年間・5万ドルという破格の条件で契約し、「アフリカ」を既に録音した後、アトランティックに置き土産?としてレコーディングしたもの(1961.5.25)。恐らく3者の間で円満解決した結果だろう。

A面に配されたタイトル曲のエキゾチックな香りと「マイ・フェイヴァリット・・・・」と同じ3/4拍子、そして2ベースからなる重厚なサウンドは正に当時のジャズ喫茶の空間にピッタリと嵌る。GEORGE LANEとクレジットされているas・fl奏者はE・ドルフィーで契約上の縛りがあったのだろう。

B面の”Dahomey Dance”、”Aisha”を含め本作の特長はややもするとコルトレーンのソロに偏重されがちな所がなく、コルトレーン、ドルフィー、ハバード、マッコイのソロがバランス良く収められている点です。

今回、フォーカスを当てた曲は、LPの収録時間の制限でオリジナル盤から外され、1970年に未発表集としてリリースされた”THE COLTRANE LEGACY”のなかで初めて日のを見た曲でCD化の際にボナース・トラックとして追加された。当初は”Untitled Original Ballad”とされていたが、後にビリー・フレイジャーという人物の”To Her Ladyship”と判明しています。

気品を漂わす魅力的なメロディを曲想に沿い三管が粛々と奏でていく展開は聴き終えた後、カタルシスに似たものを覚える。

聴きものはコルトレーン(ss)とドルフィー(fl)に挟まれながら、まだ23歳に成り立てとは思えぬコクのあるバラード・プレイを綴るハバードのtp、一年前、BNに初リーダー作を吹き込んだばかりだが早くも頭角を現している。一歩も二歩も二人の後に控えながら、第三の男を完璧に熟している。大したものですね。

また、ハバードと同い年で先月、惜しくもこの世を去ったマッコイは余程、この曲の流れに気分が乗ったのか、鼻歌交じりでpを弾いている。思いの外、図太い神経の持ち主ですね、70年代もこの味を貫けば良かったのに・・・・・・

もう一つ、注目する点があります。総じてコルトレーンのアトランティック盤の音はあまり芳しくないと言われていますが、本作は例外で、唯一、エンジニアがPHIL RAMONEに代わっている。PHIL RAMONEと言えば、直ぐJ.J.ジョンソンの名作”J.J.' BROADWAY”(VERVE)の好録音を思い出しますが、他にゲッツ/ジルベルト等々も担当している。わが国ではエンジニアと言えばRVG一辺倒に近いが、RAY HALLとかPHIL・RAMONE等々の優れたエンジニアにもっと目が向けられても良いのではないかな。後年はむしろプロデューサーとしての名声が高く、B・ジョエルの「ニューヨーク52番街」などを手掛けている。

話を戻すと、エンディングでコルトレーンがasに持ち替えたとの情報がありますが、自分の耳では定かに解りません。ただ、ssともtsとも違う感じも受けます。

本作に集まったメンバー全員、上昇気運に乗った人達ばかりで、過激さはないけれどモチベーションは頗る高い。

”OLE”を聴くなら”To Her Ladyship”が加えられたCDがベストと思います。