jazz and freedom and avenger

勝手気ままな戯事日記 暇つぶしに・・・・

CHAMBERS’ MUSIC / PAUL CHAMBERS

2020-04-27 | ジャズ ・b

 

その昔、2ndプレス承知で手に入れたSCORE盤。オリジナルのJAZZ WEST盤とカヴァの配色が違い、価格は約1/10以下だっと記憶している。

その時、SCORE盤はかぜひき盤が多いとの情報をまだ知らず、試聴した際、盤質はパーフェクトに近くカヴァと伴にキレイな状態でした。必ずしもSCORE盤=かぜひきでは無い一例ですね。

大方の興味は、チェンバースの初リーダー作、大化けする前のコルトレーン、そして、コレクター好みの幻のレーベル「JAZZ WEST」と言う3点に絞られると思います。

本作はチェンバースが21才になるかならない時に、ロサンゼルスで吹き込まれたもの。マイルス・クインテット在団中で、まだ、後年のような存在感はないが、センスの良さは充分に出ています。注目はコルトレーンですが、この時点ではまだ、ロリンズの影響が見受けられ、有名な「テナー・マッドネス」は本作の二ヵ月後に録音されている。全体的に、典型的なハード・バップ作品で、水準止まりの出来と聴きました。

カヴァと盤質はOKでしたが、音質はどうなんだろう。

カッティング・レベルが高く、モノラルらしい骨太の音ですね。ただ、コルトレーンのtsが聴きなれている音と少し異なりやや詰まり気味です。そこが2ndプレスの悲しいところか。

録音は1956年3月、エンジニアはDON BLAKEとクレジットされ、マトリックスNo.はJWLP-7 SIDE A/B スタンパー・コード?はSLP-4033 A/Bと刻まれている。この辺り、浅学でよく分かりません。

 

 

 


BREEZIN' (THIS MASQUERADE) / GEORGE BENSON

2020-04-23 | ジャズ・g

 

1976年にリリースされ200万枚の大ヒットを飛ばし、グラミー賞の最優秀アルバム賞を獲得している。スノッブなジャズ・ファンから総スカンを喰ったが、A-2のレオン・ラッセルのカヴァ曲”This Masquerade”はベンソンのヴォーカル&ギターのメロウなサウンドがなかなか魅力的ですね。甘いのはお断りなんて狭い了見の持ち主には到底わからない世界だろう。

色々な歌手がカヴァしているようですが、自分が好きなヴァージョンはカーペンターズもの。軽いボサ・ロックのリズムに乗りメランコリーなメロディをサラッを歌い切るカレンに不用意に殺られる。

もう一つは、イギリスのシンガー(女性)、ルーマーとラッセル自身がpを弾くヴァージョン。こちらはアンニュイな空気を漂わせながら大人の語り口を聴かせるルーマーの歌唱力が素晴らしい。You Tubeで観られます。

サイクリングの途中、滅多に渡らない歩道橋に上がってみた。遠くが見通せて気持ちが良いね。

地下にもう一本、自動車道が通っています。この先は東名・名古屋IC方面です。

 

反対側は伊勢湾岸道路、中部国際空港セントレア方面に繋がっています。

 

例年なら、爽やかなそよ風(Breez)が吹いているはずなのに。

今は耐えて凌いで、いつか心地良い「そよ風」が吹くのを待ちましょう。


AT THE LIGHTHOUSE / JOE HENDERSON

2020-04-19 | ジャズ・ts

 

J・ヘンダーソンがW・ショーと組んで1970年9月24~26日、カルフォルニアのHermosa Beachにあるライトハウスでライブ録音した作品。2枚目(右)の2曲はそのライブものですが、残りの3曲は約半年後、G・ケイブルス(eⅼp)を除きC・フラー(tb)を加えた別のメンバーでのスタジオ・セッション(NY)ものです。

リアルタイムで聴いた時はこれと言った特別な印象を受けなかったけれど、年齢を重ねた今、聴き直すと30代前半のヘンダーソン、20代後半のショーの心身共に充実したエネルギッシュなパフォーマンスに、素直に「若さ」って何物にも変え難いものと再認識します。

一枚目(左)の小難しいサブタイトルは政治結社ブラックパンサー党(Black Panthers )の指導者エルドリッジ・クリーバー の言葉を引用し、同名のオリジナル曲も演奏している。2枚目のタイトルもその流れを汲み、果たして党員だったかどうか分りませんが、かなり影響を受けていたようです。そうした政治的言動がジャズ・ファンから疎まれ、更に、当時の人気ブラス・ロック・バンド、BS&Tに参加するなど、迷走し始め、散発的にリーダー作を出しながら本来のスタイルに戻すものの忘れられた存在でしたが、80年代中期、BNの「ヴィレッジ・ヴァンガード」で舞い戻り、90年代にVERVEの強力なバック・アップにより復権した経緯は周知の通りですね。

ただ、その切っ掛けとなった1987年7月、イタリアのジェノバでのライブ”AN EVENING WITH JOE HENDERSON ・・・・・”(伊RED)を決して見逃してはならない。ジョー・ヘン、会心の、そしてテナー・マンとしての真骨頂を聴かせる畢生の名演です。

話を本2作に戻すと、この後、ヘンダーソンが右肩下がり、ショーは右肩上がりになって行く理由が何となく分かります。

ヘンダーソンは調子が良過ぎたのか、どの曲も目一杯、手の内、引き出しを開けてしまい、一本調子ではないけれど途中からどれも同じように聴こえてしまう。それに対し、ショーは描いているイマジネーションにまだスキルが追い付いていない部分が垣間見えるけど曲想をそれなりに理解し、吹き分け、2枚目のヘンダーソンの十八番曲”Invitation”ではスキップを踏むような軽やかなペットが冴えている。3ヶ月後、ショーは初リーダー作をコンテンポラリーに吹き込んでいる。一言でいえばこの時点での「伸びしろ」の差を感じます。

それはともかく、1970年、モダン・ジャズのあの熱気はまだ消えていなかった。

 


ぶらっとサイクリング ・・・・・ 竹林、池、そしてログハウス

2020-04-17 | 日記・エッセイ・コラム

 

先月末から始めたサイクリング。と言っても近場を1時間半ほどのショート・コースで。

竹林が目に入りました。きれいに舗装された小径、散歩している人達もいます。

先に進むと池が眼の前に広がって来ました。視界を遮るものがないと気持ちが良いですね。

 

池の畔にログハウスが、

 

個人の住宅ではなく、フォト・スタジオになっていて、さすがキレイにメンテナンスされています。

 

 

ミニ・サイクリング、イケるね。


可憐な ハナミズキ

2020-04-16 | 日記・エッセイ・コラム

 

十日ほど前に開花した庭のハナミズキが徐々に黄色みが抜け花弁も大ききなり、ほぼ満開です。

街中へ出かけたり、ゴルフ等々は完全自粛しており、こんな時、美しい花をみると心が和みます。

巷では店員へのクレーム、些細な事で八つ当たりするなど問題が表面化しているようですが、ギスギスした空気が澱み始めたのでしょう。今は少々のことは大目に見る余裕、大らかさが必要かも。そうしないと社会が壊れていきます。

一人一人の心掛けが求められますね。


LOTUS FLOWER / WOODY SHAW

2020-04-12 | Portrait of Woody Shaw

 

過小評価の代表格と言えば、かってはK・ドーハムでしたが、そのあとを継いだのが同じトランペッターのW・ショー。

デビュー以来、トレンドに流される事なく頑なにメインストリーマーとして自分のスタイルを磨き、貫き、フュージョンを演らずスノッブな人達からのバッシング対象にもならなかった。だから、過小と言うよりも不当評価といっていいだろう。その反動からディープなファンも少なくない。

こつこつと地力を蓄え、苦労の末、やっとメジャーのコロンビアに認められ(1977年)秀作、好作を連発し、晩年はプライベートな問題に悩まされ、悲惨な最期を迎える経緯は、本来ならば日本のもっと多くのジャズ・ファンに評価、好まれるタイプなのに、全く不可解です。マイルスという絶対的存在、評価の歪みの一つかもしれない。

本作はコロンビアとの契約が終了した後の最初の作品(Enja 1982年)で、成功のポイントはメンバーが当時のクィンテットそのまま、選曲もなまじっかスタンダードを入れず全てメンバーのオリジナルで固めた所です。A面にターレ(tb)、ミラー(p)、ジェームス(b)が其々1曲ずつ、ショーの2曲を敢えてB面に配したことで曲を取り上げられた3人の働きが見事に全体をボトム・アップし、バンドのエクスプレッションが格段に上がっている。そして強直もしていない。

録音エンジニア、D・ベイカーもソリッド感を持たせながらバンドから放たれるエネルギーを的確にキャッチしている。

余談を、

1981 or 1982年、来日したショー(多分、本作と同じメンバーで)を地元のライブ・ハウスで初めて観ました。残業が入り駆けつけた時は1stステージの終盤でショーのtpはほんの僅かしか聴けなかった。アルコールを飲み過ぎ、べろんべろんになりカウンターにもたれたまま動こうとしない(笑)。他のメンバーが一生懸命ボスの穴を埋めていました。恐らく2ndステージもショー抜きに近い形で行われたのだろう。後でギャラ?の問題で店側ともめたそうです。そりゃ、まずいですよね、自分は終盤だったので半額にしてもらったので・・・・・・・

J・ヘンダーソン(ts)も東京のライブハウスで、ポスターに自分の名がTOPでないとクレームを付け、ドタキャンした話等々もあります。

それはともかく、W・ショーは1989年5月10日死去、享年44。早過ぎます、好きなトランペッターでした。


OLE / JOHN COLTRANE ・・・・・ ボーナス トラックのハバードが美味しい

2020-04-04 | Legacy of Freddie Hubbard

 

その昔、ジャズ喫茶全盛時(1960年代)にコアなファンから熱烈な支持を受けた一枚。

インパルスと3年間・5万ドルという破格の条件で契約し、「アフリカ」を既に録音した後、アトランティックに置き土産?としてレコーディングしたもの(1961.5.25)。恐らく3者の間で円満解決した結果だろう。

A面に配されたタイトル曲のエキゾチックな香りと「マイ・フェイヴァリット・・・・」と同じ3/4拍子、そして2ベースからなる重厚なサウンドは正に当時のジャズ喫茶の空間にピッタリと嵌る。GEORGE LANEとクレジットされているas・fl奏者はE・ドルフィーで契約上の縛りがあったのだろう。

B面の”Dahomey Dance”、”Aisha”を含め本作の特長はややもするとコルトレーンのソロに偏重されがちな所がなく、コルトレーン、ドルフィー、ハバード、マッコイのソロがバランス良く収められている点です。

今回、フォーカスを当てた曲は、LPの収録時間の制限でオリジナル盤から外され、1970年に未発表集としてリリースされた”THE COLTRANE LEGACY”のなかで初めて日のを見た曲でCD化の際にボナース・トラックとして追加された。当初は”Untitled Original Ballad”とされていたが、後にビリー・フレイジャーという人物の”To Her Ladyship”と判明しています。

気品を漂わす魅力的なメロディを曲想に沿い三管が粛々と奏でていく展開は聴き終えた後、カタルシスに似たものを覚える。

聴きものはコルトレーン(ss)とドルフィー(fl)に挟まれながら、まだ23歳に成り立てとは思えぬコクのあるバラード・プレイを綴るハバードのtp、一年前、BNに初リーダー作を吹き込んだばかりだが早くも頭角を現している。一歩も二歩も二人の後に控えながら、第三の男を完璧に熟している。大したものですね。

また、ハバードと同い年で先月、惜しくもこの世を去ったマッコイは余程、この曲の流れに気分が乗ったのか、鼻歌交じりでpを弾いている。思いの外、図太い神経の持ち主ですね、70年代もこの味を貫けば良かったのに・・・・・・

もう一つ、注目する点があります。総じてコルトレーンのアトランティック盤の音はあまり芳しくないと言われていますが、本作は例外で、唯一、エンジニアがPHIL RAMONEに代わっている。PHIL RAMONEと言えば、直ぐJ.J.ジョンソンの名作”J.J.' BROADWAY”(VERVE)の好録音を思い出しますが、他にゲッツ/ジルベルト等々も担当している。わが国ではエンジニアと言えばRVG一辺倒に近いが、RAY HALLとかPHIL・RAMONE等々の優れたエンジニアにもっと目が向けられても良いのではないかな。後年はむしろプロデューサーとしての名声が高く、B・ジョエルの「ニューヨーク52番街」などを手掛けている。

話を戻すと、エンディングでコルトレーンがasに持ち替えたとの情報がありますが、自分の耳では定かに解りません。ただ、ssともtsとも違う感じも受けます。

本作に集まったメンバー全員、上昇気運に乗った人達ばかりで、過激さはないけれどモチベーションは頗る高い。

”OLE”を聴くなら”To Her Ladyship”が加えられたCDがベストと思います。


今年も何事もないかのように咲きました

2020-04-02 | 日記・エッセイ・コラム

 

足腰の筋肉が衰えないように、毎日、サイクリングに出かけることにしました。

川沿いの桜並木に、騒然とした世の中を暫し忘れさせてくれます。

 

 

色々な意見、考え方があるけれど、出来ればソフトランディングでこの難局を乗り切りたい。

それには一人一人の自覚、自制が、最後に物を言う。