jazz and freedom and avenger

勝手気ままな戯事日記 暇つぶしに・・・・

LEGACY OF FREDDIE HUBBARD (1) ・・・・・ GLEAM

2016-09-28 | Legacy of Freddie Hubbard

GLEAM / FREDDIE HUBBARD (CBS SONY SOPZ 100-101)

 

まず、異例の出だしから始まるライナー・ノーツ(1975年)を。

「日本においてフレディ・ハバードのここ数年の評価はきわめて低い。それに比較してアメリカでの彼の評価は非常に高い。 その証拠に1974年度、ダウン・ビート誌の人気投票ではマイルス・デイビスをしのいで、トランペット部門のナンバー・ワンに輝いている。 このあまりの評価の開きはどこにあるのだろうか。」

全文を紹介すると長くなるので、その後を要約(意訳)すると、ジャズが音楽として常に身近で日常生活に溶け込んでいるアメリカに対し、日常的とは言えず理論が優先し、しかも、学究的に聴かれる傾向が強い日本では、自ずと「価値観」にズレが生ずるとしている。 具体的には、ビートの違いを挙げ、この頃のアメリカのライフ・スタイルでは8ビート、16ビートが根付いているのに対し、日本ではまだ浸透していない(逆に軽くみられているかも)、と。

当時、ハバードの人気、実力を正当に認めている人達は多かったけれど、C・ロイドの時のように、人気が出ると「難癖」をつけ、恰も「ジャズを一番解っているのはオレ」とパフォーマンスする評論家とそれに便乗する連中が必ず出てくる。

その伏線となったのが、CTIの2、3作目、‘Straight Life’と‘First Light’ 。SJ誌でこの2作を同時レヴューした当時、辛口で鳴らしたA氏は極めて激しい口調でメッタ切りした。酷評自体、評論家として問題はないけれど、思想的反発を匂わせる内容が気になった。公平、公正に基づき、違う感性を持つレビュアーにも担当させるべきではなかったか、と思う。

それはそれとして、‘First Light’ はその年のグラミー賞に輝き、日米の「価値観」の違いが鮮明に出ている。なお、言うまでも無く、A氏の評は受賞より先に書かれている。

 

話を本題へ。

1975年3月に来日したハバードが、8日の名古屋公演を皮切りに各地を回り、17日、東京郵便貯金ホールでライブ録音されたもの(2枚組)。名古屋公演は打合せが不十分だったのか、兎に角、PAが最悪、ライティングも最低。たまたま顔を合せた知合いも首を傾げていた。

このままでは「アカン」とスケジュールを調べると、13日に京都公演があり、岡崎の「京都会館」(下のチケット)に追っかけた。さすがにPAもライティング・ワークもパーフェクト、演奏内容も最高でした。本作にも収録されている‘Kuntu’では照明を落とした中、一人だけスポット・ライトに浮かび、ロング・ソロを吹くハバードはまるで「鬼神」の如し。ホント、凄かった。

さすが、京都の文化に対する姿勢は違いますね。 

 

 

パーソネルは、

 Freddie Hubbard(tp, flh), Carl Randall, Jr.(ts, fl), George Cables(el-p), Henry Franklin(el-b), Carl Burnett (dr), Buck Clarke (cga, perc)

収録曲(2枚組)は、

Put It In The Pocket, Ebony Moonbeams, Spirits Of Trane , Kuntu, Midnight At The Oasis, Too High

 

スタイリスティックスのカヴァー‘Betcha By Golly Wow’はケイブルスだけを従え美しいトーンのflhで情緒纏綿に語り、ストレート・アヘッドな‘Spirits Of Trane’ではジャズ・トランペットの真髄とも言える「凄み」を聴かせる。

クラークのコンガをフューチャーしたアフロ・ナンバー‘Kuntu’、22分を越す気迫に満ち、他の追従を許さぬクリエイティブなパフォーマンスは圧巻! マリア・マルダーのカヴァー‘Midnight At The Oasis’、ライト・ファンクでありながら濃厚なハバードのtpブロウに痺れる。

ラストはスティーヴィー・ワンダーのカヴァー‘Too High’、噎せ返るようなファンクの香りのなかハバードとケイブルス、二人のアジテーターに身も心も踊らされる。

フレディのtpはどこまでもジャージーでスタイリッシュだ。

この‘GLEAM’は日本オリジナル制作で海外リリースはなく、長年復刻されないまま放置されていた。聞くところによると、来日ミュージシャンがこぞって買い廻り、外国の多くのフレディ・ファンからエアメイル注文が入ったそうです。 

 

 

 

この作品は、一部の評論家達からハバードに対するネガティブなイメージを植えつけられた方々には無縁で、今更、聴いてはいけない。自分の耳に失望し、眼力のなさを思い知るだけ。‘Kuntu’一発で卒倒するだろう。

ジャズを聴き始めて間もないフラットな耳を持つ方に聴いて欲しい。

数年前、やっとCDでリリースされた。

 

このライヴが日本で録音された事は誇りに思う。だが、反面、外国人、アーティスト達が高く評価しているにも拘らず、コレクターズ・アイテムになるまで蔑にした我が国のジャズ界は、嗚呼 ・・・・・・・・

 


SPECIAL EDITION 四部作 (ECM) ・・・ JACK DeJOHNETTE

2016-09-21 | ジャズ・ds

 

4枚のSPECIAL EDITIONは、フロントをロフト・ジャズの中心人物で固めているので、ロフト・ジャズのメイン・レーベル「インディア・ナビゲーション」のECM版と映っても不思議ではない。ディジョネット自身も「インディア・ナビゲーション」の作品に参加している間柄。

 

問題は、リーダーとしてディジョネットがその猛者達をどう料理するかに掛かっている。しかし、SPECIAL EDITIONはドラマーだけではないディジョネットの多彩な才能(アレンジャー、コンポーザー、キーボード、ボーカリスト、・・・等々)を浮き彫りにすることに力点が置かれ、良い意味でも悪い意味でも暴れ馬的なインディア・ナビゲーションのイメージが薄まり、ECMらしいきっちりとコントロールされた作品に仕上がっている。

D・マレイ、A・ブライスという筋金が入った1作目(↑)‘SPECIAL EDITION’(1979年録音)は翌1980年、DB誌で最優秀作品、またフランスではアカデミー賞に選ばれた作品。我が国のSJ誌ではどうだったか失念しました。

重量級の二人に対し、ディジョネットも果敢に打ち込んでいきスリリングです。 ただ、A-2での執拗なリフ・フレーズやディジョネットがメロディカを吹くコルトレーンの‘Central Park West’はテーマ演奏だけで終わり、意図するものが必ずしもプラスになっているとは思えない。

 

4作中、一番好きなアルバムが2作目の‘Tin Can Alley’、フロントがC・フリーマン、J・パーセルに替わる。

チコのtsが抜群に良い。負けずにパーセルも頑張っている。ディジョネットは前作に比べやや控えめ。A-2、イントロ部分では些か少女趣味的なpを披露している。また、B-2では4つ楽器の多重録音までも。

 

 

前作と同じフロントの二人にゲストとしてBaikida Carroll(tp)を加えた‘Inflation Blues’。音域がぐっと広がりグループ・エクスプレッションは豊かになり、面白みも増しているものの Carrollのマイルス・コピーに閉口する。‘Ebony’は軽いフュージョン・タッチが心地良い。タイトル曲は意表を突いたレゲエでボーカルまで聴かせる。

 

 

tsを再度、D・マレイに替え、H・ジョンソンを新たに加えた最終章。ラスト・アルバムが既定路線だったのでしょう、カヴァはゲート・フォールド、表・裏に家族写真、中にディジョネットのヒストリー写真、まるで一昔前の映画の「ハッピー・エンド」そのもの。演奏もどこかしこデキシー・スタイル風のアレンジも出て、この一枚だけ、前3作とやや趣を異にしている。

 

 

 

この4枚を総括すると、ディジョネットの隠れた才能を掘り起こそうとする試み、定型に囚われないチャレンジ精神や多芸ぶり、遊び心が盛り沢山詰め込まれている。そして評価も高い。

しかし、凡な自分の耳には半分も理解できていない。恐らく期待する視点が違うのだろう。

ディジョネットの一ファンとしては、一枚でいいからdsだけに絞り、つわもの達を率いて一気になだれ込む様な場外ホームランを打って欲しかった。

 

なお、4作ともエンジニアは異なるけれど、「音」はすこぶる良く、魅力です。


瞑想の清流をそっと ・・・・・ FISH OUT OF WATER / CHARLES LLOYD

2016-09-14 | ジャズ・ts

 

 

C・JORDANとJ・COOKの‘TWO TENOR WINNER’(Criss Cross)が目に留まった。曲目を見ると大好きな‘Song of Her’が。意外にも、作曲した本人、C・マクビーが入っていた。

‘Song of Her’と言えば、ロイド。久し振りに‘FOREST FLOWER /At Monterey’と‘THE WATER IS WIDE’(ECM)を続けて聴く。‘THE WATER IS WIDE’ではロイドのオリジナル‘LADY DAY’も凄く良い。

もう歯止めが効かなくなり、ECMの第一弾‘FISH OUT OF WATER’を引っ張りだした。タイトルは意訳すると、どうやら「落着かない・・・・」らしい。ロイドとECM、意外な組合せで、当時の心境、そのものだったかもしれません。

パーソネルは、

Charles Lloyd (ts)、Bobo Stenson(p)、Palle Danielsson(b)、Jon Christensen(ds)

録音は1989年7月、オスロ。リズム・セクションはもう説明無用ですね。

 

1968年、人気絶頂のロイド来日公演(キースは兵役問題で来日できず)を些細な理由で聴き逃し、ずっと胸にトゲが刺さったままだったが、もうかなり前、G・ピーコックとのデュオ・コンサートを聴き、長年のトゲがとれた。

異様なステージだった。小さなホールで避難誘導を示す灯りの他、最低限のライトのみ、二人のシルエットが辛うじて分かるほど暗い中、知らぬ間に始まり、いつの間にか終わった。一言もなく。これが「メディテーション」なのか。

 

本作は、まるでロイドの世界観をJAZZというフォーマットで朗読しているようだ。全てロイドのオリジナルで固められ、一曲一曲のクオリティもさることながらアルバムを通して「起・承・転・結」が見事に整っている。特にA-3の‘The Dirge’からグッと惹きこまれ、ラストまで一気に。しかも自然の流れで。

‘The Dirge’はコルトレーンが生き返ったかのようなスピリチュアルなバラードだが、ベタにならない所がロイドの魅力、完全にロイドの世界。

作曲の才能は折り紙付きで、本作でもラストの‘Mirror’を始め良い曲を書いている。

一滴のしずくが渓谷を経て、川幅を広げ時には急流となり、やがて穏やかに海にそそぐ清流の如し。

「いかさま商売人」とか「フォレスト・フラワーだけのB級テナー」と思い込んででいる人達には到底、届かぬ境地。

 

巷の噂では「意外と知られていない隠れ名盤」とか。それでいいんです、「知る人ぞ知る名盤」ほど、確かなものはない。

 

なお、どうでもいいことだが、W.Germany初版プレスLP(↑)と現在流通しているCD、再発LPではカヴァの中の絵が微妙に違う。違いを探すゲームみたいですが、直ぐ分かります。それと、Bobo以下のメンバーの列記方法が異なっている。


RVGサウンドの真髄 ・・・・・ LIFE TIME / ANTHONY WILLIAMS

2016-09-07 | ジャズ・ds

 

 

一説によると、ゲルダーはBNの録音をHI‐FIではなく、ごく一般的な再生装置でもジャズのスピリットを十分に感じられるような音造りを優先したとされる。裏を返せば、ハイ・ゲレードなオーディオ・システムより、むしろスタンダード・クラスの方がゲルダー・サウンドを堪能できると、言えなくもない。

ゲルダーはそのノウハウを非公開、つまり秘密にしていたので真偽のほどは定かでなく、全てが均一なレベルでもない。しかも時代により変化している。

 

A・ウィリアムス、18歳時の初リーダー作、‘LIFE TIME’(4180)。 

その昔、プアな装置で初めてゲルダー・サウンドの凄みを感じた一枚。 

 

 

パーソネルは、

Sam Rivers - tenor sax (Tr.1-3)、Herbie Hancock - piano (Tr.4-5)、Bobby Hutcherson -vibraphone, marimba (Tr.4)、Richard Davis - bass (Tr.1-2)、Gary Peacock - bass (Tr.1-3)
Ron Carter - bass (Tr.5)、Anthony Williams(Tony Williams) - drums, percussion (Tr.5 omit)

録音は1964年8月21&24日

クレジットされた全員が揃ったトラックは一曲もなく、小ブループに分かれ、ラスト曲はリーダーが外れハンコックとカーターのデュオで終わる変則な作品。実験臭さが無いワケではありませんが、それを上回るアカデミックでポエム的な雰囲気さえ漂わす快作。

主役は勿論、ウィリアムスですが、もう一人の主役がゲルダー。作品コンセプトを完全に把握したかのようなリアリティ重視の音造りは、もはや単なる録音エンジニアの域を超えていて、ライオンが全幅の信頼を置くワケですね。

カッティング・レベルが高く、普段、8:50位のボリュームが8:10で充分、更に上げても妙に強張された部分やノイジーさもなくナチュラルに伸びていく。

「お前如きのシステムで解ったような事を!」と笑われそうですが、ゲルダー・サウンドの真髄を体感できる一枚には違いありません。


ボビ・ハチ、ヴァン・ゲルダーを偲んで ・・・・・ DIALOGUE / BOBBY HUTCHERSON

2016-09-04 | ジャズ・vib

 

 

 

先月、B・ハッチャーソンとR・ヴァン・ゲルダーが相次いで亡くなったという。享年75、91。

ミュージシャンとレコーディング・エンジニアという立場こそ違え、BNとの関わりは大きい。特にゲルダーはあのゲルダー・サウンドとしてをBNの屋台骨を支えた功績は大きい。またハッチャーソンにしても人材が少ないヴァイブの世界で、所謂「新主流派」ヴァイブ奏者として数多くの名演を残している。

 

そこで、二人を偲んでボビ・ハチの初リーダー作を。所有盤はカヴァはオリジナル盤仕様ですが、ラベルはリバティ。ただ、ひょっとしてラベルだけ貼り替えたものかもしれないほど盤自体は重く、音もがっちりとしたゲルダー・サウンドそのもの。

 

録音は1965年4月3日、意外に遅い気がしますが、後述で。

メンツを見ると実力者、個性派がズラリ、なんだか不穏な気配が、そしてヒルの作品が3曲、チェンバースが2曲となると不安さえ・・・・・・

一見、チェンバースのオリジナル曲をそのままアルバム・タイトルにしているようだが、実は「ダイアローグ」、つまり各人の「対話・問答」を演奏コンセプトにしている。

1、2曲目まではともかく、3曲目、ヒルの‘Les Noirs Marchent’から左傾化し、B-1の‘Dailogue’はもう「フリー・ジャズ」ですね。ラストの‘Ghetto Light’(ヒル作)も怪しげなムードを撒き散らしている。

この頃、ボビ・ハチは既にマクリーンの新しいグループのメンバーに迎い入れられ、‘ONE STEP BEYOND’、‘DESTINATION OUT’、‘ACTION’を、また、ヒルの‘JUDGMENT’やドルフィーの‘OUT TO LUNCH’等々に参加していたのでこうしたプログレッシブ路線上の作品となるのも必定と思います。 

全体に対話というより「問答」に近く、なかなか手強い。

 

 

 

こちらがボビ・ハチの「幻の初リーダー作」、‘THE KICKER’。

1963年12月29日に録音されながらリリースは見送られ、36年後の1999年にCDで初出。

パーソネルは11月に録音された‘IDLE MOMENTS / GRANT GREEN’と同じ(但し、GREENは3曲のみ)。

出来映えは同レベルで決して悪くないが、続編の感じが強く、新人の初リーダー作としてのインパクトがやや弱い。ただ、チェンバースの名曲‘Mirrors’でのボビ・ハチのクリスタルなリリシズムは傾聴に値します。

 

 

ライオンはプログレッシブなセッションを通じ、この才能ある若者にコンサバのイメージが付く事を危惧し、「お蔵入り」させたのだろう。そして、一年半近いインキュベート期間を経て、1965年を象徴する過激な「初リーダー作」が誕生したのだ。

さすがライオン=BNですね。 


あわや熱中症? ・・・・・

2016-09-01 | ゴルフ

先月末(29日)、腰痛のため封印していたゴルフへ。

丸二ヵ月間、クラブを触りもしなく不安だったので先週末、腰の具合をチェックしに練習場に出掛けOKでした。

予報では台風が接近中で曇り、時々雨(この時期は最高)でしたが、なんと朝から想定外のドピンカー!

これは、アカンと思いポカリ3本(1本は凍らせたもの)の他、念のため急遽、コレを2本クール・ボックスに。これが大正解。

 

 

 

場所は恵那峡なので、多少はマシかなと思っていましたが、スタートの8:21時点でもうかんかん照り、しかも湿度が高い。

で、無意識に腰を庇っているのでしょうか、距離が出ず方向も不安定の中、6番までなんとかボギー・ペースで凌いでいましたが、7番ショート(174Y)、グリーンの左の崖下、OBすれすれに落としてから大崩れ、前半49。

 

INに入り、日差しがますますきつくなり黒のパンツを通してチクチクするほど。

生中で少し体が解れて来たのか、13番までにパーを2つ取り、さぁ、と思ったら急に頭が痛くなりだした。初めての経験で直感的に「ヤバイ!」と。急いで用意してきたアイスノンを首に巻き、もう一つを帽子の中に入れ頭部を冷やし、更に凍らせていたポカリを額に当てた後、一気に飲みほした。すると痛みが少しずつ和らぎだし、なんとかプレーを続行。

16番ショート(166Y)、バンカー越え30Yのセカンドはピン横1mにピタリと止まるナイス・リカバリーでしたが、無造作なパッティングでパー・パット外し集中力がもう限界でした。

ラスト2ホール共、ティ・ショットを曲げOB、結局47、トータル96でした。二ヶ月のブランクからしてスコアはこんなものでしょう。

 

それより熱中症対策と素早い処置、いい教訓になりました。