jazz and freedom and avenger

勝手気ままな戯事日記 暇つぶしに・・・・

ぶらっと新名神をドライブ・・・・・旧東海道・石部宿

2012-06-24 | 日記・エッセイ・コラム

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所用で大津まで行く事になり、折角なので、新名神信楽ICで降り、旧東海道、五十一番目の宿場町・石部宿に立ち寄りました。

 

「これより石部宿」と書かれた、失礼ながら如何でもいいような看板(しかも道路標識柱に付けられている)を見つけ、?マークが頭を過った。

 

 

その予感が的中し、町並みはご覧の通り、どことなく昔の宿場町の匂いを微かに感じさせますが、当時、本陣が二つ、そして1.6kmも両脇に旅籠等が建ち並んだ面影は殆ど無くなっていました。

 

やはり、本陣などのシンボルとなる建物が姿を消すと急速に様変わりが進みますね。

 

 

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ここは、宿からやや離れた所にある蔵元「北島」

文化二年(1805)から続く「御代栄」で知られる老舗中の老舗!

 

 

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生憎、休業日でした。残念!

 

 

 

 


街で見たナイス・カー  FORD F-150

2012-06-19 | 

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最近、自宅付近で、大排気量アメ車特有の「ドドドッ・・・・」というエンジン音が時々聞こえていました。 

 

 

近くのコンビニにタバコを買いに行ったら、ついに、コイツが現れた!

通称、「ワン・フィフティ」で呼ばれる米国でベストセラーのフルサイズ・ピックアップだ。

スゲェ迫力ですね。こりゃ、マンモスだよ!!!

まだ若いアンチャンが、「どうだ!」と言わんばかりの顔で降りてきた。

問答無用で納得するね。恐れいりやした!

 

 

そう言えば、去年、フェラーリがこの「F-150」の名称を無断使用したとして、FORDが訴訟を起こしましたね(その後、和解)。

 

 

FORDにしてみれば、名称権の侵害と受け取ったのでしょう。

なにしろ、「ドル箱」車ですからね。

 

 

 


ぶらっと三遠南信道をドライブ・・・・・設楽原合戦場跡、プラス桶狭間古戦場跡

2012-06-12 | ドライブ

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天正3年(1575)、5月21日(旧暦、現在の暦では7月9日)、織田・徳川連合軍(3万8千)と武田(1万5千)が激突した、世に名高い「設楽原合戦場跡です。

 

そんな歴史がなければ、どこにでもある長閑な山村の景色ですね。

 

 

ここが設楽原歴史資料館です。すぐ左奥に両軍の死者を弔う「信玄塚」もあります。8時間にも及ぶ大激戦だったそうです。

上の画像はこの資料館の屋上から撮ったもの。

中央の森の手前に、連合軍の大勝利となった要因の一つに挙げられる「馬防柵」が再現されているのが見えます。

 

 

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そこで、馬防柵」の近くに行ってみました。

 

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こんな感じですね。AVEが連合軍、耕運機が武田軍といったところでしょうか。

 

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最近の研究では、連合軍の大勝利という事実はともかく、定説・通説に対する疑問の声が多く挙がっており、なかなか興味深いものがあります。

 

周りにいろいろ、石碑が点在していますが、車での移動は限界があり、ここは一日掛かりの「歩き」の方が合っているかな?

 

 

今回のドライブはここで終わりましたが、後日、近くを通った際に訪れたのが、これまた、有名な「桶狭間の古戦場跡」です。場所は愛知県豊明市の国道1号線から一本中に入った所にあります。

設楽原の合戦の15年前、永禄3年(1560)の5月19日(旧暦)、まだ無名だった織田信長が今川義元を討った戦いですね。

 

3,000そこそこの軍勢で25,000もの大軍を奇襲により破ったとしてよく知られていますね。

 

でも、この定説、通説にも以前から多くの疑問が挙がっています。また、場所もここではなく違う場所の可能性も否定できません。

 

なお、今川軍の死者、2,500人、織田軍、830人、僅か2時間で決着したとの案内板がありました。 

 

 

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いずれにしても、この二つの戦いにより、信長が戦国時代のスーパー・スターになった事実は紛れも有りませんね。

 

 

 

 


ぶらっと三遠南信道をドライブ・・・・・鳳来寺、新城(設楽原合戦場跡)へ、その二

2012-06-08 | ドライブ

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JR東栄駅から151号線を今度は南下し、鳳来寺へ。途中、湯谷温泉でサッパリする予定でしたが、東栄駅で思いの外、時間を費やしたので、残念ながら、今回はパス。

 

ここ(↑)は、その表参道の入口。左手に見えるのが鳳来寺山名物「おかめ五平餅」で有名な「おかめ茶屋」。1930(昭和5)年の創業です。自家製みそダレが絶品ですね!

 

さぁ、スタートですが・・・・・・・・・・

1,425段の石段は堪忍してください!とてもじゃ、ありません。ここはパークウェイを通って山頂まで。

 

 

 

鳳来山東照宮で、重要文化財に指定されています。杉木立に囲まれ、なかなか神秘的な雰囲気が漂っています。確かに、山全体が霊場、パワー・スポットだけのことはありますね。

 

 

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パークウェイを降りると、「大正ロマンの香りがするカフェ・鳳来館」という看板が目に入った。

大正14年に旧大野銀行本店として建てられ、現在はカフェとして利用されています。

国の有形文化財にも登録されています。見学者、カメラ・ファンが随分いましたね。

 

 

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この界隈は、昔、大野宿として栄え、今でも、こうした町屋が続き、当時の面影を残しています。

 

 

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何気なく時計を見ると、既に4時を回っているではありませんか。

さぁ、設楽原合戦場跡へ急がなくちゃ!

 

 

 


こんな車、作っちゃいけません、新型シーマ

2012-06-04 | 

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所用で街中に出かけた際、日産ギャラリーの前を通った。

 

 

少し前に発売された新型シーマが展示されていたので、チョット覘いてみた。

 

フーガのハイブリッド・モデルにやや手を加えただけですね。

 

「ニッポン プライド」なんて、笑わせるではありませんか。

 

びっくりするほど立派なパンフレット、なんでわざわざ赤を使い、NISSANと入れるのだろう?

このセンスで凡その見当がつきますね。

 

 

こんな車、作っちゃいけません。

 

 


ぶらっと三遠南信道をドライブ・・・・・鳳来寺、新城(設楽原合戦場跡)へ、その一

2012-06-03 | ドライブ

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以前より、一度、戦国時代合戦史上、有名な設楽原の合戦(織田・徳川連合軍 X 武田軍)場跡をこの目で見たいと思っていた。

 

 

先日、新東名を通った時、三遠南信道の一部(ほんの)が開通していた事を知り、ここを通りながら、鳳来寺から新城へドライブに出かけた。

 

この三遠南信道とは、その名の通り、三河~遠州~南信濃(信州)を繋ぐ自動車道で、北の端(飯田~天竜峡)と今回、開通した(浜松いなさ~鳳来寺)南の端を除き、未開通です。

 

 

ここ(↑)が新東名と三遠南信との分岐点ですね。

 

 

交通量はご覧の通り(一車線)で、スイスイです。

 

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ただ、両サイド、随分、山深い感じがしますよ。

 

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現在、終点となる鳳来寺ICまで、約14km位なので、あっという間に・・・・・・

 

 

相変わらず、無計画に近いドライブなので、鳳来寺ICを降りて、さぁ、どうしようかな。

 

 

取敢えず151号線を北上し佐久間ダム方面に向かう。その途中、JR飯田線、東栄駅の標識を見つけ、どんな雰囲気なのだろう?と立ち寄った。

 

JR飯田線は今、秘境駅ブームで、ちょっとした人気路線ですね。

 

 

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長閑な田舎の駅ですね。しばらくぶらぶらしていると、一時間に一本位(上下線それぞれ)?しか走らない電車が到着することに気付き、折角なので待つ事にしました。

 

  

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やってきましたよ。

 

 

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豊橋発の上諏訪行きですね。

 

写真を撮っていたら、運転手さんが手を振ってくれました。

イャー、なかなか人情味ある方ですなぁ~

 

 

この続きは、次回に。