jazz and freedom and avenger

勝手気ままな戯事日記 暇つぶしに・・・・

MUSIC IS HERE / FREDDIE HUBBARD

2023-08-28 | Legacy of Freddie Hubbard

 

昨年、リリースされたアナログ2枚組。1973年、パリでライブ録画(録音)された音源。2011年にDVD”LIVE IN FRANCE”で一部が日の目を見ているけれど、オーディオ単独でリリースされたのは今回が初めてです。妙に発掘音源と煽らないスタンスが好ましい。

 

DVDと異なる収録曲は”Straight Life”の替りに”Sky Dive”と”Povo”が新たに入り、3曲→4曲に増えている点です。

 

1973年と言えば、CTIから”RED CLAY”、”STRAIGHT LIFE”、”FIRST LIGHT”、”SKY DIVE”と傑作、人気作、グラミー受賞作、話題作(K・ジャレット参加)を立て続けに発表し、スターへの階段を一歩一歩登り、翌年にはあのマイルスを人気投票で破り、人気、実力共にマイルスと肩を並べる存在になっている。

 

 

 

収録されている4曲は、良く知られているオリジナル作ですが、既発のレコード(CD)が持つ完成度より、ライブ演奏の魅力の一つでもある臨場感、エナジー感が堪能できます。中でも人気曲”The Intrepid Fox”(勇猛な狐)では、まるでコルトレーンがtpを吹いているのでは、と思うほど凄まじいプレイを聴かせてくれます。また、「日陰の男」、J・COOKのコルトレーン・マナーをマスターしたtsも聴き物ですね。

 

こちらがDVDの”LIVE IN FRANCE 1973”。”Straight Life”、”The Intrepid Fox”、”First Light”の3曲が収録されている。なお、YouTubeでも観れます。

 

リーフレットに載っている写真は当ライブと異なります。

 

マイルス以降では、他のtp奏者に大きな影響も与えた最高のトランペッターですが、90年代初頭以降、トランペッターとしては致命的な唇のコンディション不良、フィジカル面の問題に悩まされ、思うようなプレイが出来なくなったことは誠に残念です。タイトルはシンプルだが、ハバードの真摯なプレイぶりは50年後の今でも無双です。


どうする家康 ・「長久手古戦場」

2023-08-19 | 日記・エッセイ・コラム

天正12年、本能寺の変後、信長の後継問題で対立していた秀吉と家康が激突した「小牧・長久手の戦い」が、明日、大河ドラマ「どうする家康」で取り上げられる。「長久手古戦場」は自宅から比較的近いので改めて出かけました。現在は公園として姿を残している。

直ぐ近くにリニモの駅「長久手古戦場」があり、その先に愛・地球博公園「シブリパーク」が有ります。

石碑です。

郷土資料館です。徳川四天王は「酒井忠次・本多忠勝・榊原康正・井伊直政」の四人ですね。

 

この戦いで亡くなった秀吉側の大将格の一人、池田恒興(つねおき)の塚です。明治になり子孫が石碑を建立している。

近くに息子の「庄九郎塚」、娘婿、森長可(ながよし)の塚もあります。

 

あまり知られていないけれど、ここから2kmほど北へ上がったところに、家康が陣を張り軍議を開いたと言われる「色金山」があり、今は歴史公園として整備されている。

家康が軍議の際、腰掛けたと言われる床机石(しょうぎいし)です。夫婦連れの見学者が真似して、写真を撮っていましたよ(笑)。

 

木造の展望台です。

 

長久手の戦場が一望でき、遠くに見える塔は東山スカイタワー(動・植物園)です。ひょっとして、その向うに天下も映っていたのでしょうか。

犬山にある国宝茶室「如庵(じょあん)を模した茶室がありますが、熱中症を避け、早々に引き揚げました。

明日、20日の「どうする家康」はどう描かれるのでしょう。


ベッドよりステージを ・・・・・CONSECRATION & Ⅱ- the last / BILL EVANS

2023-08-10 |  Artistry of Bill Evans

1980年9月15日、大量の血を吐き病院に運ばれたエヴァンスは救急室のベッドから起き上がることなく、午後3:30、NYの空へ飛び立った。享年51。ジャズ評論家で友人の一人の言葉を借りると「音楽史上最も長くゆっくりとした自殺」と言われる。

目前の20日から日本公演が予定されていただけに、まさか!と。仕事(残業)の関係上、どうするか、見極め状態中のニュースであった。

 

 

死の直前、シスコの「キーストン・コーナー」でのライブ音源(8/31~9/7<一説には8?>)。1989年になって日の目を見た発掘盤もの。色々なヴァージョンがあり、ちょっとややこしいけれど、今回、UPしたカヴァ2種(上は2枚組)が、Alfaレコードの初版CDです。

 

 

この音源は曰く付きのもので、当初、M・ジョンソンは、録音されていないとか、録音されているとは知らなかった、とコメントしているけれど、この音のクオリティからしてマイクが立てられていないのは不自然だし、また、楽屋裏でテープが回っていることに気が付かないほど目が節穴ではないだろう。ラストものになると利害関係が複雑になる典型ですね。

 

 

 

大まかに言うと全部で133曲録音され、まず最初(1989年)に15曲(CONSECRATION)、半年後に8曲(CONSECRATION Ⅱ)が選曲、リリースされた後に68曲8枚組BOX・セット「CONSECRATIONーThe Last Complete Collection」、更に65曲8枚組BOX・セット「THE LAST WALTZ-THE FINAL RECORDINGS」がリリースされている。

TOPに選ばれた曲は知らぬ者はいない”You And The Night And  The Music”。縺れる指先、途切れるイマジネーション、ズレるテンポ、そしてそれを打ち消そうと鍵盤を強く弾くエヴァンスの気魄がこのキーストン・コーナーでのステージの全てを物語っている。そして全23曲、エヴァンスのハード・ボイルド魂で貫かれている。

DISC2ー3のマンシーニの「酒バラ」が目を引きますね。リズミカルにスキップするpはちょっと意外な感がしますが好きなプレイです。ひょっとして”The Shadow Of Your Smile”、”I Left My Heart In San Francisco”でも演奏されていないか、残念ながら133曲の中にはありませんでした。

選曲、曲順、共によく吟味されており、自分が一番好きなパートはⅡのラスト3曲の流れです。G・マクファーランド作”Gary's Theme”、晩年期の愛奏曲の一つでエヴァンスは<ゲーリーズ・ワルツ>とも呼んでいたそうです。”You Must Beliebe In Spring”でも演奏されているリリシズムの結晶、大好きな曲です。続く”Bill's Hit Tune”、”We Will Meet Again”で初めて録音された明るく希望に満ちたオリジナル・ナンバー。そして最後を締めるのはオリジナル曲の”Knit For Mary F”、この曲はDISC1にも入っているけれど、このヴァージョンはラストのラストに相応しく、荘厳ささえ湛えている。だから、敢えてダブらせたのだろう。素晴らしい選択、決断ですね。

この作品は特段、弁護士の耳で聴くまでもなく、その特性を積み重ねると「一家に一枚」のレベルを優にクリアしてくる。

体調が少しでもマシになり、もし、幻となった日本公演が開催されていたならば、記録にも記憶にも残るステージが生まれたかもしれない。

病院のベッドよりライブのステージを選んだエヴァンス、51歳の何倍かの人生を歩んだのだろう。


意外にも評価が ・・・・・HERBIE HANCOCK BLUE NOTE二作

2023-08-02 | ジャズ・p

 

巷でのハンコックの人気アルバムは一位が”MAIDEN VOYAGE”、続いて”SPEAK LIKE A CHILD”と言われる。二作の間に3年の歳月が流れ、前作は新主流派を代表する名盤と高評価を受けていただけに、次作が注目されていた。

両作ともにそれぞれ一つのコンセプトに基づいたアルバム作りがされ、注意深く聴き込むとハンコックのプレイ自体にそれ程、距離は感じられない。ただ、出てきたサウンドはまるで違う。大まかに言えばそれが1965年と1968年の違いだが、コルトレーンの死(1967年)が絡んでいる点を見逃すわけにはいかない。ジャズ界は密かに剛から柔へ舵を切ったと言えるだろう。

”SPEAK LIKE A CHILD”はピアノ・トリオ +3本のホーン、しかもホーンは後方でアンサンブルに徹するといった斬新なシフトが当時、話題になり、更にその抒情性とカヴァから滲み出る安らぎと一体化され評論家、ファンの間で絶賛に近い高い支持を受けた。

ただ、自分はどうか(リアルタイム)、と言えば、正直、困惑した。自分が好きなハンコックは新主流派の中でも、ソウル、ファンキーぽさを失わず、時にはフリー系までハードに切り込むプレイなので、自分が求めるハンコックではなかったし、むしろハンコック自らレベルを下げているようにも感じた。

この時期、プロデューサーはライオンではなく、D・ピアソンが多くなり、当作も彼になっている。どちらかと言えば、柔らか系、甘め系のスタンスですね。また、その前年、A&MレコードでCTI(クリード・テイラー) シリーズ(代表作が”A DAY IN THE LIFE / W・モンゴメリー)がスタートし、ハンコックも何作か、そのシリーズに参加し、少なからず影響を受けたのではないか?

我が国では「大傑作」とも言われるが、DB誌では二つ星半だった事実は何故か伏せられ、表面化しなかった。恐らくDB誌の評者はハンコックの本当の能力を力点にして、こんなものではない、と評したのだろう。それに反し、我が国の・・・・・・・

続編の”THE PRISONER”は更に5本のホーンを加え、今度はソロを取らせ、自らエレピも弾き、進化?のほどを披露しているが、甘みもかなり添加されている。”SPEAK LIKE A CHILD”を絶賛した手前、提灯持ち評論家達は後に引けず、同様に褒めたが、さすがに確かな耳を持つファンは反動で「駄作」と切り捨てた。

その後、数年、暗中模索時代を経て1973年、”HEAD HUNTERS”で大ヒットを飛ばしたが、ここにも自分が大好きなハンコックの姿を見つけられなかった。