有家のセミナリヨ跡は南島原市の街道沿い、油断すると車に引っ掛けられそうなところに、「地蔵堂」スタイルで建っております。季節によっては屋根の上に、ビワがなっていたりしますが。
町民センター、正式にはコレジヨホールというのかもしれませんが、そこに展示されていた銅版画の印刷機は、木製で大きなバッテン型のハンドルを手回しするタイプでした。もっとも、このタイプの印刷機の存在はイエズス会の通信などには見られませんので、はたして実在したかは疑問です。
しかし、この有家のセミナリヨで銅版画が描かれていたのは記録があり、間違いありません。
私は、たとえばマリア様の像が印刷され、文字の読めない信徒たちに護符としてくばられたのではないかと想像しています。
だとしたら、凸版にして、キリシタン版の書物を印刷した活版印刷機にかけても
印刷はできたでしょうが、現物がありませんから決めつけるわけには行きません。
町民センター、正式にはコレジヨホールというのかもしれませんが、そこに展示されていた銅版画の印刷機は、木製で大きなバッテン型のハンドルを手回しするタイプでした。もっとも、このタイプの印刷機の存在はイエズス会の通信などには見られませんので、はたして実在したかは疑問です。
しかし、この有家のセミナリヨで銅版画が描かれていたのは記録があり、間違いありません。
私は、たとえばマリア様の像が印刷され、文字の読めない信徒たちに護符としてくばられたのではないかと想像しています。
だとしたら、凸版にして、キリシタン版の書物を印刷した活版印刷機にかけても
印刷はできたでしょうが、現物がありませんから決めつけるわけには行きません。