活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

口之津の渦潮と印刷機の運搬

2006-10-27 17:32:31 | Weblog
 口之津の港は日本三大潮流の一つといわれる渦潮で知られる早崎瀬戸の近くにあります。とは、いいますものの、私は早崎瀬戸の渦潮のことは、まったく知りませんでした。「渦潮は鳴門の専売特許」のように思っている単純細胞の持ち主であります。
 
 さて、1590年(天正18)7月に、長崎に着いた印刷機材はしばらく、長崎に止めおかれたのちに、口之津のすぐお隣、加津佐の「天辺の丘」まで運ばれました。それらの機材はマカオからは、ジャンクに積み込まれてきましたが、おそらく、長崎で小船に積みかえられたと思います。

 そこまでは、いいのですが、加津佐の「天辺の丘」、海からそそり立つ崖の上の印刷所に、いったいどうして、大きな印刷機を運び上げたのでしょうか。
 私は、長崎から船で口之津の港まで運んで、あとは山道を迂回しながら「天辺の丘」にみんなで担ぎ上げたものと、長い間想像しておりました。そう、書きました。口之津は南蛮船が着くほどの立派な港でしたから疑いもなくです。

 ところが、昨年、県立長崎図書館の二羽正裕さんと周辺探査をしたときに、「ほらっ、あれが、渦潮です。大潮のときなんか、大変です。天正時代の小船では、とても印刷機材を積んで乗り切れるものではありません」と、あっさり、私の考えは否定されてしまいました。だとしたら、どういうコースで運んだのか、加津佐の近くにほかに、荷卸しできる港があったのでしょうか。まだ、思案中です。

 これは、蛇足ですが、そのとき、資料館近くの「新八寿司」にご案内いただき、ご馳走になったとれとれの地の魚の刺身のおいしかったこと、それこそ、ほんとうに、ごちそう様でした。
コメント
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