活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

ポルトガル人形がお出迎え

2006-10-17 12:04:57 | Weblog
 口之津、くちのつ、
 ここは、わが、活版印刷紀行にとっては、重要なベース基地の一つであり、日本最初の活版印刷、キリシタン版とは、深いかかわりがある土地です。
 島鉄の駅を降りると、道路ひとつへだてて、目の前が口之津港。
 1579年、イタリア人宣教師、アレサンドロ・ヴァリニャーノがこの港に第1歩を印したことで、すべてが始まったのです。
 
 彼は上陸したその年に、全国から60人もの宣教師を口之津に集めて、「これからは日本人宣教師を養成するセミナリヨやコレジヨが必要である。 また、そこで使う教材はヨーロッパから活版印刷術を持ち込んで、日本で印刷すべきである」
と、大演説をぶちまくりました。
 かくして、口之津はヴァリニャーノを通して、セミナリヨや活版印刷の生みの親になったばかりか、同じく彼が企画したことで、「天正遣欧少年使節」ともつながっています。

 しかし、なぜか、口之津駅前には、正体不明の大きなポルトガル人形が潮風に吹かれてたたずんでいました。たぶん、南蛮船に乗ってきた商人のつもりでしょう。港周辺の南蛮レンガを敷き詰めたシーサイド・パークといい、いくらか安直過ぎるきらいのあるのが残念です。
 そこで、司馬遼太郎さんが好意をもった「歴史民族資料館」を訪ねることにします。駅から海沿いの道を赤い「なんばん大橋」を目標に歩いて行きまた。

 
コメント
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