活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

大友宗麟とマンショ

2007-03-18 23:36:15 | Weblog
 8:30分の便で羽田を発ち、大分空港からホーバークラフトとバスを乗りついで、なんと、11時には大分駅前で大友宗麟の出迎えを受けることが出来ました。

 この宗麟、私が抱いているイメージより恰幅が良すぎる気がしました。
なぜなら、彼は家督相続のときから「大友二階崩れの変」に遭遇し、日本最初のキリシタン大名になった当座も、家中に反乱が起きて辛酸をなめています。
 さらに、南蛮貿易で利益をあげるため、織田信長やヴァリニャーノまでこの府内の地から遠隔操作をしたという経歴から、もっと痩身で神経質っぽくってもいいかと思ったのです。

 ところで、日本最初の活版印刷キリシタン版ゆかりの地、長崎各地を訪ね歩く私にたびたび去来したのは、「今から400年も前、いまでも都会とはいえないこの土地土地が、ルネッサンス期のヨーロッパとつながっていたとは」という単純な驚きと、それをもたらした人への賞賛でありました。

 それに登場人物として主役をはった4人の遣欧少年使節も12、3歳で出発し、いまでいうなら成人式直後に帰国した若者だったではありませんか。
 4人のうち3人までは、長崎でその生地を訪問出来ましたが、例外は、ただひとり日向、いまの宮崎県西都市出身の伊東マンショでした。

 マンショは母が大友宗麟の係累というので、正使に任じられたことになっています。ユニークな県知事登場で話題の宮崎をあとまわしにして、今回、豊後の大友宗麟ゆかりの地を訪ねることにしました。
 
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