活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

拓本も一種の「印刷」か

2008-07-04 08:48:44 | 活版印刷のふるさと紀行
 梅雨の晴れ間、茨城県の水戸と大洗を訪ねました。
 例によって、あの、ながーい名前「印刷懇話会 神田川大曲塾」の歴史探訪でした。

 水戸での訪問先は現在放映中のNHKドラマ『篤姫』ともゆかりの深い水戸藩校
「弘道館」です。
 明治維新を目前に揺れる日本の中で、徳川斉昭(なりあき)が描いた教育・学問構想に、あらためて感心させられたことはいうまでもありません。

 モチロン、館内に版木の展示もありますが、それはさておいて、私が関心をもったのは、館を出たところにあった売店の数多くの「拓本」でした。

 実は、私が知らなかっただけで、『水戸拓(みとたく)』といい、有名だったのです。
 
「主人がここで、ひとりでずっと刷り続けて水戸拓を守り続けてきたのですが
ある朝、起きてこなかったのです」
 ご主人の名は北澤彦一さん。明治になって弘道館内で版元だった北澤家には光圀や斉昭、藤田東湖の遺墨ともいうべき版木が百点以上もあったといい、1928年生まれの彦一さんは15歳から水戸拓作りに励んで来られたのでしたが、さきごろ急逝されたそうです。。

 わたしたちが館内でレクチャーを受けた弘道館の設立構想趣意書ともいうべき「弘道館記」や斉昭の「巧詐不如拙誠(こうさはせつせいにしかず)」が多くの来店客をひきつけるとのことでした。


 私自身、かつて西安などで拓本には多く接しましたが、ふっと訪ねたこの売店で
奥さんの澄江が控えめに、涙混じりに話してくださったご主人と「水戸拓」の話から、そうか、拓本の刷りも「印刷」ではないかと考えたものでした。
コメント
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