活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

幕末と明治の博物館で

2008-07-06 10:53:48 | 活版印刷のふるさと紀行
大洗にある「幕末と明治の博物館」は、明治天皇のときに宮内大臣をつとめた田中光顕が創立、1929年(昭和4)からの歴史を持つ博物館でした。
その性格上、明治・大正・昭和の三代にわたる皇族ゆかりの展示品が多いのは当然ですが、土地柄でしょうか、徳川慶喜の書をはじめ、幕末から明治期に勤皇の血をたぎらした志士たちの書画・遺品がたくさん展示されておりました。

 印刷物では幕末の木版ものや時代がずっとさがった明治・大正以降の国定教科書がみられましたが、残念なことに活版初期のものは見当たりませんでした。

 幕末から明治といえば、日本の活版印刷の揺籃期であります。「お宝」を期待したのですが、残念。

 ここで思い出したことがあります。
 秀英舎(いまの大日本印刷)を1876年(明治9)に興したひとり、佐久間貞一は
幕臣でした。彼は起業する前、水戸弘道館の至善堂にに蟄居していた徳川慶喜を
駿府に送る一隊のひとりであったという言い伝えです。

 話は、その水戸の弘道館に戻りますが、あそこが天狗党による弘道館の変で焼き討ちにあったのは、1868(明治元)でした。その十年ほどあとに起こった西南戦争のころには、活版印刷で「東京日日」や「郵便報知」が戦況を詳報したといいます。

 もし、弘道館の戦いで焼き討ちにあわなければ、水戸学で名高い学問の地ですから、弘道館にしろ、大洗の幕末と明治の博物館にしろ、われわれ大曲塾の研究課題のひとつ、「印刷文化史」に役立つ素材がもっとたくさん見つけられただろうと残念に思いました。

 
コメント
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