活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

推理ドラマ仕立てで考える活字印刷

2009-06-26 13:46:10 | 活版印刷のふるさと紀行
1590(天正18)年、8年半ぶりに故国の土を踏んだドラードは、神と共にあるこれからの自分に「日本での印刷人としての使命」を重ねていたはずです。
ゴア滞在中に手がけた小冊子『マルチノの演説』やマカオで取り組んだ本格的な『キリスト教子弟の教育』や『遣欧使節対話録』が彼に自信を植え付けてくれていたからです。

 しかし、この時点では印刷所をどこに置くか、どんな印刷物を、どういう刊行順序で印刷するかは決まっていませんでした。すべては、師、ヴァリニャーノの胸のうちにあり、その師自身が同じ船で着いたばかりですから無理はありません。

 ヴァリニャーノがコレジヨのある加津佐で在日の神父を集めてイエズス会の評議会を開催し、ドラードに印刷のゴーがかかったのは、早く見てもその年の夏すぎではなかったでしょうか。ともかく、1591年には加津佐で『サントス』が出て、翌92年には印刷所が引っ越した先、天草で『どちりな・きりしたん』が本になっています。

 DTPで本作りしたわけではありません。いまから400年以上も前、日本で初めての金属活字を使った印刷です。おまけに、『どちりいな』の方の活字は日本文字です。ドラードの意気込みだけでは可能なはずはありませんし、ドラードと同道した
アウグスチィーノや向こうから連れて来たペッセなどの印刷熟達の士を入れても
とても短時日で出来る作業量ではないのです。それこそ、推理ドラマもどきで解明せねばなりません。

 

 

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