活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

人車鉄道の話

2010-01-10 17:31:09 | 活版印刷のふるさと紀行
 神田川大曲塾の初詣は欲が深い。というよりも、編集者、カメラマン、デザイナー、大学教授、印刷関係者と塾生の職業も年齢も幅が広いので初詣ついでに寄りたいところ、見たいものもマチマチになるのですが、さすがに、柴又とくれば、「矢切の渡し」、「寅さん記念館」が上位を占めました。

 実は私は寅さん記念館ははじめて。寅さんには申し訳ないのですがそこで私が一番興味をもったのは、ミニチュア模型で展示されていた「帝釈人車軌道」という名の人車鉄道でした。明治32年から大正はじめまで現在の東京葛飾区の金町~柴又
間を走ったという人車鉄道でありました。

 最盛時には6人乗りの客車?が64両もあって、かなり利益をあげていたといいます。運賃は片道5銭、往復9銭、あんパン1個が1銭の時代ですから、わずか1.5キロの区間にしては高かったのではないでしょうか。

 明治5(1872)年に新橋~横浜間に蒸気機関車の引っ張る本格的な鉄道が開通しているのですから車丁がうしろから人力で押すのが珍しくなかば、遊園地気分で受けていたのでしょう。かつて鉄道開通時の切符の印刷を調べたことがありますが、柴又行きが赤,金町行きが白、往復が青だったという乗車券は活版だったはずですが現物を見ることはできませんでした。
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新年を迎えて

2010-01-10 15:47:01 | 活版印刷のふるさと紀行
 すでにご存じの方が多いと思いますが、いまから5年前に発足した印刷文化の研究グループに「神田川大曲塾」があります。
なぜ神田川大曲かといいますと、大曲にある「印刷博物館」を活動拠点としてスタートしたからです。発足の時、塾長の樺山紘一先生がおっしゃったことで私の記憶に残るのは、「活版印刷の始祖グーテンベルクとゆかりの深いドイツ、ライン川左岸のマインツと神田川のほとりの大曲とは流域の印刷文化や博物館の所在、そして大きく曲折している類似点があります」というくだりでした。

 塾活動を励まそうという諧謔まじりのご発言であったことはいうまでもありませんが、その神田川大曲塾がまがりなりにも5年目の新年を迎えたことは塾生一同にとって実によろこばしいことです。
 そこで、時間がとれた塾生20人ほどで「柴又七福神めぐり」と「帝釈天初詣」を
しました。

コメント (1)
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