活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

ヴィシェグラードと「解読不明」の話

2010-01-22 12:53:04 | 活版印刷のふるさと紀行
 昨年の暮、印刷産業連合会のY夫妻とボスニア・ヘルツェゴヴィナを
訪ねました。そのときの話。

 サラエボで冬季オリンピックのあったのは1984年でした。しかし、
1992年から96年までボスニア・ヘルツェゴビナ紛争があったせい
でしょうか、日本人にとってサラエボは遠くなってしまいました。
サラエボのビール工場の直営レストランで「日本人客は領事館の人ぐら
い」と珍しがられたくらいです。

 そのサラエボから車で3時間、ヴィシェグラードに行ってみました。
ボスニア生まれのノーベル賞作家アンドリッチの『ドリナの橋』で有名
で世界遺産の「メフメット・パシャ・ソコロヴィッチ橋」が目的でした。

 ボスニア紛争のとき、ドリナ川にかかるこの11連の美しい橋がムス
リム人虐殺の舞台になったとは信じがたいような景色でした。

 それはさておき、ボスニア語・クロアチア語・セルビア語の飛び交う
地に足を踏み入れてみて知りたいことがありました。
 それは、このあたり、いわゆるスラブ世界の言語と書物については
「キリル文字」による読み書きが残っているように思っておりました
から目を皿のようにして印刷物や看板に見入ったのでありました。

 しかし、私の目ではまったく確認できませんでした。せっかく求めた
のに、写真の文字も解読できません。いや、はやです。
コメント
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