活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

長者になった平野富二

2010-11-03 09:35:22 | 活版印刷のふるさと紀行
 いうまでもないことですが平野富二という男にはとてつもなく経営の才がありました。
時の権力に迎合したりしない反骨の人といわれながら、時代の潮流を見抜き、機敏に行動する人でありました。
 
東京に出てきたのが明治5年、神田から築地に移転してからわずか2年、明治8年30歳のときに出資者からの借金を完済しています。
「よし、これで己の希望した道へ踏み出せる」と、思ったかどうかわかりませんが、翌、明治9年石川島平野造船所を創業します。

 驚くのはそれから3年目に福澤諭吉を招いて小型蒸気船第一通快丸の進水式を行っています。小型船が多かったにせよ、これが創業以来7隻目といいますから口アングリです。

 片や活字の開発・製造にも力をいれますし、営業面でも中国に支店を出したり積極的でした。ここに明治22年(1889)の「現今長者鑑」、長者番付があります。
東前頭5枚目、年収300万円、『富二奔る』の中でこのことを紹介しておられる片塩二朗さんによると、現在の物価水準になおすと、1250億円になるそうです。
「たとえ、話半分としても625億円というとんでもなく膨大な年収があったようです」と
片塩さんも驚いておられます。18年前、長崎から1000円を握りしめて出てきた男が1250億円、明治という時代、志に向かってまっしぐらの明治の男の典型でしょうか。
コメント
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