活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

築地活版製造所の運命

2010-11-13 15:12:42 | 活版印刷のふるさと紀行
 企業には消長がつきものです。山一証券や日航など、「まさかあの会社が」と、みんなが驚くようなケースを私たちも見てきました。たぶん、平野富二創業の築地活版製造所も「まさか」の例だったようです。

 ここに掲げた築地活版製造所の社屋写真がいちばんポピュラーですが、正確な撮影年月日はわかりません。おそらく、明治25年に死去した平野はこの建物は目にしていないと思われます。

 号数活字で評判になり、ポイント活字の野村宗十郎時代に黄金時代を迎えたころの雄姿ではないでしょうか。明治末期の築地活版製造所の所有地所は851,13坪とありますから写真で見るほどの大きさではなかったようです。

 それにしても運命を狂わせたのは関東大震災の被災によるものでした。
 大正12年4月、大正11年後期株主総会で「頗ル繁盛ヲ極メ前期ニ比シ大差ナキ収利ヲ得タリ」と最高利益に胸を張ったのに、9月1日、建てたばかりの築地の本社工場と月島工場を焼失、150万円以上の損失を出してしまいました。

その焼けた本社工場は鉄筋4階建て、外から見ると屋上が柔かいウエーブを描いていました。
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