活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

本木昌造の八丈島

2012-11-26 14:23:37 | 活版印刷のふるさと紀行

 連休に八丈島に行って来ました。

 こう書くと、空港やホテルの土産物コーナーにそっくりそのまま「八丈島に行って来ました」というタイトルのクッキーだったか、サブレだったか、きれいなパッケージが積み上げられていた光景を思いだして思わず笑ってしまいました。

 なんの物音もしないホテルの窓いっぱいに広がる太平洋に相乗りの釣り船が魚群を求めてグルグル回っているのをじっと見ているのは悪くありませんでした。

 島が東京都八丈町で、富士箱根伊豆国立公園のひとつとは知っていても、こんなに心休まるところとは。羽田から実飛行時間は40分あるかないか、これで飛行機代がもっと安ければ何度も来たくなるというのが実感。往復で2万5、540円です。

 ところで、八丈島は本木昌造がヴィクトリア号船長の頃、漂流の挙句、幕府からの迎えの船を待つ間50人をこえる乗組員と滞在した島で、印刷史とも無縁ではありません。時代は元治から慶応に変るころ、島には流人が300人もいたといいます。

 もっとも船長本木昌造も機関士として乗組んでいた平野富二もまだ、「印刷」には直接かかわりがなかったときの話です。

 しかし、本木はここで島の女性とねんごろになって、こどもを授かっています。平野にはいっさい女性との話はなかったようです。八丈というと流人頭だった近藤富蔵のかずかずのエピソードが知られていますが、本木と近藤富蔵とのかかわりなどが残っていると面白いと思いましたがだめでした。ただ、ひねもす、海や八丈富士とむかいあって島焼酎をチビリチビリとやるのは至福の時間ではないでしょうか。

 

 

 

 

 

コメント
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