らびおがゆく Vol.3

山形県を中心とした演奏活動等

R.シュトラウス:交響詩『ドン・キホーテ』 op.35

2008年11月30日 23時57分57秒 | お気に入りのCD
 私個人的な好みとして、大人数のオーケストラより少人数のオーケストラ編成の方が好きだ。古典派の音楽やバロック音楽さえ演奏出来れば何の不満も無い。だから所属している山形響の規模は満足している。

 大は小を兼ねるというが、オーケストラでも社会の中で経済生活をしなくてはご飯を食べられないので、大きいオーケストラの場合、モーツァルトの演奏会をやって休みになってしまう余剰の団員さんを有給休暇扱いにして、なおかつオーケストラを小規模という理由から安く売っていては会社としてはやっていけないものである。だからなるべく大規模な編成のオーケストラを高い値段で買い取ってもらった方が良いという事になる。ただこの手の曲を振る事が出来る指揮者は、大抵ベテランでギャラも高い。経験が無い若い指揮者にはなかなかまわってこない演目という事になる。練習日数が多くなるのも、ネックになる。依頼演奏会というより定期演奏会の演目と言えるかもしれない。

 山形響に対して、依頼演奏会の場合はマーラーやブルックナー、ショスタコーヴィチ、R.シュトラウスなど大規模編成の曲を演奏して欲しいという依頼はまずない。これらの作曲家の作品を演奏するには大量のエキストラを必要として、かえって大人数のオーケストラより高くついてしまうという事情もある。

 定期演奏会などでもこれらの作曲家の作品を演奏する事は何年に一回である。(最近はブルックナーに関しては、少人数で演奏しているが)。

 ~~~~~~~~~~~~

 私はR.シュトラウスという作曲家が大好きだ。山形響では入団してから約10年演奏していない。もちろんその大規模な編成のせいである。

 フリー奏者の時は大人数が必要なため色々なオーケストラで年に何回も演奏していた。思い出すと小澤征爾&新日本フィルでアルペン交響曲を演奏する九州ツアーに参加した事もあった。毎日エキサイティングで楽しかった思い出である。最終日の打ち上げで小澤さんのおごりで全楽団員の飲み会があって、盛り上がり過ぎだとベテラン団員さんに怒られたような記憶が。笑。今は演奏する機会が無いので、少し寂しい。

 R.シュトラウスの管弦楽曲の中に「ドン・キホーテ」という曲がある。チェロとビオラのソロがある大規模なオーケストラの曲だ。副題は「大管弦楽のための騎士的な性格の主題による幻想的変奏曲」とついていて、所謂変奏曲である。

 今日あげたCDは、カラヤンとロストロポーヴィチという大物同士の共演で有名な一枚で、仏ADFディスク大賞、モントルー国際レコード賞受賞等々を受賞した名盤と言われている。

 カラヤン&ベルリンフィルの全盛期の録音で、ドン・キホーテ役のロストロポーヴィチのチェロが雄弁に歌う。

 演奏は大変素晴らしいものだが、それだけならフルニエ盤でもマイスキー盤でもシュタルケル盤でも同じように良い演奏なので、私の特別な思い入れはないだろう。

 このCDをあげた最大の理由は、サンチョ・パンサ役でソロヴィオラを担当しているのが、私の音大時代の恩師ウルリヒ・コッホ先生なのだ。

 先生の若い頃の演奏だが、先生特有の音色がたまらなく良い。

 学生時代のレッスンで見本を示してくれた音色そのものだ。暗くなりがちなヴィオラの音色なのに先生の音色は明るい。彼の人柄が現れている音色なのだ。真似しようとしても誰も真似が出来ない特別な音色!!

 先生が亡くなって10年以上経つが、いつでもCDを聴けばそこに先生が存在する感覚がよみがえる。

 レッスン中にこのCDの事を会話した事があった。

「私にとってカラヤンと沢山の弟子達と共演出来た事は本当に良い思い出だよ。あっロストロとも共演したんだよね。本当に良いチェリストだ。チェロソロの方がヴィオラソロより目立つしね。ただあいつは禿げていて、俺には今だにたっぷり髪がある。俺の勝ちだね。笑。」と櫛を出して、髪の毛を整えるふりをした。

 上の言葉はもちろんドイツ語の会話だったので保証はしないが、こんな感じだったような・・・・・。

 学生時代の貴重な先生との思い出だ。
HMVジャパン
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新庄市民文化会館

2008年11月28日 23時52分43秒 | 山形交響楽団
 本日は阪哲朗指揮山形交響楽団の演奏会が、新庄市民文化会館でありました。

 昭和63年に発行された読売新聞山形支局~あうん社による「どれみふぁ奮戦記」に新庄市民文化会館についての記述があります。

 昭和49年山形響創立間もない頃、創立者村川千秋氏は山形県内各地に足を運んでその売り込みに懸命になっていたそうです。その中で、山形響の演奏会をさせてくれと新庄青年会議所に営業に行き、演奏会を勝ち取った経緯が説明されています。

 その後、新庄青年会議所のメンバーが中心になって「山響新庄友の会」が設立されて、同年7月に新庄で初めての定期演奏会が実現しました。

 新庄市では、十数年ぶりの生のオーケストラ演奏となって、新庄市中央公民館は満員の1000人を越す聴衆で埋め尽くされたそうです。こうした「友の会」は酒田市や鶴岡市でも結成されましたが自然消滅したそうです。

 山響新庄友の会はピーク時で個人350人、親子は70組にものぼっていて、年に2回の定期演奏会とクリスマスコンサートを主催していました。

 その活動の中から「もっと音響のいいホールで山形響の演奏を聴きたい」という声が高まり、市民文化会館を設立しようという市民運動まで発展していきました。

 「友の会」のメンバーは山形響の演奏会のたびに募金を募ったり、市側に建設の要望を出したりしていたそうです。

 昭和56年10月市民文化会館は現実のものとなり、こけらおとしには市民と山形響による「第九」の演奏会が行われました。

 その後、「友の会」は目的を達成したために発展的に解散しようと考えているという所で、その文は終わっています。

 「山形響が定期的に来てくれなかったら、文化会館は出来ていないのではないでしょうか。」

 「大きなコンサートはこれから市側が主催してくれると思いますし・・・・・」

 ~~~~~~~~~~~~
 本を読み返して昭和の熱い時代が感じられて、羨ましいとまで思いました。当時の人達はすごいです。 
 
 現状として市側の財政悪化にともなって、山形響の新庄演奏会は年々行えないようになってきてしまいました。本日の演奏会は、第44回新庄市芸術祭事業の一環として、新庄市教育委員会と山響コンサート実行委員会によって主催されました。

 上記のような経緯で建設された新庄市民文化会館で演奏会を行える事は、我々山形響の団員にとって名誉な事で、今後新たな歴史(関係)が築かれてゆくことを切に願います。

 本日の演奏会は演奏していても大変楽しむ事が出来ました。ご来場のお客様、スタッフのみなさまありがとうございました。
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11月27日です。

2008年11月27日 23時02分50秒 | 雑記
 今月もあと4日で終わりです。慌ただしい師走になります。
 
 東京など大都会に比べると田舎は季節感というものがあって、師走はちゃんと年納めの雰囲気が漂います。東京に居た頃は季節感など無く、師走は「第九の季節」「胡桃割り人形」「メサイヤ」などでお金を稼ぐ時期で・・・・・。そのままジルベスターでニューイヤーでみたいな。クリスマスなどを恋人と一緒にというのもなく・・。汗。

 田舎の人は、盆暮れ正月というのを大切にしているのがわかります。家族と休むというのは大切な事です。

 自分が田舎に移住してきて、年とって、そういう事を感じるようになったからかもしれません。


 昨日から山形響新庄演奏会のリハーサルがはじまりました。今年2回目の客演首席指揮者阪哲朗氏の登場です。彼にはもう少し登場して欲しいと個人的には思っています、ドイツの歌劇場とのスケジュール調整が難しそうです。

 きっと良い演奏会になるでしょう。師走の前、最後の息抜きにどうでしょう?

 最上地方のみなさま。

 
 それが終われば師走で、久しぶりの山形Qの定期演奏会(12/3)です。ここにきてまだまだ仕上がったとは言えない所が苦しいです。あと1週間頑張るしか無いっすね!モチベーションをあげてゆきましょう。

 その後、衆議院選が行われるかも?ということで延期になっていた山形響白鷹町の演奏会が行われます。手作り感満載の地域起こし演奏会です。毎年行っていますが、今年はロマン派のシューベルト交響曲第5番他を演奏します。指揮は久しぶりに留学から帰国した大井君です。こちらも楽しみ。

 その後、東根市の市制施行50周年の記念演奏会です。W.A.モーツァルト戴冠ミサ曲ですが、ヴィオラパートはお休みです。大好きな曲なので聴きに行こうかな?

 定期演奏会~第九と続きますので、今年も終わりまで気が抜けません。

 年末まで、風邪に気をつけて頑張ります。

 (写真)昨日の文翔館の庭内~少し暖かくて良かった。雪の準備万端ですね。
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ごめんなさい。

2008年11月26日 23時20分08秒 | 山形弦楽四重奏団
 こういう事を書こうとする時、どういう言葉で書けば良いのか?

 山形弦楽四重奏団第29回定期演奏会が12/3(水)に迫っています。お誘い合わせの上ご来場下さい。




~~~~~~~~~~~~~~

 結論から言いますね。その次の第30回定期演奏会(09年1月31日土曜日)からチケット代を値上げさせて下さい!!

 第1回~29回まで全席自由1000円で演奏会を維持してきましたが、色々な諸経費が値上がりしていて、自分達の持ち出しで演奏会を続けてゆくことに多少無理が出てきました。

 チラシの紙の質を落としたり、受付の頼む人数を3人から2人に減らしたり、ソリストへのお礼をおまけしてもらったりと色々頑張りましたが、それだけでは難しい面が出てきました。

 もともと自分達が演奏する機会を得るという事で始まった活動ですが、話し合った結果「値上げ」という結論になりました。第29回定期演奏会の時にも口頭で説明しますが、ご了承下さい。数回のアンケートなども検討材料に、山形響の他団員さん達のリサイタル等のチケット代の一番安いくらいの所まで値上げしようという事になりました。


 値上げ後のチケット代は1500円(全席自由)・2000円(当日)です。

 前売り券を買っていただければ、お得かと思います。

 これからも変わらぬ応援を宜しく御願いします。
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たまには。

2008年11月24日 23時37分36秒 | 雑記
 山形Qのメンバー中爺君は、お酒が大好きで自身のブログでもお酒の話をたまに書いています。私はお酒を毎日のように飲む習慣が無いのですが、たまの人との交流だったり、気分転換で飲む事が最近多くなってきました。

 実はBeerはそれほど飲みません。お腹がすぐいっぱいになってしまって、食欲が落ちるからです。Beerで乾杯してからではなく、いきなり日本酒を飲む事の方が多いです。しかし、昨日は「エビス生」があったのでジョッキで一杯いただきました。美味しいですねエビスは。日本酒と言えば新潟のお酒~例えば「八海山」「〆張り鶴」などが私にとっては美味しいのですが、山形県にも自分の口に合うお酒が在るはずだと思って、山形県内の居酒屋さんなどに行くと地酒を頼む事が多いです。地産地消が大切ですからね。

 昨日の山形響定期演奏会に来てくれた大学の先輩と私達夫婦とVn協奏曲で素敵な音色を奏でてくれたG津さんと終演後飲みに行きました。日曜日でなじみのお店が閉まっていたので、G津さん宅の近所の居酒屋さんに行きました。さすがG津さんお勧めのお店なので、刺身や料理が美味しいし、沢山の種類のお酒が並んでいました。

 以前に山形銀行鈴川支店さんで演奏した時に飲んだ「秀鳳」があって、その生酒を堪能。このお酒は、佐藤敏直先生のご子息が山形Q第23回定期演奏会の時、プレゼントしてくれた「鯉川」の次に気に入りました。お酒の味もわからない人がお酒を語っているよと言わないで下さいね。素人だからこそ、沢山の能書きを書けるのです。笑。

 大学の先輩とG津さんは、その後爆走して一升ほど空けていました・・・・・・。帰る意志が全くなさそうなので、今日は午前中から高校でレッスンが有ると言って、散会になりました。

 今日のレッスンで、高校生もだいぶ形になってきました。試験まで後少し!頑張りどころです。

 
 と書いてきましたが、最近はもっぱら焼酎派になりつつあります。爆。
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笑う門には・・・・。

2008年11月23日 23時13分45秒 | 音楽
 上の写真の物体は何だと思いますか?
積み木のようだし、ただの木片のようにも思えるし・・・・・・。

 ヒント
・私のブログを読んでくれたみたいで、山形響のチェロ首席の宮城 健君(宮城県じゃないです!)がくれたものです。

 

 答え
・私の新しくしたステレオのスピーカーの下に固定して、振動を抑える物でした(スピーカーの足かな?)

 この木片は買うと結構高いらしく、ハンズの木材で自主制作したらしいです。宮城君凄いなぁ~~。早速試してみると、今まで聴いていたCDが、各パートがちゃんと分離して聴こえてくるし、気に入らなかった演奏のCDも良く聴こえてくるのが不思議です。

 振動って、ステレオに悪いものだったのですね・・・・。あまり詳しくなかったので、「へぇ~~」でした。オーディオって奥深い世界なのですね。

 特にSACDが、格段に音質向上します。山形響の先行発売のCDを聴いてみました。
     

 凄いなぁ~自分達の演奏じゃないみたいです。今までの山形響CDの中では一番良いかも!!?買っていない方はすぐにでも買って聴いて下さい。一家に1枚どうぞ。
HMVジャパン

他にクイケンQのモーツァルトレクイエムSQ盤を聴いてみても、大変具合がよろしいようで!!

 ありがとう!!宮城君。

 

 今日はもう一つ(もう二つ?)貰い物がありました。

 昨日の山形響定期演奏会のGPの前に高校までレッスンに行って来ました。生徒のお母さんが珈琲をくれました。私の珈琲好きがここまで浸透しているなんて嬉しいです。

 終演後、恒例の交流会に顔を出したら、もうかなり仲良しになったハンナさんからケーキをいただきました。

 美味しいケーキと珈琲をもらうなんて、なんてタイミングの良い日でしょう!!

 家に帰ってから、じっくり楽しませてもらいました。疲れた体を癒しつつ、今日の2日目の定期演奏会も頑張ります。

 ハンナさんと生徒Aさんのお母さんもありがとうございました。感謝!!
     

 シューマンは演奏していて楽しいし、ベートーヴェンのVn協奏曲はソリストがもの凄い良い演奏してくれたし、幸せな気分で寝る事が出来ます。



 W.R.Wagnerは?   へへへ・・・・・。

 好きなんだけど難しいんだよねこの作曲家は・・・。

  楽しめるなんてまだまだ・・・。
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佐藤敏直 弦楽四重奏曲第1番(1964)その2

2008年11月21日 23時42分29秒 | 山形弦楽四重奏団
 J-POPを聴く人などは、新曲が出たら真っ先に聴きたいと思う傾向があります。贔屓のアーティストが歌うならば、その新曲に興味があるのです。もちろん昔の曲を思い出や懐かしさから聴く人もいますが、そのアーティストが好きだから聴くのであって、例えば松田聖子さんの曲を安室奈美恵さんのバージョンで聴くという習慣は長らくあまり見かけませんでした。

 ここ数年、やっと徳永英明さんに代表されるように以前のヒット曲をカバーするという事が、とてもポピュラーになってきました。名曲を歌に自信があるアーティストが再びとりあげ始めたのです。ただの商業音楽~消費音楽から一つの作詞作曲された曲として残る動きとも言えるかもしれません。

 一方、クラシック音楽ファンのほとんどは、古の名曲を色んなアーティストで聴き比べていく人が多いように思います。クラシックファン歴が長くなればなるほどに、その傾向は強くなる気がします。

 例えば、バッハの無伴奏チェロ組曲だけで何種類の盤が世界中に出回っているのでしょうか?以前の友人に世界中のハッハの無伴奏チェロ組曲のCDやレコードを集めるという趣味の人がいました。20年位前の時点で、80種類くらい所有していたように記憶しています。

 そしてクラシック音楽ファンは新しい音楽~特に現代音楽(新曲)には強いアレルギーを持っている人が、(一部のマニアは除いて)多くいます。毎年サントリーホールでやっている芥川作曲賞の演奏会には人が集まりませんし。笑。

 
 もの凄く前置きが長くなっていますが、これからある意味私の中ではタブ~な事に挑戦してみたいと思います。私はクラシック音楽の演奏会は予備知識や解釈の押し付けになるような事は、演奏を聴く前はなるべくしないようにしています。演奏を聴いているときの感じ方がぶれるような気がするからです。演奏会後にその興味を持った曲に付いて色々と調べるのが一つの楽しみとなっています。自分の感じた事の答え合わせみたいなみのでしょうか?

 当記事は、あえて現代音楽である佐藤敏直氏作曲の弦楽四重奏曲第1番(1964)の私が勝手に感じている作曲者の意図を書いてしまおうと思っています。変な解釈の押しつけは止めてくれぇぇええ~という方は、ここから下は読まないで下さい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 まずは以前書いた記事のリンク
佐藤敏直 弦楽四重奏曲第1番(1964)

 この記事を書いたときから演奏したり、CD-Rを聴いたりしているうちにだいぶ印象が変わってきました。

 第1楽章は、昨日の記事で書いたように佐藤氏は日本固有の民謡調の曲を書いています。「ほらっこんなに心の落ち着く日本の調べがあるんですよ!みんなでまずは鑑賞してみましょうか?」てな具合です。少し寂しげな感じ(不安な感じ)がする事の答えは第3楽章にあります。

 第2楽章は、もう少し誰にでも身近なわらべ唄調の曲です。「かぁ~ご~めぇかぁ~ごめぇ~」みたいな感じでしょうか?日本の里山などに代表されるような原風景が思い起こされます。しかし更に不安な空気はすぐそこに近づいているのでした。

 第3楽章(終楽章)にくると、とうとうその不安な空気の正体が姿を現します。ロックに代表される洋楽の登場です。マクドナルドのハンバーガーみたいに若者の心をどんどん虜にしてゆきます。「俺たちかっこいいだろ~~??まだ民謡なんて聴いているの?駄目駄目!俺たちのビートに乗り遅れるなよ!」と日本古来の音楽を駆逐してゆこうとします。

 中間部では、また再び民謡が抵抗します。しかし力のあるロックの勢いには勝てそうもありません。日本の唄の力(日本の音楽文化?)はどんどん奪われていますが、最後の抵抗をします。日本の唄とロックの「最後の戦い」でしょうか?

 パワーで勝利をもぎ取ったロックの嵐が吹き荒れます。(Codaの部分)~終わりまでロックが勝利宣言をします。

~~~~~~~~~~~~~~~~

 佐藤敏直氏は、日本の響きを追求して作曲した事は昨日書きました。以上の事からこの曲は、日本の音楽(民謡、わらべ歌、雅楽など)を洋楽(ロックなど)が駆逐してゆく時代の流れへの批判と共に、その流れに抗う事が出来ない悔しさ(空しさ)みたいなものを表現しようとしたのではないかと推測しています。

~~~~~~~~~~~~~~~~

 以上は全くの私の想像の世界です。上記の文章を読んだ方は、今度の山形弦楽四重奏団第29回定期演奏会に来て佐藤敏直氏の曲を聴いた時に(わかりにくいかもしれない)現代音楽を嫌う事無く、曲の面白さに出会えるかもしれません。現代音楽(新曲)を聴くときの助けになれば良いなと思って、今回だけこのような記事を書きました。

 どうでしょうか?邪魔ですかねこんな解説は・・・・・・。

 もちろん自分だけの感想を持っていただけたら、それに越した事はありません。
 
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佐藤敏直の音楽感

2008年11月20日 20時59分33秒 | 山形弦楽四重奏団
 山形弦楽四重奏団第29回定期演奏会まで、後2週間を切ってしまいました。今回のプログラムノートはメンバーの駒込が担当ですが、限られた文字数の中ではすべては書ききれないものです。当ブログや他のメンバーのブログなどで少しでもフォロー出来れば良いなと思っています。

 その第29回定期演奏会の中で佐藤敏直作曲の弦楽四重奏曲第1番をプログラミングしましたが、その事については以前書きました。
佐藤敏直 弦楽四重奏曲第1番(1964)

 そして作曲家佐藤敏直氏についても以前書きました。
佐藤敏直

 今日は、佐藤敏直氏の作り出す音楽について、少し書きたいと思います。

 いざ書き出そうと思っても、佐藤敏直氏についての私の知識は乏しいものです。2002年に亡くなる前年に山形新聞に佐藤敏直氏が、自分の音楽について書いた貴重な記事を参考にして書きたいと思います。

 彼の音楽に多大な影響を与えた人物は2人存在します。1人目は、鶴岡市立第三中学校時代の恩師三井直先生。そして実際に作曲を師事した清瀬保二氏です。
清瀬保二

 佐藤敏直氏は、山形県の海側~庄内地方の鶴岡市で生まれました。記事によると氏は、「海がそばに在る事こそが四季の風物だと思っている」と書いています。1987年11月に山形県県民会館開館25周年記念事業の一環で委嘱された「交響讃歌やまがた」の初演にあたり、庄内の出身の作曲家に作品を委嘱された事を異例だと思っていたふしがあります。山形の音楽文化の中心は、山形市を中心とした内陸である~云々の発言から彼は、内陸の音楽文化に対して多少なりともコンプレックスを感じていたのかもしれません。

 作品の委嘱にあたり当時の山形響の常任指揮者村川千秋氏の支援に感謝の辞を述べています。作品の成功により庄内生れというコンプレックスは彼の中で無くなっていくのです。作曲にあたり、山形の内陸部を中心にかなりの資料集めをしたらしく、それにより内陸vs庄内の考えも溶けていったと言っています。

 師匠の清瀬保二氏の影響だと認めていて、彼は「自分の音を表現するにあたり、日本人であるわたしは西洋人にはなれないと思うようになる。」と述べています。邦楽作品が多いのも頷けます。

 創作願望についても自分の考えを書いています。
・演奏の難易よりは、何度も聴くうちに深まってゆくこと。
・出来る限り非西洋、もっといえば日本という地平から発信する固有の音響で表現する事。

 興味深い発言は更に続きます。
・芭蕉の芸術論「不易流行」に出会い、新しくても普遍性が無ければ単なる一時の流行でしかない。だが真実を責め抜いて得た新しさは不易であり、永遠なるものになる。
・BeethovenもBartokもDebussyも彼らの言葉で不易流行の域に達した。しからばわたしは日本語で不易流行を目指すべきではないか?

 そして最後にこう綴っている。
・山形から新しい音楽を世界に向けて発信するとすれば、それは民話によるオペラや、うんと地域に根差した音楽語をもつ作品を置いて他にない。これは私の願いである。

 ~~~~~~~~~~~
 同じような事しか書く事が出来ませんが、山形に偶然に集まったメンバーにより結成された山形弦楽四重奏団が、山形の方々にお世話になり活動させてもらっている事を考えれば、山形の重要な作曲家である佐藤敏直氏の作品を演奏する事は恩返しにも繋がる気がしています。もちろん作品への愛があってこそですが、佐藤敏直氏の作品は確かに演奏すればするほど、より良い作品に感じてきます。

 少しでも多くの方々に山形に偉大な作曲家が存在した事を認識してもらいたいので、これからも機会があるごとに演奏し続けてゆきたいと思います。

 とりあえず12/3(水)の文翔館議場ホールでの演奏を楽しみにしていて下さいね。

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誰だ連れて来たのは・・・。

2008年11月19日 21時45分44秒 | 雑記
 今日から山形響の定期演奏会のリハーサルが始まりました。

 昨日、車のオイル交換に行ったら、タイヤ交換の車でいっぱいのため何時間も待たされるとの事、諦めました。

 今日の山形は雪が降りましたね。とても寒い一日でした。風邪ひかないように、うがい手洗いは必須です。

 まだまだ年末に向かって忙しい日々は続きそうです。

 写真の我が家のもきち君みたいに一日中だらぁ~~~とたまには過ごしたいです。

 
 山形Qの第29回定期演奏会も近づいてきています。練習もしなくてはなりませんが、プログラムを早く印刷屋さんにまわさないと・・・・。年賀状の季節とかぶってしまいそうです。急げ急げ!!!!!
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男達の熱き思い

2008年11月18日 22時01分04秒 | 大江町
 わが町~大江町の左澤中央通り商店街が、町の人口減・交流人口減・高齢化・不景気などの波に負けじと色々な街づくりの大作戦を始めています。山形県のほぼ中央にある大江町は、江戸時代には山形県の母なる川~最上川の舟運の重要な港町として大いに栄えていた街でした。

 舟運の衰退とともに、近くの寒河江市、山形市、仙台市などに人口が流失してしまった経緯があります。今現在10000人を切ってしまった人口で、地域によっては急速な高齢化・過疎化が進んでいます。

 その大江町の中心商店街である左澤中央通り商店街の男達が今熱く闘っています。明治140年を迎えた現在に、その江戸期の姿に戻すのではなく、明治~大正~昭和の古き良き時代へのタイムスリップを狙っているそうです。自分達が育った昔の姿の復活へとまずは、板塀、木灯籠の設置を頑張っています。(写真上)家を建て替える人には板塀の設置をお願いに行き、コンクリートの塀の所有者には建て替え、もしくは板塀でコンクリートを覆うなどの処置を推進してきました。

 お蔵や昔の建物のまだ存在する現在に、手を打って魅力ある街にしないと、自分達の子供の時代には無くなるぞ!という気持ちで頑張っているそうです。ひな祭りの時のひな人形展示などもその一環の活動だそうです。


 そんな中、この左澤中央通り商店街のちょうど中央に合弁によって空き店舗になってしまったOO銀行の元左沢支店の建物が在ります。
     

 この建物は聞いた所に寄ると昭和初期くらいの建物で、増改築などは有ったものの今現在でもその魅力ある風貌は残ったままになっています。その建物の再利用などを含めて町に掛け合ったり、その銀行さんと相談したりして、今地域起こしのために何かをやろうとしています。写真ではわかりにくいですが、外壁は石っぽい作りです。ちなみに私が住んでいた東京の西池袋(椎名町)に在った旧帝銀の建物に似ています。(あの帝銀事件の場所です)

 今日は、その建物内部の見学に行って来ました。
     

 何が出来るのだろう?子育て支援なのか?絵の展示室になるのか?地域交流の場になるのか?喧々囂々話し合いをしたそうですが、イメージはあるもののまだこの建物利用も含めて、実は何も決まっていないそうです。

 例えば、1階は商店街で買い物をするお母さんのための子供預かり所で、2階は絵などを展示してある地域美術館とか。もしくは8/15の花火大会の時の地域交流の酒飲み場とか。地域の名物の販売所とか。落語を聞くためのフリースペースにするとか。色々な案が飛び交っているようです。

 その中で、山形弦楽四重奏団に注目をしていただいた役員の方がいて、この場所で演奏会(どういう形になるかは未定)が出来ないか?と今日はその場所を見学に行ったわけでした。

 私の注目は1階も良いのですが、実は古き良き建物の雰囲気が残っている2階部分でした。以前ここではダンスパーティーなども行ったという実績が有るそうです。窓枠などの昭和の香りがたまりません!!笑。江戸川乱歩の雰囲気そのままです。
     

 こういう地域の風景に昔から存在していた建物を使わないからとか、会社の都合でとかで取り壊されるのは本当に勿体ない事です。何とか街の中でその存在価値を認めて残す方向にいかないものでしょうか?

 民間(商店街)の力だけでどうこうなるというのは、大変難しい事です。こういう時であるからこそ「将来への明るいビジョン」に繋がる事にあらためて町が力を貸してくれる事を願っています。税金が無駄になるとは思えませんが。

 その中で、私達山形弦楽四重奏団で力になれる事があれば協力を惜しまずにやろうと思いました。
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昔話

2008年11月16日 23時59分08秒 | ヴィオラ
 今日は全然ネタらしきものが、頭に浮かばないので昔話でもしましょうか?一応ヴィオラのカテゴリーに入れておきますが、ヴァイオリン時代の話です。はじまりはじまり。チョンチョンチョンチョン~・・・。

 だいたい2歳半位の頃からヴァイオリンを始めました。声楽家であった(その当時はピアノの先生とかしていた)母親の影響で5つ上の兄は既にヴァイオリンを習っていました。兄の先生は、池田敏美先生と言って武蔵野音楽大学を出て新星日本交響楽団の創立メンバーの方でした。その敏美先生の旦那様にも習っていて(旦那様のTさんは交通事故で若くして亡くなられました)、その頃に私はもの凄くヴァイオリンをやりたい(ただ楽器をさわりたがっただけですけど)と言っていたらしいです。聞いた話ですけど、生まれたばかりの息子さんの弦さん(現在テノール歌手)を家の母親に預けて、新星日本交響楽団の活動に従事されていたそうです。家の母親は、弦さんと私を一緒のベビーベットにいれてたまに世話していたそうです。

 ちなみに池田敏美先生はその後、新星日本交響楽団と東京フィルの合併後もヴァイオリンを演奏し続けて、数年前(なんたる偶然か??)山形県最上町に移住して、現在でも山形県内でヴァイオリニストとして大活躍の様子が、時々山形新聞等で見る事が出来ます。弦さんとも40年ぶりに?昨年だったか?再会しました。笑。


 その後、私は敏美先生の後輩の桑原先生に習い始めました。結婚を機に辞めて、失礼ながら名前を忘れてしまった2人の先生を経て、そして北住先生。北住先生の娘さんが今、チェリストになって東京の方で活躍しています。

 そして小学校高学年か中学校の頃(写真の頃)に美人の山形淳子先生が、家に来てレッスンして下さっていました。その頃は、所謂反抗期でして、始めていたリトルリーグの活動やバレーボールのクラブの活動に興味が行っていてヴァイオリンはやめたくてしょうがなかったんです。親が意図した事がどうかはわかりませんけど、その美人の山形先生を私にあてがう事で私がヴァイオリンを止めないようにしていたのでしょう!まんまと作戦負けしました。

 練習は熱心ではなかったですが、毎週山形先生に会うのが嬉しくって。遠い目。

 その後、結婚されて辞める時は本当に悲しかったのをおぼえています。また後輩の澤田先生というこれまた美人の先生が家に来るようになりました。先生に会うためにまたヴァイオリンをやめられなかったんです。・・・・・。男子高校生だった私には、年上の美人先生と会う貴重な時間でした。笑。

 大学に入学後、オーケストラサークルに入ってヴィオラに転向するまで澤田先生に習いました。

 この練習嫌いな問題児の子供に対して熱心に教え続けてくれたすべての先生に感謝しています。そして「やめたい!」と言っても決してやめさせてくれなかった両親にも今は感謝でございます。

 機会がありましたらヴィオラの先生編でも書きましょうかね?

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ひとまず

2008年11月14日 21時53分39秒 | 山形交響楽団
 本日の酒田市内での音楽鑑賞教室で、山形響は今年の音楽鑑賞教室の全日程が終了しました。以前なら今年度の音楽鑑賞教室が終了しましたと書ける所ですが、来年の2月・3月あたりに文化庁派遣の音楽鑑賞教室が実施予定になっているので、ひとまず今年は終了という事で・・・・。

 山形県の気候のため、真夏と秋~春までは山形響では体育館音楽鑑賞教室は行わないようになっていました。冷暖房設備の無い体育館で行う音楽鑑賞教室は、演奏者側にも聴衆側にとっても音楽を鑑賞する環境ではないと言えるので行ってこなかった経緯があります。

 私達弦楽器奏者にとっては、楽器のメンテナンスの面から考えても当然の事でした。高温多湿や暖房をいれた体育館の異常な乾燥は、「木」という素材で出来た弦楽器にとっては最大の敵です。ニカワが剥がれるくらいなら修復が出来ますが、実際私の楽器は割れてしまった事があります。直せるとしてもそれだけで何百万円もする大切にしていた楽器の価値が下がりますし、楽器が壊れる前の最高の音に戻す事はほとんど不可能です。

 この事は誰が責任をとってくれるのでしょうか?私だけの責任でしょうか?

 結局、演奏者の自己責任という見解しか示してこない山形響の事務局には多少腹がたちますが、今の所、団員は自己防衛をするしか無いようです。

 一番てっとり早い方法は体育館での音楽鑑賞教室において、安い量産の楽器を持っていくしか無いという事です。「本物の舞台芸術を目の前で」という文句で音楽鑑賞教室を行っているのに関わらず、質を落とした形でしか子供達の前に立てないという悲しい現状が有ります。

 団員の中にはそれでも自分の何千万円もする楽器を持って行き演奏する方々もいますが、私には出来ない事です。毎年のように楽器が壊れてますから。二度と出来ません。

 それでも国は、(そもそもお役所の役人が決めているので現状をリサーチしているとは思えませんが)冬の体育館での音楽鑑賞教室に行けと言うのです。事務局側はもちろん仕事(お金)になりますから仕事を断るわけがございません。結局すべての負担は我々一般の団員に降り掛かるのでした。チャンチャン。

 
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山形響金管隊

2008年11月13日 23時51分50秒 | 山形交響楽団
 寒くなってきました。最近は仕事である山形響の事はあまりブログに書かないようにしているのですが、たまには。

 今日は天童市立寺津小学校で午後から音楽鑑賞教室でした。音楽鑑賞教室前に金管隊の人達が集まって練習していたのです。何か?オケ以外のお仕事の練習かな?と最初は思っていたのですが、今度の定期演奏会のシューマンを練習していたのです。普通リハーサルが始まる前は、このようにパートやセクションで練習する事はあまりありません。他のオケでは皆無と言っても良いでしょう。しかし、山形響ではこのように事前に練習したり、リハーサル後に練習する姿が見られます。

 何故?練習しているのでしょう?シューマンの交響曲は何回も演奏してきた曲ですし・・・・・。!?

 実は、今回からトロンボーンセクションがピリオド楽器に加わったからです。ピリオド楽器を購入するために山形県内の財界から以前に寄付金をもらいました。財界の方々に感謝です。それでも3本のトロンボーンを揃えるにはお金が足りなかったのですが、1人の団員が自主的に好意で、購入して3本そろったのです。

 それで今度の定期演奏会は、金管隊が全員ピリオド楽器のセクションになりました。シューマンはその形でチャレンジするそうです。そのため入念な練習をしていたみたいです。

 今度の定期は聴きのがせませんね。大活躍間違い無しです。

 弦楽器と木管楽器・打楽器も応援して下さいね。
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弦楽四重奏のための最上川舟唄

2008年11月12日 23時45分03秒 | 山形弦楽四重奏団
 山形弦楽四重奏団第28回定期演奏会(今年7月)に幸松肇氏の弦楽四重奏のための4つの日本民謡第2番 ~八木節・南部牛追い唄・おてもやん・会津磐梯山~をとりあげてから、今年の依頼演奏会ではほとんどの演奏会で弦楽四重奏のための4つの日本民謡第1番と第2番をプログラミングしました。どの演奏会でも日本民謡と西洋楽器とのコラボレーションは非常に好感を持たれました。

 第28回定期演奏会の時も幸松肇氏が来県して、演奏会と打ち上げに参加して下さいました。その打ち上げの中で「日本民謡(全8曲)はとても良い作品ですが、弱点は山形県民謡が入っていない事です。」と申し上げたところ「最上川舟唄に今、興味が湧いてきています」と答えて下さりました。

 時間があれば是非「最上川舟唄」で作品を作ってもらいたく、強く念じておりました。


 先日、幸松肇氏から封書が届いていました。以前メールで自作の「讃歌」という弦楽四重奏曲の譜面を送ってくれるという話でしたので、「讃歌」が送られて来たよぉ~来年プログラミングしようかな?と封書を開けて目を疑いました。

 私達メンバーが心待ちしていた(実際には、現実化するのか?と思っていました)

「弦楽四重奏のための最上川舟唄」のスコアとパート譜が入っていたのです!!!!

 
 そしてそのパート譜には「山形弦楽四重奏団のために」とも書いてありました。

 これはすぐにでも自分達のレパートリーにしなくては!との思いで、


 第30回定期演奏会~1/31(土)に

 山形弦楽四重奏団委嘱作品・日本初演(世界初演)で演奏します。

 この曲をプログラミングするにあたり、当初発表していた(非公式に)プログラムの一部を変更させてもらいまして、弦楽四重奏のための4つの日本民謡第1番~さんさ時雨・ソーラン節・五木の子守歌・茶っきり節~も演奏します。

 ~~~~~~~~
 先日も最上川舟唄の事について記事にしたばかりですので、驚いています。自分達の委嘱作品第1号が出来てしまいました!!こんなに嬉しい気持ちになったのは、いつ以来でしょう?今年度は幸松氏で始まり幸松氏で終わります。

 この作品を作曲してくれた幸松肇氏に感謝します。


 でもはやる気持ちを抑えて、まずは12/3(水)第29回定期演奏会を成功させる事ですね。

 ご来場よろしくお願いします。
 
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龍澤山善寳寺

2008年11月10日 23時24分47秒 | 山形県
 山形響は、本日午前中に鶴岡市の湯野浜小学校体育館にて音楽鑑賞教室を行いました。朝寝ぼけながら運転していて、湯田川に向かっている時はさすがに遅刻が脳裏に浮かびました。間に合って良かったです。汗。

 終了後に龍澤山善寳寺に寄りました。このお寺は1200年の歴史を持つお寺で1度行ってみたかった所でした。1990年頃に「人面魚ブ~ム」を巻き起こしたお寺と言えば思い出してくれるでしょうか?当時は、TV等で人が賑わったみたいですが、境内を見て回るには人が少ない方が、良いようです。

 正面左にすぐ見えるのは、五重塔です。(写真上)

 正面に見える素晴らしい総門。
     

 右手に見える五百羅漢堂の中から、もの凄い数の視線を感じました。
(安政二年落成)
     

 そして山門をくぐり抜けると本堂に上がる長い階段があります。今日は時間がなかったのと寝不足で上がる気力がありませんでした。
     

 というのも夕方から高校でレッスンが入っていたので、早く帰らないといけなかったのです。明日から修学旅行に行ってしまう生徒のレッスンを無理矢理今日にいれてもらったので、キャンセルも出来ません。試験日もだんだん近づいてきているので、先生業も頑張らなくてはなりません。

 階段上がるのを断念して山門に戻りました。山門の中には、右側に毘沙門天がいます。じっと見ているとその瞳に表情が浮かんでくるような感じがしました。
     

 そして左側には韋駄天が・・・・。
     

 普段はクラシック音楽ってぇ~ものを仕事にしていますが、実はもの凄く仏教美術に興味を持っています。写真集とか図鑑とか以前買いました。見ていると心が落ち着いてきます。

 実は、境内の半分もまわる時間がありませんでした。また近くに行ったおりでも、ゆっくり見て回りたいです。駐車場も拝観料も無料です。山形県ならではの良心的な習慣ですね。是非、お近くに行った時はお立ち寄り下さい。
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