永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(243)

2008年12月06日 | Weblog
12/6  243回

【玉鬘(たまかづら)】の巻】 その(21)

 源氏からの贈り物に対する、どの方からの御返事もみなご立派で、使者への禄(贈り物)もそれぞれ鄭重でしたが、末摘花という御方は二条院の東院におられ、いわば他所にお住居ということで、本来ならば禄なども、もっと念入りになさるべきですのに、ただただ几帳面なご性格で、習慣どおりに、

「山吹の袿の、袖口いたくすすけたるを、うつぼにてうちかけ給へり。」
――山吹の袿(うちぎ)の袖口もひどく煤けたのを、襲(かさね)もなくて、お使いの肩にお掛けになったのでした――

 添えられているお文も、ひどく香を薫きしめた陸奥紙(みちのくがみ)の古びて厚ぼったい黄ばんだものに、こう書かれております。

「いでや、たまへるは、なかなかにこそ。
(歌)きて見ればうらみられけりから衣かへしやりてむ袖をぬらして」
――さて、お渡りがなく賜り物ばかり頂きますのは、かえって悲しゅうございます。
(歌)頂いたご衣裳を着てみますと、無情なあなたが却って恨めしゅうございます。この衣裳の袖を涙で濡らした上で御返しいたしましょう――

 源氏は末摘花の御文といい、使者への禄のみすぼらしさに、苦笑なさってご機嫌も悪く、はた迷惑な御方であることよ、ときまり悪そうにおっしゃるには、

「古代の歌詠みは、から衣袂ぬるるかごとこそ離れねな。まろもその列ぞかし。(……)」
――古風な歌人は、「から衣」とか「袂ぬるる」とかの怨みごとが、歌につきものだと思っているようだね。わたしもその仲間だが、(まったく一本調子に凝り固まって、現代風の言葉づかいに移らないのが困りものだ。人中に立ち交って詠む時も、御前で改まった歌会などでは、『まどゐ』という三文字が必ずつきものです。昔の恋歌の風流な贈答には『あだびとの』という五文字を第三句において、上句と下句をつなげると落ち着く気がするらしい)――

◆禄を給ふ=この場合は、お使いの者に与える褒美、祝儀。多くは衣装を肩に掛けて渡す。

ではまた。