永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(251)

2008年12月14日 | Weblog
12/14   251回

【初音(はつね)】の巻】  その(6)

空蝉の所へもお出でになります。

「うけばりたる様にはあらず、かごやかに局住みにしなして、仏ばかりに所えさせ奉りて、行ひ勤めけるさまあはれに見えて、経、仏の飾り、はかなくしたる閼伽の具なども、をかしげになまめかしく、なほ心ばせありと見ゆる人のけはひなり。」
――空蝉は、わがもの顔に振舞ってはおらず、こじんまりと小部屋住いをして、仏をまつる所だけは十分な広さをもって、経巻や仏具飾り、何気ない閼伽の道具類も風情もあり、奥ゆかしさもあって、やはり思慮深い人だと思われるお人柄です。――

 空蝉は尼住みですので、青鈍色の味わい深い几帳に深く姿を隠して、ただ袖口のあたりに贈られたお衣装の朽葉色の見えますのも優しく好ましいので、源氏は思わず涙ぐまれて、

「松が浦島を遥かに思ひてぞ、止みぬべかりける。昔より心憂かりける御契かな。さすがにかばかりの睦びは、絶ゆまじかりけるよ」
――あなたの所へは、遠くから思いやって逢わずにおく方が良かったのかも知れませんね。思えば昔から辛い御縁でした。そうは言うものの、こうして几帳越しに対面するくらいの親しさは絶えないものですね――

空蝉も、ものあわれさに、

「かかる方に頼み聞こえさするしもなむ、浅くはあらず思ひ給へ知られ侍りける」
――こうした姿になってお頼り申し上げるのも、浅からぬ御縁と思っております――と申し上げます。

 空蝉は思慮深く奥ゆかしく、こうして独りを保っていることよと、余計見捨てがたくお思いになりますが、今さら浮気めいたことも語りかけることもお出来になれず、昔今の世間話をひとわたりなさりながら、あの末摘花も、このくらいの話し相手でもあったらと、思われるのでした。

 このような有様で、源氏のお陰で暮している女達が、他にもたくさんいるようですが、
それぞれが、身分に応じてのお情けを頂いて、年月を過ごしているようでした。


◆写真:空蝉

ではまた。