永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(952)

2011年06月05日 | Weblog
2011. 6/5      952

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(13)

「わがまことにあまりひとかたにしみたる心ならひに、人はいとこよなくもどかしく見ゆるなるべし。かの人をむなしく見なしきこえ給うてし後思ふには、帝の御女を賜はむと思ほし掟つるも、うれしくもあらず、この君を見ましかばと覚ゆる心の、月日に添へてまさるも、ただかの御ゆかりと思ふに、思ひ離れ難きぞかし」
――(薫という人は)自分があまりにも一人の女に執着するご性分から、他の男は浮気っぽく見えて非難したくなるのでしょう。あの大君を亡くされてからというもの、帝が姫君(女二の宮)を下さろうと仰せられても嬉しくもなく、もしも中の君を得たならばと思うお気持が日増しに募っていくのも、ただ大君の御妹だと思うばかりに諦めきれないのでしょう――

「はらからといふなかにも、かぎりなく思ひかはし給へりしものを、今はとなり給ひにし果てにも、とまらむ人を同じことと思へ、とて、『よろづは思はづなることもなし。ただかの思ひ掟てしさまを、たがへ給へるのみなむ、くちをしううらめしき節にて、この世には残るべき』とのたまひしものを」
――同じ御姉妹でも、ことにお二人は仲良く親しく心を通わしておられ、大君が臨終となられた際にも、後に残る中の君を私と同じに思ってください、と、「(大君が)わたしはあなた(薫)について不満なことは何もございません。ただ、私が再三申しましたことに反して、中の君を匂宮にお世話なさったことだけが残念で、口惜しく恥ずかしいという思いが、(成仏できず)この世に執念として残ることでしょう」とおっしゃっていらしたものを、――

「天翔けりても、かやうなるにつけては、いとどつらしとや見給ふらむ、など、つくづくと、人やりならぬひとりねし給ふ夜な夜なは、はかなき風の音にも目のみ覚めつつ、来しかた行くさき、人の上さへ、あぢきなく世を思ひめぐらし給ふ」
――(大君の)天の霊も、六の君と匂宮の御結婚のことなど起これば、いっそう私を恨んでご覧になることだろう。など、つくづく誰にも愚痴の言いようもない一人寝の夜ごと夜ごとを、ちょっとした風の音にも目を覚まし、あれこれ来し方、行く末を思い、中の君との思うにまかせぬことを考えつづけていらっしゃる――

「なげのすさびにものをも言ひふれ、けぢかく使ひならし給ふ人々のなかには、おのづからにくからずおぼさるるもありぬべけれど、まことには心とまるもなきこそさわやかなれ」
――(薫が)ほんの一時の慰みに情をかけて、身近にお使いになっておられる女達のなかには、自ずから情が移り、憎からずお思いの者のあろうけれど、心底心を惹かれる人もいないのは、まことにさっぱりしたものである――

◆なげのすさび=無げのすさび=かりそめの戯れ=気まぐれに情愛をかける

◆さわやかなれ=女性関係がさっぱりしている。この場合、薫は高貴な女性との関係は無く、清らかだという意味。実は身近にいて性のはけ口となっている女房がいるのは普通。その人々ははじめから結婚の対象ではなく、情けをかけられることを喜ぶ数ならぬ身の存在。

では6/7に。