永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(957)

2011年06月15日 | Weblog
2011. 6/15      957

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(18)

 薫は思い出すままに続けて、

「方々つどひものせられける人々も、みな所々あかれ散りつつ、おのおの思ひ離るる住ひをし給ふめりしに、はかなき程の女房などはた、まして心をさめむ方なく覚えけるままに、もの覚えぬ心に任せつつ、山林に入り交り、すずろなる田舎人になりなど、あはれに惑ひ散るこそ多く侍りけれ」
――六条院のそれぞれのお住いに集っておられた女の方々も、あちらこちらに別れ散っては、世を捨てたお暮しを思い思いにしていらっしゃいます。軽い身分の女房などはましてやすっかり取り乱し、分け分からぬままに山や林に分け入って、そのまま思いがけなく田舎人に身を落とし、可哀そうにも散り散りになってしまった者も多いということです――

「さてなかなか皆荒らし果て、忘れ草生ふして後なむ、この右の大臣も渡り住み、宮達なども方々ものし給へば、昔に返りたるやうに侍るめる」
――そのようにして六条院をすっかり荒れ果てさせ、栄華のあとかたもないほどに忘れられた後に、こちらの右大臣(夕霧)が移り住まわれて、明石中宮の皇子方の幾人もおられますので、昔の源氏のおいでになった頃のように見えます――

 さらに、

「さる世に類なき悲しさと見給へし事も、年月経れば、思ひさます折の出で来るにこそは、と見侍るに、げに限りあるわざなりけり、となむ見え侍る。かくはきこえさせながらも、かのいにしへの悲しさは、まだいはけなく侍りける程にて、いとさしもしまぬにや侍りけむ」
――源氏の薨去というような世に又とない悲しさと思われましたことも、年月が経てば悲しさも薄らいでくる時がやってくるものだと思いますにつけましても、成る程、ものには限りがあるものだったと思われます。こうは申し上げながらも、源氏の薨去の折の悲しさは、私がまだ幼少の身であった時分でしたから、それほど深く身に沁みなかったのでしょう――

「なほこの近き夢こそ、さますべき方なく思ひ給へらるるは、同じこと、世の常なき悲しびなれど、罪深き方はまさりて侍るにや、と、それさへなむ心憂く侍る」
――やはりこの最近の夢(大君の逝去のこと)こそ、覚ましようもなく存ぜられますが、それは源氏の薨去と同じように世の無常さへの悲しみですが、往生の妨げにはこちらの方が罪深いことと、それさえ辛く思われまして――

 と言って泣いておられますのも、まことに深いご愛情だったからなのでしょう。

◆忘れ草生ふ(わすれぐさおふ)=忘れ草は草の名であって、この場合、忘れるに掛けている。

写真:ワスレグサ(忘れ草)=花が一日限りで終わると考えられたため、英語ではDaylily、 独語でもTaglilieと呼ばれる。実際には翌日または翌々日に閉花するものも多い。中国 では萱草と呼ばれ、「金針」、「忘憂草」などとも呼ばれる。 ユリ科ワスレグサ属の多年草です。キスゲ、ノカンゾウ、ヤブカンゾウなどがあります。 夏に1メートル程度のすらっとした茎の先に、ユリのような花を咲かせます。 中国の 漢文には「忘憂草」として登場するため、日本では古くから「忘れ草」とよばれていました。

では6/17に。