永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(958)

2011年06月17日 | Weblog
2011. 6/17      958

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(19)

 中の君は、薫のご様子から姉の大君の面影が顕って、恋しさに一段と悲しみに誘われて、

「世の憂きよりは、など、人は言ひしをも、さやうに思ひくらぶる心もことになくて、年頃は過ぐし侍りしを、今なむ、なほいかで静かなるさまにても過ぐさまほしく思う給ふなるを、さすがに心にもかなはざめれば、弁の君こそうらやましく侍れ。この二十日あまりの程は、かの近き寺の鐘の声も聞き渡さまほしく覚え侍るを、しのびて渡させ給ひてむや、ときこえさせばや、となむ思ひ侍りつる」
――山里は辛い世の中より住みよいなどと、昔の人は言いましたが、そのように比較することもなく過ごしてまいりました。けれども今は、どうにかして静かな状態で過ごしたく存じますが、それも思うにまかせないことです。尼になった弁の君が本当にうらやましいことです。この月の二十日過ぎには、父上の三回忌ですから、宇治の山荘の近くの阿闇梨のお寺で法要の鐘の音も聞きたく思いますので、そっと宇治にお連れくださらないかと、貴方にお願いしたいと、そう思っておりました――

 と薫に申されます。薫は、

「荒らさじ、とおぼすとも、いかでかは。心やすき男だに、往来の程荒ましき山道に侍れば、思ひつつなむ月日もへだたり侍る。故宮の御忌日は、かの阿闇梨に、さるべき事どもみな言ひおき侍りにき。彼処はなほたふとき方におぼしゆづりてよ」
――宇治のお宅を荒らすまいとお思いになりましても、あなたにそんなことが何でできましょう。気軽に出かけられる男の身でさえ、行き来には険しい山道ゆえに、心にかけながらも月日がたってしまうものです。故八の宮の御法要には、あの阿闇梨に必要なことをすべて言い置いてあります。あの山荘はやはり仏様にお譲りになって、お寺にしておしまいなさい――

「時々見給ふるにつけては、心まどひの絶えせぬもあいなきに、罪失ふさまになしてばや、となむ思ひ給ふるを、またいかが思しおきつらむ」
――昔のままの山荘を、何かの折にご覧になっても、かえって悲しみに心がかき乱されるようでは、無益なことでしょう。罪障を消すためにお寺になさってはと存じますが、どうお考えになりますか――

「ともかくも定めさせ給はむに従ひてこそは、とてなむ。あるべからむやうにのたまはせよかし。何事もうとからず承らむのみこそ、本意のかなふにては侍らめ」
――どのようにでも貴女がお定めになる通りにしたいと、そう思っております。こうしたいとお思いのようにおっしゃってくださいよ。万事隔てなくお言い付けいただくことだけが、私の本望でございます――

 などと、宇治の山荘の処分のことなど細やかにお話申し上げます。

「経仏など、この上も供養じ給ふべきなめり。かやうついでにことつけて、やをら籠り居なばや、と、おもむけ給へるけしきなれば、『いとあるまじき事なり。なほ何事も心のどかにおぼしなせ』など教えきこえ給ふ」
――(中の君が)経や仏などをご自分でも更にご供養なさるおつもりらしい。今度のご供養を機会にそっと宇治に引き籠もってしまいたいとのお志のご様子なので、薫は「(宇治にお帰りになるのは)まことに思いのほかのことでございます。なにごとにつけても、お気持をゆったりお持ちになっていらっしゃしまし」と諭してさしあげます――


◆世の憂きよりは=古今集「山里は物のさびしきことこそあれ世の憂きよりは住みよかりけり」

では6/19に。