2011. 6/9 954
四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(15)
「明け離るるままに、霧立ちみちたる空をかしきに、女どちはしどけなく朝寝し給へらむかし、格子妻戸などうちたたき声づくらむこそ、うひうひしかるべけれ、朝まだきまだき来にけり、と思ひながら、人召して、中門の開きたるより見せ給へば」
――夜が明けてゆくにつれて、霧が立ちこめた空の景色の趣き深い。(匂宮がお留守なので)女の方々ばかりがゆっくり朝寝をしておいでなのでしょう。格子や妻戸を叩き、咳払いして案内を乞うのも物馴れぬ心地がします。あまり朝早く参って来てしまったとお思いになりながら、お供をお呼びになって中門の開いているところから中を覗かせてごらんになりますと――
供が「御格子などは上げてあるようでございます。女房たちの立ち居の気配もしております」と申し上げます。薫は御車を降りて霧の紛れにゆったりと門をお入りになります。
「露にうちしめり給へるかをり、例の、いとさまことににほひ来れば、『なほめざましくおはすかし、心をあまりをさめ給へるぞにくき』など、あいなく、若き人々は、きこえあへり」
――露にしっとりと湿った薫の例のかおりが、芳しく漂ってきますので、「やはり薫の君は目の覚めるほどご立派でいらっしゃるわ。でもあまりにもとりすましていらっしゃるのが憎いけれど」などと若い女房たちが囁き合っています――
早朝の突然のご訪問ではありましたが、みな慌てもせずしとやかに立ち振る舞って、お茵(しとね)を差し上げたりする様子も見ぐるしくない。
薫は侍女に、
「これにさぶらへ、とゆるさせ給ふ程は、人々しき心地すれど、なほかかる御簾の前に、さし放たせ給へるうれはしさになむ、しばしばもえさぶらはぬ」
――こちらへとお茵をお許しいただけますのは、人並みのお扱いとは存じますが、それでもこうした御御簾の外に隔てられて置かれますのは嘆かわしく、つい度々お伺いすることもいたしかねております――
と、おっしゃるので、侍女たちは「ではどのようにいたしましょう」と、ささやき合っています。薫が、
「『北面などやうの隠れぞかし、かかる旧人などのさぶらはむに、道理なるやすみ所は。それもまた、ただ御心なれば、憂へきこゆべきにもあらず』とて、長押によりかかりておはすれば、例の人々、『なほ、あしこ許に』など、そそのかしきこゆ」
――「北側のお部屋などの奥まったところですよ、わたしのような年寄りがお邪魔するのに丁度よい休み所は。ただ、それもご主人のお心次第ですから、私の方から愚痴を申し上げる筋のものではありませんが」と、長押(なげし)のもとに控えて寄りかかっていらっしゃるので、いつもの侍女たちが、「やはり、あそこの御簾の側までお出でくださいませ」と、中の君におすすめ申し上げます――
◆お茵(しとね)=座るときや寝る時に、畳、またはむしろの上に敷く、綿入れの敷物。
◆人々しき心地=人並みに、一人前に扱われた心地
◆長押(なげし)=寝殿造りで、簀子と廂、母屋と廂にある柱と柱の間に、横に渡した材木。上部のものを上長押(かみなげし)、下部のものを下長押(しもなげし)という。中世以降は、かもいなどの上を覆う材木をいい、装飾化した。
では6/11に。
四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(15)
「明け離るるままに、霧立ちみちたる空をかしきに、女どちはしどけなく朝寝し給へらむかし、格子妻戸などうちたたき声づくらむこそ、うひうひしかるべけれ、朝まだきまだき来にけり、と思ひながら、人召して、中門の開きたるより見せ給へば」
――夜が明けてゆくにつれて、霧が立ちこめた空の景色の趣き深い。(匂宮がお留守なので)女の方々ばかりがゆっくり朝寝をしておいでなのでしょう。格子や妻戸を叩き、咳払いして案内を乞うのも物馴れぬ心地がします。あまり朝早く参って来てしまったとお思いになりながら、お供をお呼びになって中門の開いているところから中を覗かせてごらんになりますと――
供が「御格子などは上げてあるようでございます。女房たちの立ち居の気配もしております」と申し上げます。薫は御車を降りて霧の紛れにゆったりと門をお入りになります。
「露にうちしめり給へるかをり、例の、いとさまことににほひ来れば、『なほめざましくおはすかし、心をあまりをさめ給へるぞにくき』など、あいなく、若き人々は、きこえあへり」
――露にしっとりと湿った薫の例のかおりが、芳しく漂ってきますので、「やはり薫の君は目の覚めるほどご立派でいらっしゃるわ。でもあまりにもとりすましていらっしゃるのが憎いけれど」などと若い女房たちが囁き合っています――
早朝の突然のご訪問ではありましたが、みな慌てもせずしとやかに立ち振る舞って、お茵(しとね)を差し上げたりする様子も見ぐるしくない。
薫は侍女に、
「これにさぶらへ、とゆるさせ給ふ程は、人々しき心地すれど、なほかかる御簾の前に、さし放たせ給へるうれはしさになむ、しばしばもえさぶらはぬ」
――こちらへとお茵をお許しいただけますのは、人並みのお扱いとは存じますが、それでもこうした御御簾の外に隔てられて置かれますのは嘆かわしく、つい度々お伺いすることもいたしかねております――
と、おっしゃるので、侍女たちは「ではどのようにいたしましょう」と、ささやき合っています。薫が、
「『北面などやうの隠れぞかし、かかる旧人などのさぶらはむに、道理なるやすみ所は。それもまた、ただ御心なれば、憂へきこゆべきにもあらず』とて、長押によりかかりておはすれば、例の人々、『なほ、あしこ許に』など、そそのかしきこゆ」
――「北側のお部屋などの奥まったところですよ、わたしのような年寄りがお邪魔するのに丁度よい休み所は。ただ、それもご主人のお心次第ですから、私の方から愚痴を申し上げる筋のものではありませんが」と、長押(なげし)のもとに控えて寄りかかっていらっしゃるので、いつもの侍女たちが、「やはり、あそこの御簾の側までお出でくださいませ」と、中の君におすすめ申し上げます――
◆お茵(しとね)=座るときや寝る時に、畳、またはむしろの上に敷く、綿入れの敷物。
◆人々しき心地=人並みに、一人前に扱われた心地
◆長押(なげし)=寝殿造りで、簀子と廂、母屋と廂にある柱と柱の間に、横に渡した材木。上部のものを上長押(かみなげし)、下部のものを下長押(しもなげし)という。中世以降は、かもいなどの上を覆う材木をいい、装飾化した。
では6/11に。