2011. 6/11 955
四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(16)
「もとよりけはひはやりかに男々しくなどはものし給はぬ人柄なるを、いよいよしめやかにもてなしをさま給へれば、今はみづからきこえ給ふことも、やうやう、うたてつつましかりし方、すこしづつうすらぎて、面馴れ給ひにたり」
――(薫という方は)もともと世間の男とは違って、性急に無体なことをなさるご性質ではない上に、さらに心して慎み深くお振舞いになるので、御方も今ではご自身で直接お話になることにも恥ずかしがらずにお馴れになってきたのでした――
薫が、「お加減はいかがですか」とお伺いしますと、常よりも沈んでいらっしゃるご様子に、きっと六の君の事を聞かれてのこととお察しし、しみじみおいたわしいと
お思いになります。
「こまやかに、世の中のあるべきやうなどを、はらからやうの者のあらましやうに、教へなぐさめきこえ給ふ」
――細々と、男女の仲とはこのようなものです、などと、まるで男兄弟の中の語らいのように、教え慰めておいでになります――
「声などもわざと似給へりとも覚えざりしかど、あやしきまでただそれとのみ覚ゆるに、人目見ぐるしまじくば、簾もひきあげて、さしむかひきこえまほしく、うちなやみ給へらむ容貌ゆかしく覚え給ふも、なほ世の中に物思はぬ人は、えあるまじきわざにやあらむ、とぞ思ひ知られ給ふ」
――以前には中の君のお声が、大君に似ていらっしゃるとは思ってもおりませんでしたのに、今は不思議なほど、あの方かと思えて、人目に見ぐるしくさえなければ、御簾を引き上げてお側にいき、差し向いに、お悩みにやつれていらっしゃるお顔を拝見したいものよ、とお思いになるにつけても、自分のような真面目な男でさへこうなのであれば、女のことで苦労しない人はあり得ぬことであろう、などとあらためて思いさらされるのでした――
薫は、
「人々しくきらきらしき方には侍らずとも、心に思ふことあり、歎かしく身をもてなやむさまになどはなくて過ぐしつべきこの世、と、みづから思ひ給へし、心から、悲しきことも、をこがましくくやしきものおもひをも、方々に安からず思ひ侍るこそいとあいなけれ」
――わたしは、人並みに華やかに出世するということはなくても、心労が多かったり、不遇に身を苦しめるようなことなどなく、世の中を過ごせるものと思っていましたのに、自ら求めて亡きお方をお悼みし悲しみ、今また貴女に思いを寄せる愚かしくも未練がましい物思いも、あれこれと休む間もなく気を揉むというのは、実に辛い困ったことです――
つづけて、
「官位など言ひて、大事にすめる、ことはりのうれへにつけて歎き思ふ人よりも、これや今すこし罪の深さはまさるらむ」
――世間の人は官位などといって重大事にしていますが、そのような不満を持つ人々よりも、どうやら私の悩みは罪深いようです――
などとおっしゃりながら、先ほど手折ってきた朝顔の花を扇の上に置いて見ていらっしゃる。
◆はやりかに=逸りか=気の早いさま、軽率なさま
では6/13に。
四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(16)
「もとよりけはひはやりかに男々しくなどはものし給はぬ人柄なるを、いよいよしめやかにもてなしをさま給へれば、今はみづからきこえ給ふことも、やうやう、うたてつつましかりし方、すこしづつうすらぎて、面馴れ給ひにたり」
――(薫という方は)もともと世間の男とは違って、性急に無体なことをなさるご性質ではない上に、さらに心して慎み深くお振舞いになるので、御方も今ではご自身で直接お話になることにも恥ずかしがらずにお馴れになってきたのでした――
薫が、「お加減はいかがですか」とお伺いしますと、常よりも沈んでいらっしゃるご様子に、きっと六の君の事を聞かれてのこととお察しし、しみじみおいたわしいと
お思いになります。
「こまやかに、世の中のあるべきやうなどを、はらからやうの者のあらましやうに、教へなぐさめきこえ給ふ」
――細々と、男女の仲とはこのようなものです、などと、まるで男兄弟の中の語らいのように、教え慰めておいでになります――
「声などもわざと似給へりとも覚えざりしかど、あやしきまでただそれとのみ覚ゆるに、人目見ぐるしまじくば、簾もひきあげて、さしむかひきこえまほしく、うちなやみ給へらむ容貌ゆかしく覚え給ふも、なほ世の中に物思はぬ人は、えあるまじきわざにやあらむ、とぞ思ひ知られ給ふ」
――以前には中の君のお声が、大君に似ていらっしゃるとは思ってもおりませんでしたのに、今は不思議なほど、あの方かと思えて、人目に見ぐるしくさえなければ、御簾を引き上げてお側にいき、差し向いに、お悩みにやつれていらっしゃるお顔を拝見したいものよ、とお思いになるにつけても、自分のような真面目な男でさへこうなのであれば、女のことで苦労しない人はあり得ぬことであろう、などとあらためて思いさらされるのでした――
薫は、
「人々しくきらきらしき方には侍らずとも、心に思ふことあり、歎かしく身をもてなやむさまになどはなくて過ぐしつべきこの世、と、みづから思ひ給へし、心から、悲しきことも、をこがましくくやしきものおもひをも、方々に安からず思ひ侍るこそいとあいなけれ」
――わたしは、人並みに華やかに出世するということはなくても、心労が多かったり、不遇に身を苦しめるようなことなどなく、世の中を過ごせるものと思っていましたのに、自ら求めて亡きお方をお悼みし悲しみ、今また貴女に思いを寄せる愚かしくも未練がましい物思いも、あれこれと休む間もなく気を揉むというのは、実に辛い困ったことです――
つづけて、
「官位など言ひて、大事にすめる、ことはりのうれへにつけて歎き思ふ人よりも、これや今すこし罪の深さはまさるらむ」
――世間の人は官位などといって重大事にしていますが、そのような不満を持つ人々よりも、どうやら私の悩みは罪深いようです――
などとおっしゃりながら、先ほど手折ってきた朝顔の花を扇の上に置いて見ていらっしゃる。
◆はやりかに=逸りか=気の早いさま、軽率なさま
では6/13に。