永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(962)

2011年06月25日 | Weblog
2011. 6/25      962

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(23)

 中の君はしみじみと思うのでした。

「幼き程より心細くあはれなる身どもにて、世の中を思ひとどめたるさまにもおはせざりし人一所を、頼みきこえさせて、さる山里に年経しかど、ただいつとなくつれづれにすごくありながら、いとかく心にしみて世を憂きものとも思はざりしに】
――私たち姉妹は幼い時から心細くさびしい身の上で、現世の事を心をとどめているようにもお見えにならなかった父宮お一人をお頼み申して、ただもういつと限らずつれづれで物さびしくはありながらも、まさかこれほど身に沁みてこの世をつらいものとも思いませんでしたのに――

「うち続きあさましき御事どもを思ひし程は、世にまたとまりて片時経べくもおぼえず、恋しく悲しきことの類あらじ、と思ひしを、命長くて今までもながらふれば、人の思ひたりし程よりは、人にもなるやうなるありさまを、長かるべきこととは思はねど」
――父宮、姉君と引き続き思いがけなく亡くなられた当時は、これ以上生き残って片時も永らへそうにも思われず、これ程恋しく悲しいことが他にあろうかと思いましたものを、寿命が長くて今までも生き長らえてみますと、(匂宮に引きとられた後は)他人が予想したであろうよりも人並みになったような生活ではありますが、これとても長続きしそうな事とも思われず――

「見るかぎりは憎げなき御心ばえもてなしなるに、やうやう思ふこと薄らぎてありつるを、この折り節の身の憂さ、はたいはむ方なく、かぎりと覚ゆるわざなりけり」
――お逢いしているときは、匂宮のお気持もお振る舞いも、憎そうなところもなく、次第に悩みも薄らいできていましたのに、折も折、今度の六の君のことでは辛さは例えようもないほどで、いよいよこれが縁の切れ目と思われる――

「ひたすら世になくなり給ひにし人々よりは、さりとも、これは、時々もなどかは、とも思ふべきを、今宵かく見棄てて出で給ふつらさ、来し方行く先皆かきみだり、心細くいみじきが、わが心ながら思ひやる方なく、心憂くもあるかな、」
――全くこの世を去られた父宮や姉君よりは、当然、いくら何でも匂宮は時折りは来てくださらない筈はないと考えたいところですのに、今夜、こうして私を見棄てて出ていかれた辛さを思いますと、過去も未来もすべてが混乱して、心細く恨めしいことが、われながらどうすることもできず、やるかたない思いであることよ――

「おのづからながらへば、など、なぐさめむことを思ふに、さらに姨捨山の月澄みのぼりて、夜更くるままによろづ思ひみだれ給ふ」
――生き長らえていれば、匂宮との間も自然に元のようになるだろうか、などと心慰めているものの、折からの「姨捨山の月」を思わせるような澄みきった月が高く中空にあって、夜が更けてゆくにつれて、さまざまにお心が乱れるのでした――

では6/27に。