永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(651)

2010年02月16日 | Weblog
 2010.2/16   651回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(66)

「ただかたはらいたう、ここもかしこも、人の聞き思さむことの罪さらむ方なきに、折さへいと心憂ければ、なぐさめ難きなりけり」
――(落葉宮は)ただ御父宮の朱雀院や致仕大臣(柏木の父君・義父)のお耳にはいったなら、さぞ苦々しくお思いになるでしょうし、申し開きの道とて無く、その上折悪しく喪中のさ中ですので、何とも心の慰めようがないのでした――(暗に結婚の事実)

 落葉の宮はお居間にこられて、朝のお食事をなさいます。室内は喪中ながらもお祝いに相応しく少し調度類もはなやかに、侍女たちの喪服も多少お色を紛らわしてお仕えしております。御息所が亡くなられてから、女所帯で何となく締りのない邸内でしたが、
思いがけなくも、高貴な御方がお出でになったと聞いて、離れて行った使用人たちも又参上してきて、家政をきりもりする事務所もにぎやかになってまいりました。

 こうして、夕霧が無理やり一条宮邸を我が物顔にして座り込んでいらっしゃるうちに、
三條邸の北の方雲井の雁は、

「限りなめりと、さしもやはとこそかつはたのみつれ、まめ人の心かはるは名残なくなむと聞きしはまことなりけり、と世をこころみつる心地して、いかさまにして、このなめげさを見じと思しければ、大殿へ、方違へむとて渡り給ひにけるを、女御の里におはする程などに、対面し給うて、すこし物思はるけ所に思されて、例のやうにもいそぎ渡り給はず」
――もう何もかもお終いだと思い込まれます。まさかそんなことはと信頼してきたのですが、真面目な人が狂い始めますと、まったく別人のようになるものだと聞いていたのは本当だったと、夫婦というものの仲を知り尽くしたような気がして、もうこの上の
侮辱は受けまいと、父大臣邸へ方違いという口実でお出かけになりました。丁度弘徽殿の女御(雲井の雁には腹ちがいの姉君・冷泉院の女御・柏木の御妹)が里下がりしておいでになりましたので、少しは憂鬱のはけ口になりますので、いつものようにすぐには帰邸なさらない――

 夕霧もこのことを聞かれて、

「さればよ、いと急にものし給ふ本性なり」
――案の定、思った通りだ。あれは元来短気な性質なのだ――

◆なめげさ=無礼、失礼

◆方違へ(かたたがへ)=陰陽道で、外出する際、天一神(なかがみ)・太白神(たいはくじん)などのいる方向を避けること。行く方向がこれに当たると災いを受けると信じ、前夜、吉方(えほう)の家に泊まり、そこから方角を変えて目的地に行く。

ではまた。


源氏物語を読んできて(650)

2010年02月15日 | Weblog
 2010.2/15   650回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(65)

「かうのみしれがましうて、出で入らむもあやしければ、今日はとまりて、心のどかにおはす。かくさへひたぶるなるを、あさましと宮は思いて、いよいよ疎き御気色のまさるを、をこがましき御こころかなと、かつはつらきもののあはれなり」
――(夕霧は)いつもこんな風に宮に振られた姿で出入りするのも見っともないので、今日はこのお屋敷に泊まられてのんびりなさいます。(落葉宮は)これほど強引な夕霧のお気持を困ったことだと思われて、一層冷淡になさるのを、(夕霧は)何と馬鹿馬鹿しいお振舞いをなさる方かと恨めしくお思いになる一方で、可哀そうにもなるのでした――

 塗籠には、そう物も多くなく、香の御唐櫃や御厨子などは片端に寄せてあり、間に合わせの御座所が設えてあります。中は暗いようでしたが、朝日が隙間から洩れてきましたので、夕霧は、

「うづもれたる御衣引き遣り、いとうたて乱れたる御髪、かき遣りなどして、ほの見奉り給ふ。いとあてに女しう、なまめいたるけはひし給へり」
――宮がひき被っていましたご衣裳を引き離し、ひどく乱れた髪をかき遣りなどして、そっと落葉宮をご覧になる。宮はたいそう女らしく上品で、優雅の様子をしておられました――

 落葉宮からご覧になる夕霧は、

「男の御さまは、うるはしだち給へる時よりも、うちとけてものし給ふは、限りもなう清げなり」
――夕霧のご様子は、きちんとしておられる時よりも、こう寛いでいらっしゃる方が、一層綺麗です――

 宮は、お心の内で、

「故君の異なる事なかりしだに、心の限り思ひあがり、御容貌まほにおはせずと、事の折に思へりし気色を思しいづれば、ましてかういみじうおとろへにたる有様を、しばしにても見忍びなむや」
――亡くなられた夫の柏木が、特別美男であったわけでもありませんでしたのに、自惚れて、私の器量が良くないといつかの折に思っていたらしいことを思い出して、まして今は、こうもやつれた自分を、夕霧が一時でも我慢して見てくださるだろうか――

 と、お思いになるものの、ひどく恥ずかしがっていらっしゃる。と、あれこれ思いを巡らして、

「わが御心をこしらへ給ふ」
――ご自分のお心を整えようとなさる――

ではまた。


源氏物語を読んできて(649)

2010年02月14日 | Weblog
 2010.2/14   649回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(64)

 少しも打ちとけない落葉宮に夕霧は、

「いとかう言はむ方なき者におもほされける身の程は、類なうはづかしければ、あるまじき心の着きそめけむも、心地なく悔しう覚え侍れど、とり返すものならぬ中に、何のたけき御名にかはあらむ。いうかひなく思し弱れ」
――こうして貴女から不都合な者に思われる身の上が、譬えようもなく恥ずかしくてなりませんが、とんでもない事を思い初めました事も良からぬ事と思いますが、今更取り返しもつきませんし、たいしたお名前でもないでしょう。(どんなに私を突き放されたとて、浮名を立てられた貴女の名が清くなることはありませんよ、の意)仕方がないと諦めてお仕舞いなさい――

 さらに重ねて、

「思ふにかなはぬ時、身を投ぐる例も侍るなるを、ただかかる志を、深き淵に准らへ給うて、棄てつる身と思しなせ」
――思い通りにならないときは、淵に身を投げるという例もあるらしいですが、ただこの私の愛情を深い淵だとお思いになって、身を棄てたお気持におなりなさい――

 と申し上げます。落葉宮のご様子は、

「単衣の御衣を御髪籠めひきくくみて、たけきこととは音を泣き給ふさまの、心深くいとほしければ」
――単衣のお着物を髪ごと引き被っておしまいになり、できることと言えば、ただ声を上げてお泣きになるばかりで、そのお姿がいじらしくて――

 夕霧はお心の中で、

「いとうたて、いかなればいとかう思すらむ、いみじう思ふ人も、かばかりになりぬれば、自づからゆるぶ気色もあるを、岩木よりけに靡き難きは、契り遠うて、憎しなど思ふやうあるを、然や思すらむ、と思ひよるに、余りなれば心憂くて、」
――ああいやだ、どうしてこうも私を嫌われるのか。いくら気強い人でも、これ程になってしまえば、自然折れるものなのに、岩木よりずっと手ごわいのは、やはり縁がなくて、嫌い抜くとでもいうお気持なのかと、気づかされてみると、余りにも情けない――

 ふと、三條の君(雲井の雁)の今のお気持や、昔は何の気苦労も無く慕い合っていた間柄のこと、長い間安心しきって生活してきたのに、こうも気まづくなったのは、

「わが心もて、いとあぢきなう思ひ続けらるれば、あながちにもこしらへ聞こえ給はず、歎き明かし給うつ」
――みな自分の心が招いた不幸なのだと、すっかり鼻白んで詰まらない気分になられましたので、強いて宮を口説こうともなさらず、歎き明かされたのでした――

◆御髪籠めひきくくみ=髪ごと引きかぶって
◆音を泣き給ふ=声を出して泣く

ではまた。

源氏物語を読んできて(648)

2010年02月13日 | Weblog
 2010.2/13   648回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(63)

 こうつっぱねられて夕霧は、いくら何でも、いつまでもこんな風では、人が噂するのも尤もで気まり悪く、ここの侍女たちの手前も恥ずかしくてなりませんので、

「内々の御心づかひは、この宣ふさまにかなひても、しばしは情けばまむ。世づかぬ有様のいとうたてあり。またかかりとて、ひき絶え参らずば、人の御名如何はいとほしかるべき。ひとへに物を思して、幼げなるこそいとほしけれ」
――内輪のこと(御息所の喪中)では、おっしゃる通りにいたしましょう。世間並みの夫らしくないこの私の有様は、まことに奇妙でこまります。またこのようなお扱いを受けたからといってお伺いしなくなれば、私に捨てられたということで、宮の御名にも関わりましょう。ただひたすら物を思いつめられるお心で、とかくご分別もなく幼げでいらっしゃるのが、おいたわしい――

 と小少将をお責めになります。小少将もたしかに尤もなこととも思い、夕霧にも気の毒になってきていましたところでしたので、

「人かやはし給ふ塗籠の、北の口より入れ奉りけり。」
――女房を出入りさせる塗籠の北の口から夕霧をお入れしてしまいました――

 落葉宮は、

「いみじうあさましうつらしと、侍ふ人をも、げにかかる世の人の心なれば、これよりまさる目をも見せつべかりけり、と、たのもしき人もなくなりはて給ひぬる御身を、かへすがへす悲しう思す」
――まったく情けないひどい事をする女房たちだとお恨みになります。世の中の人々はみなこのような考えで進めていくのですから、これからもっと辛い目に合わされることになるのでしょう、と、頼りにする人も無くなってしまったわが身の上を、かえすがえす悲しく思われるのでした――

 夕霧は、宮がご納得ゆくような道理をお話申し上げ、言葉を尽くしてあわれ深く、かき口説かれますが、宮はただただ辛くて、心ない人だとばかり思っていらっしゃる。

◆情けばまむ=情けが深いように振る舞おう

ではまた。

源氏物語を読んできて(647)

2010年02月12日 | Weblog
 010.2/12   647回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(62)

 夕霧は、

「たはぶれにくくめづらかなり」
――気楽に口もきけない、何とも珍しいお方でいらっしゃる――

 と、お心のありったけを申されます。侍女たちもお気の毒で、

「いささかも人心地する折あらむに、忘れ給はずば、ともかうも聞こえむ、この御服の程は、一筋に思ひ乱るることなくてだに、過ぐさむ、となむ深く思し宣はするを、かくいとあやにくに、知らぬ人なくなりぬめるを、なほいみじうつらきものに聞こえ給ふ」
――少しでもご気分が直りました折、その時まで貴方様がお忘れになりませんでしたら、何とかお話もいたしましょう。喪中はせめて母上のことだけを考えて暮らしたいと、切に言われますのを、生憎貴方様とのことが世間に知れ渡ってしまいましたようで、一層お辛いようでございます――

 と、申し上げます。夕霧は、

「思ふ心はまた異ざまに後ろ安きものを、思はずなりける世かな。例のやうにておはしまさば、物越しなどにても、思ふ事ばかり聞こえて、御心破るべきにもあらず。あまたの年月をも過ぐしつべくなむ」
――私は普通の男とは違う気持ちですから、何もご心配には及びませんのに、思うようにならない間柄ですね。いつものお部屋にいらっしゃるのなら、几帳越しにでも私の思うことだけでも申し上げて、お心に背くようなことはいたしません。いつまでも辛抱してお待ちしましょう――

 などと、懲りもせず口説かれますが、落葉宮は、

「なほかかる乱れに添へて、理なき御心なむいみじう辛き。人の聞き思はむこともよろづに斜めならざりける、身の憂さをば然るものにて、ことさらに心憂き御心がまへなれ」
――喪中で取り乱しておりますのに、無理を言われますのがまことに辛いのです。人があれこれ噂しますのも私には苦しく辛い思いでおりますのに、それはとにかくとして、こうしつこくては、本当に情けなく思われます――

 と、夕霧のお言葉に言い返されて、突き放したお扱いをなさる。

◆たはぶれにくく=戯れにくし=冗談も言えないような
◆この御服の程=この黒の喪服をきている間は

ではまた。


源氏物語を読んできて(646)

2010年02月11日 | Weblog
 010.2/11   646回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(61)

 気もそぞろな夕霧は、

「なよびたる御衣ども脱い給うて、心ことなるをとり重ねて、焚きしめ給ひ、めでたう繕い化粧じて出で給ふを、灯影に見出して、忍び難く涙の出でくれば、脱ぎとめ給へる単衣の袖を引きよせて」
――糊気のぬけている衣裳を脱がれて、立派な衣裳を重ねて香を焚きしめ、きれいに身づくろいをし、化粧をしてお出かけになりますのを、雲井の雁は灯影にお見送りしながら、堪え切れぬ涙があふれ出ますので、お脱ぎになった夕霧の単衣の袖を引きよせて――

(歌)「なるる身をうらみむよりは松島のあまの衣にたちやかへまし」
――長年連れ添って飽きられた身を恨むよりは、いっそ尼になった方がましです――

 と、独り言のように言われますと、夕霧は立ち止まって、

「さも心憂き御心かな。(歌)『松島のあまのぬれぎぬなれぬとてぬぎかへつてふ名をたためやは』うちいそぎて、いとなほなほしや」
――厭なお心癖ですね。「長い間の夫婦仲が厭になったといって、それで尼になったなどという噂を立てられないでください」と返しの歌を詠まれましたが、急いでお出かけになる時だからでしょう、まことに平凡なお歌ですね。――

 さて、

 あちらの落葉宮は、まだ塗籠に籠っておられますので、女房たちが、

「かくてのみやは、若々しうけしからぬ聞こえも侍りぬべきを、例の御様にて、あるべき事をこそ聞こえ給はめ」
――こんなにいつまでも籠って居られるものではございません。子供っぽく、変わり者だと言われましょうに。(御対面になって)普通におっしゃるべきことをおっしゃいますように――

 と、いろいろと申し上げます。宮は、確かにそうとは思いますものの、

「今より後のよその聞こえをも、わが御心の過ぎにし方をも、心づきなく、うらめしかりける人のゆかりと思し知りて、その夜も対面し給はず」
――これから後の人聞きの悪さも、今までの私のさまざまな辛さも、皆あの気に入らない、恨めしかった夕霧のせいだと思い込まれて、その夜も御対面なさらない――

ではまた。


源氏物語を読んできて(645)

2010年02月10日 | Weblog
 010.2/10   645回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(60)

 雲井の雁はここ二、三日というもの食欲がなかったのですが、今日は少し召し上がっておられます。その様子をご覧になって夕霧は、

「昔より、御為に志の疎かならざりしさま、大臣のつらくもてなし給ひしに、世の中のしれがましき名をとりしかど、堪え難きを念じて、ここかしこすすみ気色ばみしあたりを、あまた聞き過ぐしし有様は、女だにさしもあらじとなむ、人ももどきし。」
――昔から私が貴女をふかく愛して来ました事は、よくご存知でしょう。貴女の父君があれ程冷たく当たられたために、世の馬鹿者のように噂されて、堪え難いところを我慢して、あちらこちらから持ちこまれた縁談も断ってきたことは、女でさえも、それほどの我慢はできまいと、人も悪く言ったくらいですよ――

「今思ふにも、いかでかは然ありけむと、わが心ながら、いにしへだに重かりけりと思ひ知らるるを、今はかく憎み給ふとも、思しすつまじき人々、いとところせきまで数添ふめれば、御心ひとつにもて離れ給ふべくもあらず。またよし見給へや。命こそ定めなき世なれ」
――今振り返ってみましても、どうしてあのように過ごしたのか、自分ながら、昔でさえひどく慎重だったなあと感心するくらいですよ。今となって貴女がこうまで私を憎まれても、捨てる事が出来ないほどの子供たちが大勢いるのですから、自分勝手に出て行くこともできないでしょう。まあ、とにかく黙って見ていてごらんなさい。お互いにいつ死ぬか分からない身ですけれどね――

 と、涙をこぼしたりなさる。雲井の雁も昔のことを思い出されて、二人はやはり縁の深い間柄なのだから、と、お思いになるのでした。

◆しれがましき名=痴れがましき名=馬鹿者、愚か者という名
◆人ももどきし=人も非難した。

ではまた。


源氏物語を読んできて(644)

2010年02月09日 | Weblog
 010.2/9   644回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(59)

 夕霧がご冗談めかしておっしゃってきますので、雲井の雁は、

「何事言ふぞ。おいらかに死に給ひね。まろも死なむ。見れば憎し。聞けば愛敬無し。見棄てて死なむはうしろめたし」
――何ですって。おとなしく死んでおしまいなさい。私も死にますから。見れば憎らしいし、声を聞けば気分が悪いし、そうかといって見棄てて死ぬのは気がかりですもの――

 雲井の雁がどんどんおっしゃる様子が、なかなか可愛らしくお美しいので、夕霧はついにお笑いになって、

「近くてこそは見給はざらめ、余所にはなにか聞き給はざらむ。さても契り深かなる瀬を知らせむの御心なり。にはかにうち続くべかなる冥途のいそぎは、さこそは契り聞こえしか」
――(そうはおっしゃるが)生きている限りは目の前にご覧にならなくても、噂にはどうして聞かれぬ訳があろう。私に死ねとおっしゃるのは、二人の縁の深さを知らせているお積りですね。一人が死んだら、すぐもう一人は跡を追うと、そんな約束をしましたっけね――

 と、さりげない風を装って、何やかやと雲井の雁をおなだめになりますと、雲井の雁は、もともと素直で可愛らしいご性格の方ですので、こんなことは一時の気休めに過ぎない事とお分かりになっていながらも、御機嫌が直っていかれるのでした。

 夕霧は雲井の雁を気の毒だとはお思いになりますものの、

「心は空にて、かれもいとわが心をたてて、強うものものしき人のけはひには見え給はねど、もしなほ本意ならぬことにて、尼になども思ひなり給ひなば、をこがましうもあべいかな」
――心は空に漂うようで、落葉宮も決して我を張って意地を通す方のようにも見えないものの、自分に連れ添うお心がなくて、やはり尼などになってしまわれたら、まったくこの私は馬鹿を見るというものだ――

 と、それならばなお、ここしばらくは毎夜通わねばと、心あわただしくて、ああそれにしても、宮からのお返事は今日も無いことよ、と、ひどく物思いに沈んでいらっしゃる。

◆あべいかな=あるべきかな

ではまた。


源氏物語を読んできて(643)

2010年02月08日 | Weblog
010.2/8   643回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(58)

 夕霧がお帰りになりますと、幼い御子たちが次々とまつわりついて、はしゃいでいます。

「女君は帳の内に臥し給へり。入り給へれど、目も見合わせ給はず。つらきにこそはあめれ、と見給ふも道理なれど、憚り顔にももてなし給はず、御衣をひき遣り給へれば」
――女君(雲井の雁)は御帳台に臥せっておられます。夕霧がお部屋にお這入りになっても見向きもされません。夕霧は雲井の雁が自分を恨んでさぞ辛いだろうとは思うものの、別に悪びれたご様子もなく雲井の雁の御衣裳を引きのけられますと――

 雲井の雁は、

「何処とておはしつるぞ。まろは早う死にき。常に鬼と宣へば、同じくなり果てなむとて」
――ここを何処だと思っていらっしゃるのです。わたしはとうに死にました。何時も鬼、鬼とおっしゃるから、同じ事ならそうなろうと思いまして――

「御心こそ鬼よりけにもおはすれ、様は憎げにもなければ、え疎み果つまじ」
――あなたのお心こそ鬼よりひどい。まあ見た目は憎げもないから、見棄てることもできないがね――

 と、夕霧が平然としておっしゃるので、雲井の雁はなおさら癪に障って、

「めでたきさまになまめい給へらむあたりに、あり経べき身にもあらねば、いづちもいづちも亡せなむとす。なほかくだにな思し出でそ。あいなく年頃を経けるだに、くやしきものを」
――貴方のような立派で綺麗にしておられる方のお側に連れ添っていられる私でもありませんから、どこかへ行ってしまいましょう。もうこのようだったなどと思い出さないでくださいね。つまらなく長年暮らして来たことさえ口惜しくてたまらない――

 と、言いながら起き上ってこられる雲井の雁は、上気してお顔も赤らんで、それはそれとして、なかなか愛嬌があるなあ、などと夕霧は思いながら、又、

「かく心幼げに腹立ちなし給へればにや、目慣れて、この鬼こそ今は恐ろしくもあらずなりにたれ。神々しき気を添へばや」
――こうしていつも貴女は子供っぽく逆上なさっていますから、いまではもう馴れて、
この鬼は怖くもありませんよ。もっと鬼らしく神々しい威厳を添えたいものだ――

 と、わざと冗談にしてしまおうとなさる。

◆まろ=この時代、男女とも自分のことを言うとき、「まろ」と言った。

ではまた。

源氏物語を読んできて(642)

2010年02月07日 | Weblog
010.2/7   642回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(57)

 夕霧に褒められたようで、花散里は少し苦笑いなさって、

「(……)さてをかしき事は、院の、自らの御癖をば人知らぬやうに、いささかあだあだしき御心づかいをば、大事と思ひて、いましめ申し給ふ、後言にも聞こえ給ふめるこそ、さかしだつ人の、己が上知らぬやうに覚え侍れ」
――(そうことごとしく例に出されますと、私の栄えない評判がはっきりしてきますようで、恥ずかしいこと)それにしましても面白いことには、院(源氏)は、ご自分の浮気癖を誰も知らないように棚に上げて、あなたのちょっとした浮気に対しては、一大事とばかり小言をおっしゃり、陰口まで仰るのは、とかく賢ぶる人がご自分の身になりますと、訳がわからなくなるのに似ていらっしゃいますね――

「然なむ、常にこの道をしもいましめ仰せらるる。さるはかしこき御教へならでも、いとよくをさめて侍る心を」
――そう、その通りですよ。いつも女関係のことではご注意くださいます。そのようなことは御教訓がなくても、自分で十分注意していますのに――

 と、夕霧は花散里の言われる通り、面白い事だとお思いになったのでした。

 さて、それから夕霧は源氏の御前に伺候なさってご挨拶されます。

「かの事は聞し召したれど、何かは聞き顔にもと思いて、ただうちまもり給へるに、いとめでたく清らに、この頃こそねびまさり給へる御盛りなめれ、さるさまの好きごとをし給ふとも、人のもどくべきさまもし給はず、鬼神も罪ゆるしつべく、鮮やかにもの清げに、若う盛りににほひを散らし給へり。(……)」
――(源氏は)落葉宮とのことはご存知でしたが、何もわざわざ知った顔をすることもないであろうと、ただ夕霧を見つめております。なるほど夕霧は大そう立派で美しく、今が男盛りというものだ。そのような浮気事をなさろうとも人が非難するようなご様子でも無いし、鬼神でも過ちを許しそうに、水際立った美しさで若々しく生気に満ちあふれていらっしゃる。(これでは、女の身であったなら、惹きつけられない訳がない。きっと鏡を見てはうぬぼれているだろう)――

 と、源氏はわが子を眺めながらお思いになります。

 日が高くなって、夕霧はやっと三條の自邸に戻って行かれました。

◆あだあだし=徒徒し=誠実でない。浮ついている。
◆後言(しりうごと)=陰口、陰で悪く言う。
◆さかしだつ人=賢しだつ=利口ぶる、賢そうなふりをする。
◆もどくべきさま=非難するような様子

ではまた。