所属する宮崎「橋の日」実行委員会にて、地域お宝再発見ツアー「四国編」をおこないました。年度末の3月22日(金)の午後6時に、宮崎駅集合。参加した6名のメンバーは、レンタカー(トヨタ、シエンタ7名乗り)にて、宿泊地である別府へと出発。途中、延岡市にて夕食、ホテルに着いたのは22時でした。
翌朝、5時にホテルロビー集合。別府港フェリーターミナルへ。宇和島運輸フェリーにて、6時20分に乗船、一路、愛媛県八幡浜港へ。
久しぶりの船旅。八幡浜港までは3時間。
豊後水道と太平洋を望みながら、愛媛へ。あいにくの曇り空だったのですが、雨が降ることもなく、デッキで仲間と雑談をしていました。
到着後、港にある「どーや食堂」で朝食。
朝食メニューのまかない海鮮丼、このボリュームで600円。
この橋は、延長232,3メートル、幅員6,6メートル、開閉部分の長さ18メートル、カウンターウェイトの重さ82トンで、1998年(平成10年)9月2日に国の登録有形文化財に登録された後、2014年(平成26年)12月10日に国の重要文化財に指定されました。
戦争被害にも遭っています。第二次世界大戦末期、米軍グラマン機の攻撃を受け、橋の開閉が一時不能になったそうです。各所に残された機銃掃射の跡(5mm位の鉄板を貫通)させた威力。改めて、銃撃の恐ろしさを感じました。
長浜大橋の近くには、土佐藩を脱藩した坂本龍馬と同志の 沢村惣之丞 が宿泊した冨屋金兵衛邸。四国路最後の夜を過ごした宿と呼ばれています。
現在、冨屋金兵衛邸は1日1組限定(1名様~ご家族様) で宿泊できるようです。
詳細は、こちら。
現在、冨屋金兵衛邸は1日1組限定(1名様~ご家族様) で宿泊できるようです。
詳細は、こちら。
この他にも隣接する、末永家住宅百帖座敷に立ち寄りました。
末永家住宅は、国の登録有形文化財に指定され、古き良き時代の歴史を見学できる住宅。末永家は回漕業を長浜で営んだ資産家で、この建物の建築主である末永四朗平は町議会員や町長として勤めた人物であり、この建物は長浜の歴史を伝える上で貴重な建物となっています。
本住宅内にある百帖座敷は、木造平屋建てで、末永家の接客用の建物と考えられます。18畳二間続きの座敷と5畳の付属室からなり、内部には、手の込んだ折上げ格天井(おりあげ ごうてんじょう)や洋風の照明器具などがみられます。
。(いよ観ネットより転載)立派なひな飾りに思わず、シャッターを切りました。
その後、タオルや造船で有名な今治へ。
瀬戸内しまなみ海道は、広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ全長約60kmの自動車専用道路で西瀬戸自動車道、生口島道路、大島道路からなります。
食事を済ませ、しまなみ海道の橋と海を見ながら、広島県尾道市まで車で移動し、岡山を経由して瀨戸大橋へ。
瀬戸大橋は、本州の岡山県倉敷市と四国の香川県坂出市を結ぶ10の橋の総称。
1978年(昭和53年)の着工から9年6カ月を経て1988年(昭和63年)4月10日供用開始。橋梁部9,368メートル、高架部を含めると13.1キロメートル (km) の延長を持ち、日本ではそれぞれ単独の橋とみなされる連続する10の橋を合わせた合計の長さは、鉄道道路併用橋としては世界最長で、瀬戸大橋は「世界一長い鉄道道路併用橋」として、ギネス世界記録に認定されています。
瀬戸内しまなみ海道は、広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ全長約60kmの自動車専用道路で西瀬戸自動車道、生口島道路、大島道路からなります。
食事を済ませ、しまなみ海道の橋と海を見ながら、広島県尾道市まで車で移動し、岡山を経由して瀨戸大橋へ。
瀬戸大橋は、本州の岡山県倉敷市と四国の香川県坂出市を結ぶ10の橋の総称。
1978年(昭和53年)の着工から9年6カ月を経て1988年(昭和63年)4月10日供用開始。橋梁部9,368メートル、高架部を含めると13.1キロメートル (km) の延長を持ち、日本ではそれぞれ単独の橋とみなされる連続する10の橋を合わせた合計の長さは、鉄道道路併用橋としては世界最長で、瀬戸大橋は「世界一長い鉄道道路併用橋」として、ギネス世界記録に認定されています。
17時。高松市へ到着。参加全員で、街へ繰り出しました。上記写真は、商店街の中を高松琴平電気鉄道(ことでん)が走っており、目の前を電車が走る珍しい風景を間近に見ました。
飛び込んだ居酒屋では、35名前後のお客を2名で、料理、配膳、会計までおこなっていた姿に、参加者全員驚いていました。(ホントに2名・・2名だ・・)
橋三昧の一日が終わりました。明日は、こんぴらさんへ。
橋三昧の一日が終わりました。明日は、こんぴらさんへ。
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