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細島験潮所、新たな土木遺産に

2015年02月28日 05時35分20秒 | まちを良くする活動

この程、(一社)九州地方計画協会編集・発行の九州技報に「細島験潮所」が掲載された。宮崎大学の尾上准教授の執筆によるもの。今回は写真提供者として、私の名前と顔写真を掲載していただいた。尾上准教授とは、土木の日イベントにて2年間仕事をともに行い、個人的にもお付きあいさせていただいている。この本の執筆に関わることができたのは存外の幸せである。

細島験潮場(ほそしまけんちょうじょう)は、宮崎県日向市細島の富島漁港の東にあり、明治25年に全国で2番目に設置された。
験潮とは海面の昇降(潮位)を計測することであり、基準面の決定だけでなく地殻変動の監視、津波や高潮の検出など防災においても重要な役割を果たしている。



験潮場は国土地理院が管理している施設で、海面下の導水管から建物内の井戸に海水を引き込んで、海面の上下を自動的に精密に記録する験潮儀が備えられている。 120年もの間、得られたデータを国土地理院(つくば市)へ送信している。



執筆文章から、細島験潮場の看守にあたった桑野家の生活紹介し、そのご苦労を紹介したい。

細島験潮場の看守(桑野家の人々)
陸地測量部は、験潮場設置と同時に各験潮場に監守をおき、その監守は日々計測・巡視を遂行する必要があることから、地元の人を中心に任命しました。なお、「監守」という職名は、験潮場設置当初から昭和20 年まで用いられ、それ以降は「看守」となりました。

開設当初、細島験潮場監守には細島町助役の河野通氏が任命されましたが、明治30 年(1897 年)8 月14 日に桑野卯吉氏が青森県岩崎験潮場から転勤を命じられて細島験潮場に着任し、その後は桑野家代々の人々が平成22 年(2010 年)6 月に至まで、看守を務めました。

大正12 年(1923 年)の関東大震災時に生じた津波をはじめ、数々の歴史的な災害時の録についても欠測なく報告されたそうです。「潮峠2)」のまえがきで、桑野卯吉氏の孫にあたる桑野功氏は次のように述べておられます。

『私は、験潮場看守の家に生まれ子供のときから海と験潮儀を見て育ちました。私の家では、何をさておいても験潮場の看守の仕事が最優先でした。一年三六五日休みなく、午前八時と午後四時の毎日二回の看守と毎月一日には前月の報告書の作成、送付が私の家の生活の中心であり、その時間を軸に回転していました。このことは、子供心に大きな影響を与えたと思います。家族全員での旅行は不可能です。正月元日の朝、他家ではお祝いのお膳についているとき、お屠蘇もいただかずに験潮場に行かねばなりません。また、毎月一日は報告のため元日は報告書作成です。自画紙と旬報について家族で手分けして報告書を午前中に作成し、書留で送付しなければなりません。月の一日が祝祭日、日曜日の時も同じです。(以下略)』

験潮場看守の仕事は、経験的な器材の操作から、細心・正確を期する気象の計測などがあり、作業手順がこと細かく規定されていました。とりわけ、自画紙に潮位の推移を記録するための鉛筆の芯の太さ・柔らかさや削ったあとの形状には苦心されたようです。また、台風や地震などの災害時には、身の危険をおかしてまでも験潮儀が問題な作動しているか確認に行かなければなりませんでした。験潮場それ自体も、屋根、床、験潮儀とその架台、水路、電気まわり、外壁等の補修・改良工事が複数回にわたって実施されており、きわめて大切に扱われてきたことがうかがえます。(以上、九州技建No56号より転載)

2014年10月施設細島験潮所(日向市)が土木学選奨土木遺産に登録された。県内では5番目の登録である



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