全国的にお盆休みが終了した模様である。終了したも何も,そもそもお盆休みが始まらなかった吉野には,「街に人が戻って息苦しい」以上でも以下でもない風情である。職種によっては,一斉休暇=お盆休みというのは無く,時期をずらして夏休みと言う形でまとめて休みを取る場合もある。因みに吉野はそのような夏休みも予定していない。事前に気張って調整すればまとめて休む事も出来なくは無いが,そこまで気張る動機がまるで無いので,「嗚呼,モルディブ行きてぇ」,と唸りながら海の写真集を眺めつつビールを呑む日々である。
外人が,昼間からビールを電車内で呑んでいても下手すれば格好よくさえ見える。ところが,日本人が電車内で缶ビールなんぞ呑もうものなら,もう間違いなく,だらしない人間にしか見えないのは何故なのだろうか。「この人無職?」推定まで働いてしまうほどである。これは日本人に対する日本人吉野の人種的偏見なのか!?そんなわけで,最後のプライド防衛ラインとして電車内(普通車両ね)でビールを呑むのは避けている吉野である。もし万が一,呑んでいる姿を見かけたら,何かあったんだろうな,と大人の対応で生温く見守って欲しいものである。
く,くだらん。
サプライズ慣れした人にサプライズを企むのは困難を極めるな,と痛感。アイディア不足に陥っている。
昨日The Pacific第5章 ぺリリュー前編を見た。全くもって想像できないのだが,上陸作戦のときってどういう心情なんだろうか。ぺリリュー上陸作戦が凄惨さを極めた事は以前書いた。ドラマでは,主人公の一人が,いよいよ上陸するシーンがメイン。水陸両用車で,海上から砂浜へ乗り上げ,そこから徒歩で日本軍のいるジャングル地帯まで進撃するシーンである。このとき内陸にいる日本軍が凄まじい猛攻撃を仕掛けていて,砂浜に着く前に海上で撃沈されたり,上陸後も,車体から飛び降りるのは,日本軍の一斉射撃が止まらない状況下でやらねばならない。飛び降りようとした瞬間,流れ弾に被弾し死傷する者も多い。まだ何もしていないのに戦死する可能性が高いのである。砂浜には既におびただしい数の米軍死傷者が累々と横たわっている。要は制空権を全く握れていない状況での大規模上陸作戦である(現在では米軍は制空権を完全に握ってからでないと海兵隊による上陸作戦は行わないし,陸軍戦車部隊も投入しない)。
このような状況を熟知しながら,輸送船から上陸車両に乗り込み出撃命令を受けた時の心情とは如何なるものなのだろうかと考えてしまった。下手すれば出撃してすぐ海上で撃沈されかねないし,遅くとも数分後には砂浜に上陸するわけだが,ここで相当数の死傷者が既に出ている。正に死地である。あと数分で死傷する可能性が非常に高い命令を受けた時,人はどう対処するのだろうか。これは考えさせられた。もちろん想像なんて出来ない。この場面を見ながら,「俺は絶対嫌だな・・・」と思った。例え敵前逃亡卑怯者と罵られようとも何としても生きたいと思った(敵前逃亡で軍法会議にかけられると死罪の可能性もあるが)。
このドラマは「強烈な生」を描いていると書いたが正にそうだ。戦争ドラマにありがちなどっちが勝ったとか,だれそれが英雄的な行為をしたとかそういう視点では製作されていない。主人公が如何に自分の死を間近に感じ,精神を病みながら生還したかだけが描かれている。次回中編では,なんと360度視界の開けた空港滑走路を,日本軍の猛攻撃を受けながら突っ切っていく場面が描かれるようだ。強烈に迫る死の恐怖が描かれていそうである。
しかしこういう質の良いドラマを見ると,戦争は本当に馬鹿馬鹿しい行為だと思わされる。大将同士で腕相撲でもして決めればよいではないか,と思ってしまうほどだ。みんな死にたくないしみんな行きたくないのである。でも何故かやってしまう。万物の霊長,人類は賢いのか馬鹿なのか。ザ・パシフィックの前に,トランスフォーマー・リベンジを見ていたのだが,全然痛そうじゃないんだよね(笑)。爆撃振りとかもう本当にド派手なんだけど,死を全く感じさせない。完全にゲーム感覚だ。確かにこういう世界観ばかりに浸るのはいかんかもしれない。現実の世界では,大腿部に一発くらっただけで出血死ないしショック死してしまうのだから。
色々考えながら夜中にNHKが集中放送している兵士達の証言シリーズも見入ってしまうのである。
あ,もちろんビール呑みながらね。