人生とは長いようで早く感じるのだが、
100年生きてきたらどんな感慨なのだろう。
今日母が満100歳を迎えました。
昨日地元の長寿クラブの役員からお祝いの品をいただきました。
ありがとうございました。

我が町内で100歳を迎えた記録はない。
そういう意味では「快挙」であり、
人生の「手本」なのかもしれない。

今朝も私より1時間早く起きて、
既に朝食を済ませている。
毎日飲む薬は朝晩各4錠だけで、
その倍を飲む我とは大違いの健康体を維持している。
大正13年11月10日に市内楽田で生を受け、
青春時代は戦争に翻弄され、
縁あって山奥の里へ嫁ぎ子を育て、
連れ添った父を見送って17年になる。
『人生とは』と考えた時、
先ずは生きる事なのかも。
時々母は「お迎え」が来ないから、
しょうがなく生きていると言うが、
それは贅沢な言葉だろう。
恐らく自分たち世代は、
もっと生きたくと思えど叶わないであろう。
人生に深みのある満足を得るにはもう遅いが、
せめて100を超えた母を息子として見送り、
残された一日一日悔いのない日を送ることかな。
< 今日も変わらぬ一日の百寿 >
100歳のお誕生日。
親子3代で迎えることに
いや、4代でしょうか
心からお祝い申し上げます。
お見掛けすると、お元気そうで
自然薯を食されてお元気なんでしょうね。
今後ますます、頑張って欲しいものです。
我母も101才になり元気にしています。敬老饅頭3つもぺっろと平らげる元気さに唖然とします。苦労の多かった母達、いつまでも元気で過ごしてほしいですね。
おめでとうございます。
素晴らしい100歳です。
私ごとですが
大正13年は うちの父の同い年です。
生きていれば100歳になっていたんですね。
母も大正15年生まれでした。
10代の終わりごろに戦争で 父は国内で訓練しているうちに終戦になって戻り
母は 女学校の授業がなくなって みんなで被服廠の寮に入り 朝から晩まで
兵隊さんの服を縫っていたそうです。
そういう経験を経て 長く生きてきた人たちは 芯が強いです。
母も「お迎えが来なけりゃ死ねんけど わたしは死ぬまで施設におるわ
みんなが 元気に仕事や学校に行っておったら それが一番じゃ」と常に言っていました。
わたしも 48歳で30年勤めた会社を辞めて 親の見守りと農業の日々で
途中乳がんになったり 8人家族の切り盛りをしましたが
色々 その経験で学ぶことが多く 今は とても元気で 親を無事見送ることができました。
これからは 私たち夫婦が元気で仕事をして行けたら何よりと思っています。
お母様〜、100歳のお誕生日、おめでとうございます〜
100歳のお誕生日を迎えられたお写真・・・、
お天気良い中、玄関前で、良いお写真ですね〜
若々しさが感じられ、健康な日々をお過ごしの事が、感じられます♫
これからも、イキイキと、お過ごし下さいませ🎶
素敵なお話に・・・、
朝から、元気をいただきました・・・、
ありがとうございます〜
ティーガーデン
朝晩の4錠ずつのお薬に驚いています。
これからもお元気でお過ごしされますように願っています。
おめでとうございます!
素晴らしいですね。
『dogdali』さん
『よう』さん
『ビオラ』さん
『ohisama』さん
『kanmo』さん
母の百歳にあたり祝意をいただき有難うございます。
正直まじかで100歳超えの人が居るとは思えないくらい、10年前と同じように淡々と暮らしてきた延長に今があります。
これからも命続く限り見守っていきたいと思います。