考古学好きと口を滑らしたのがきっかけで、古き時代のことなどを思い出してしまった。
私は、中学時代、考古学研究会という名称だったかどうか自信はないが、そのようなサークルに入っていた。会には先輩がいたので、一年か二年のときに加入したらしい。入会の動機や経緯はよくわからない。
担当教師の随伴を得て、近隣の貝塚跡を見に行ったことがある。そこは海岸線から数十キロも内陸に分け入ったボウボウの原野の中で、数千年前、海岸線がそこにあったと聞いてびっくりした。研究会は教室でも勉強会をしたのだが、内容はまったくおぼえていない。次第に顔を出さなくなったのだろう、町の本屋でたまたま出会った先輩から、待ってるぞと言われた記憶が残っている。実際、考古学にどれだけ興味があったかはっきりしない。ただ、現地調査などという身体を使うことに乗り気でなかったのは確かだ。
物理学研究に実験と理論の二パターンがあるように、考古学も現場主義と文書資料主義に分かれる。私は文書主義の典型。貝塚に懲りた後も、ギリシア文明、中でもクレタ島の発掘や、西域(さいいき)のさまよえるロプノールとその湖畔にあった楼蘭、中南米の密林に隠された驚異の文明、邪馬台国の所在と九州王朝説(十月に逝去された古田武彦氏のご冥福をお祈りします)、イースター島の相貌などが心から離れなかった。もちろん自分の身体を動かしてそこへ出かけようという気は起きなかった。想像だけで十分満足だった。(2015.11.4)