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2016.6.27 思い出

 今年も早いもので夏至が過ぎ、6月も終わろうとしているが、私にとって6月は特別な月であり、毎年同じことを思い出す。

それは当『ミニ山の会』におけるToshiとHiromiとの出会いだ。

Toshiと出会ったのが9年前の6月16日。

Hiromiと出会ったのは、それより6年あとの同じく6月15日だった。

そしてこの二人は年の差が6歳。

私にしてみると、長男が生まれた6年後に長女が誕生したような思いだ。

 

 Toshiとは2007年の6月16日、金山コースから登った『夕張岳』の頂上で出会った。

当日登山口に着いてみると、先行者の車が1台だけ。

それがToshiであり、頂上で追いついた時に誰もいなかったこともあり、会話にった。

Toshiが「来るときクマに遭いませんでしたか?」と聞いてきた。

「いや」と答えると、「ボク遭っちゃったんですよね」と。

それでその時の会話は終了し、昼食準備の私から離れてToshiが下山を開始した。

頂上から金山コースを下って行く姿が見える。

と、そのとき一瞬「ハッ」とした。

 

見るからに初心者であるToshiが登路でヒグマに遭遇し、普通ならそこで引き返すものをそのまま進んだその勇気、

「これはモノになるぞ!」との思いが湧き上がり、後を追って下山開始。

ただ追いつくのはたやすい。

しかし、登山道脇には遅い雪解け地からギョウジャニンニクが無数に生えている。

それも採らなきゃならないので、まあまあ忙しかった。

ザックの空きスペースを満杯にして走った。

 

Toshiには登山口近くになって追いつき、会話をしながら下山。

そして良い性格を確信して「一緒にやってみないか?」と誘った。

Toshiは「いいですねえ」とのってきて入会。

 

ただ、このときのToshiはまだカヌーが中心で、「山登りは月に一回のお付き合いですよ」程度だった。

それが2012年のブログ『坂の上の雲』開設以来変わった。

ブログアップというゼンマイに巻かれ、毎週1回は登るようになった。

それに比例し、カヌーからはしだいに離れ、最近になってとうとう売却してしまった。

 Hiromiとは2013年6月15日、『神居尻山』のBコースを下山中、一人で登ってくるところで出会った。

トレランシューズにコンパクトザック。

しかし、女性が単身入山してくる勇気を買って話しかけた。

 

「いつも一人で登るの?」、

「あ、いえ、あ、今は一人です」。

この答えが気に入った。

独身のHiromi、以前は一緒に登る男性がいたのだが、今は一人ですよと言っているのがありあり。

正直者と直感し、「これはつかえるぞ」、と思い、

「一緒にやってみないか? 私と一緒に登ると素晴らしい体験ができる、それだけは約束する」。

と口説いて別れた。

それから二週間を経て教えておいたパソコンアドレスにメールが入った。

このときのHiromiはToshiよりも素人っぽく、「私登るのが遅いんですぅ~」と、

まるでやる気がなさそうな口ぶりだった。

山行予定を組むにもいついつと連絡すると、「その日は体育館仲間との飲み会があるかもしれないのでいけないですぅ~」

などと山なんかそっちのけ!

このときは正直「こいつもダメかぁ・・・」とあきらめかけた。

また、登山靴が20年前に買ったとかで足にあっておらず、靴紐を全てのフックにかけていない。

致命的なので、「まず靴を買え」と言うと、「今年は車を買い換えちゃったんで、来年靴を買いますぅ~」

こりゃホントにダメだと思った。

 

ところが、同行登山で登山靴の重要性をすぐに理解して購入。

出会いから二ヶ月後の盆休み4連休登山で、意識が全く変わった。

あっと合う間にのめり込み、私が持論とする「山登りの一番のトレーニングは、やはり山登り」を実践し、

翌年は年間165回の山登りをこなした。

従ってグングン心肺機能と筋力が強化され、昨夏天人峡温泉から『トムラウシ山』を日帰りで踏破!

もはや普通の男性ではかなわぬほどの健脚者となった。

 先日Hiromiとどのくらい一緒に登ったか、自身の記録から拾ってみた。

すると3年間で299回の同行登山を重ねていた。

 私の長い山登り人生の中で、この二人との出会いはひじょうに大きい。

この二人、特に今はほとんど一緒に登っているHiromiと出会うまでは、山行の殆どが単独行だった。

この二人との山行は楽しく、日をまたいでの連登の際は、夜のバカっ話しに花が咲く。

毎回毎回大笑いをして涙を流す。

人生たった一度きり、日々笑って暮らさなきゃ損!

山登りも同じく楽しく行こうぜ~っ!

 

 

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