西上州・物語山
ポッカリと空いた休日。
そんなときはぶらりとひとり旅。
今回は西上州の物語山を訪ねます。

まず向かった先は、下仁田町のサンスポ-ツランド。
ここには大きなグラウンドにテニスコ-ト、カラフルな遊具が目を引きます。
よ-く考えてみれば、この谷あいの街には広いグラウンドというのが貴重な存在なのでしょう。
というわけで、ここが物語山の登山基地。
ここには「登山」というフィ-ルドもあるという、何とも雄大な公園ではないでしょうか。
サンスポ-ツランドはこちら
駐車場からサンスポ-ツランドに背を向け、林道へと進みます。
物語山へはココから2時間弱。
最初の1時間は緑豊かな森と傍らの渓流を愛でながらゆったりと林道歩き。
ときにナメ床と透明度の高い流れが美しいところ。
物語山はこちら

林道から登山道へと進みます。
一旦、林道から沢へと降りて、今度は杉林の急登を息を切らしていきます。
おやおや、もう一休みですか?
普段の運動不足を痛感するところです。
~物語山ものがたり~
「物語山」という何とも趣のある山の名前はどんな由来があるのでしょう。
いかにも何がしかの伝説が伝わっていそうな面白い山名。
まさしくその通りで、この山の頂上の北西側にある岩峰「メンベ岩」には戦国の悲劇が伝わる。
天正の頃、北条早雲の武将多目周防守長定が城主の「幽崖城」が本宿の隣の横間にあった。
天正18年、豊臣秀吉が北条早雲の小田原城を攻めるに当たり前田の北国勢は碓氷峠を越えて小田原に向かうため、坂本あたりに布陣。松井田城の攻略にかかった。
その一部は小幡の国峰城を、またその一部は西牧の諸砦に向かった。
横間幽崖城攻略に当たったのは松平康国。
多目長定も奮戦はしたものの、矢尽き刀折れ、城を後にしたが城主であるが故に追撃は烈しい。
山中に岩の突き立った岩壁のあるのに気付き、頂上めがけて逃げた。
藤蔓を頼りに岩上に上り、それを断ち切り敵が昇れないようにして身を隠した。

翌朝、目覚めてみると切立った岩の上で、主従とも下ることは出来ず、お互い腹を切って果てようと決めた。
過ぎし日のことなど主従の語りは尽きなかったが小田原城の方に向かって潔く腹を切った。
今でも多目主従の遺体、鎧、冑と刀は風雨に晒されてそのままこの岩上に残されていると言う。
この悲惨な物語を取って、この山、この岩を「物語り山」と呼んでいる。
(下仁田町史より略記)
また、この時に財宝を頂に埋めたという埋蔵伝説もあり、物語には事欠かない。
もっとも物語山自体はこの伝説というより、琵琶法師がこの山で行をしたところからきているのだとか。
~おしまい~

ひとしきり汗をかいたら、本峰と西峰のコル。
ここから本峰へは10分、西峰へは5分ほど。
林間から覗く西上州の山々が霞にかかり秋の空気を実感します。
11月には紅葉も見頃を迎えます。
~メンベ岩の言伝え~
戦国の悲劇を今に伝えるメンベ岩。
メンバ岩とも言われるこの岩峰は街道からは見事に四角く見える。
その様子を地元の人は、「麺を打つ板のようである=メンベ岩」と呼ぶ。

戦国の埋蔵伝説を聞きつけて、財宝を目当てにここを登る者は 必ず墜死の憂き目に遭うという言い伝え。
悲劇の怨念は今にも伝わる。
西峰からはこのメンベ岩がよく見える。
角度によってさまざまな形が面白いじゃないですか。
ここで、チョットひと仕事。
う-んなかなかのもんですなあ。

悲しい伝説はもとより、その名を聞く者に何かを感じさせる物語山。
それぞれの物語はどんなふうに締めくくられるのでしょうか?
~おまけの一本~

高立の一本岩を見学。
思わず「イッポン!」
西上州は楽しい。
sak
ポッカリと空いた休日。
そんなときはぶらりとひとり旅。
今回は西上州の物語山を訪ねます。

まず向かった先は、下仁田町のサンスポ-ツランド。
ここには大きなグラウンドにテニスコ-ト、カラフルな遊具が目を引きます。
よ-く考えてみれば、この谷あいの街には広いグラウンドというのが貴重な存在なのでしょう。
というわけで、ここが物語山の登山基地。
ここには「登山」というフィ-ルドもあるという、何とも雄大な公園ではないでしょうか。
サンスポ-ツランドはこちら
駐車場からサンスポ-ツランドに背を向け、林道へと進みます。
物語山へはココから2時間弱。
最初の1時間は緑豊かな森と傍らの渓流を愛でながらゆったりと林道歩き。
ときにナメ床と透明度の高い流れが美しいところ。
物語山はこちら

林道から登山道へと進みます。
一旦、林道から沢へと降りて、今度は杉林の急登を息を切らしていきます。
おやおや、もう一休みですか?
普段の運動不足を痛感するところです。
~物語山ものがたり~
「物語山」という何とも趣のある山の名前はどんな由来があるのでしょう。
いかにも何がしかの伝説が伝わっていそうな面白い山名。
まさしくその通りで、この山の頂上の北西側にある岩峰「メンベ岩」には戦国の悲劇が伝わる。
天正の頃、北条早雲の武将多目周防守長定が城主の「幽崖城」が本宿の隣の横間にあった。
天正18年、豊臣秀吉が北条早雲の小田原城を攻めるに当たり前田の北国勢は碓氷峠を越えて小田原に向かうため、坂本あたりに布陣。松井田城の攻略にかかった。
その一部は小幡の国峰城を、またその一部は西牧の諸砦に向かった。
横間幽崖城攻略に当たったのは松平康国。
多目長定も奮戦はしたものの、矢尽き刀折れ、城を後にしたが城主であるが故に追撃は烈しい。
山中に岩の突き立った岩壁のあるのに気付き、頂上めがけて逃げた。
藤蔓を頼りに岩上に上り、それを断ち切り敵が昇れないようにして身を隠した。

翌朝、目覚めてみると切立った岩の上で、主従とも下ることは出来ず、お互い腹を切って果てようと決めた。
過ぎし日のことなど主従の語りは尽きなかったが小田原城の方に向かって潔く腹を切った。
今でも多目主従の遺体、鎧、冑と刀は風雨に晒されてそのままこの岩上に残されていると言う。
この悲惨な物語を取って、この山、この岩を「物語り山」と呼んでいる。
(下仁田町史より略記)
また、この時に財宝を頂に埋めたという埋蔵伝説もあり、物語には事欠かない。
もっとも物語山自体はこの伝説というより、琵琶法師がこの山で行をしたところからきているのだとか。
~おしまい~

ひとしきり汗をかいたら、本峰と西峰のコル。
ここから本峰へは10分、西峰へは5分ほど。
林間から覗く西上州の山々が霞にかかり秋の空気を実感します。
11月には紅葉も見頃を迎えます。
~メンベ岩の言伝え~
戦国の悲劇を今に伝えるメンベ岩。
メンバ岩とも言われるこの岩峰は街道からは見事に四角く見える。
その様子を地元の人は、「麺を打つ板のようである=メンベ岩」と呼ぶ。

戦国の埋蔵伝説を聞きつけて、財宝を目当てにここを登る者は 必ず墜死の憂き目に遭うという言い伝え。
悲劇の怨念は今にも伝わる。
西峰からはこのメンベ岩がよく見える。
角度によってさまざまな形が面白いじゃないですか。
ここで、チョットひと仕事。
う-んなかなかのもんですなあ。

悲しい伝説はもとより、その名を聞く者に何かを感じさせる物語山。
それぞれの物語はどんなふうに締めくくられるのでしょうか?
~おまけの一本~

高立の一本岩を見学。
思わず「イッポン!」
西上州は楽しい。
sak