きままな雑記帳

ごく普通のあんちゃんのきままに記す日常日誌

駅売りパン屋さん

2017-01-24 11:08:06 | 鉄道
今回は商売をやった時のお話です。

あればもう6年前になりますかねぇ、あの大地震があった年(2011年)の頃。
その前年に勤めていた会社が事業縮小によりまして、解雇されてしまった私。
この会社は、前年に起業した会社なんですが、メンバーは全員同じ会社出身。
その会社が折からの経済危機(いわゆるリーマンショックですね)のあおりを受けて倒産してしまい、露頭の迷うのも・・・と起ち上げたのでした。
そりゃ、会社が倒産するなんてなかなか経験できません。
まぁ、経験しなくていいのなら越したことはありませんし、それに伴う解雇なんてのも経験しないに越したことはありません。

雰囲気としたら「真田丸」の武田家滅亡シーンと似てますね。
上司の「会社は大丈夫です」は裏では「倒産するぞ」になってましたし。

5分で分かる真田丸~第1回「船出」~


もう、上司だろうが部下だろうが関係なく、生き残りに必死。
当時は経済危機もあって不況のどん底でしたから、みんな余裕がありませんでした。
そんな中船出をした小さな会社だったのですが、起ち上げた際にメンバーの一部を雇い切れずに辞めてもらっての厳しい船出でした。
そして1年後に取引関連の問題もあって事業縮小。
私はあえなく野に放たれたのでした

それでも雇用保険などでなんとか食べていくことはできましたが、それも期限付き。
仕事探しもままならない浪人生活の私に元同僚から声がかかりました。

「一緒に駅でのパン売りをやってみないか?」

なんでも同僚の親戚のおじさんが、駅売りビジネスを展開しているそうで、私同様に浪人してヒマを持て余していた同僚に声がかかったそうです。
そして同僚、どうせ人手も必要だし、どうせなら気心知れた私を誘おうと声をかけてきたのでした。
声をかけてくれた当時、ちょうど別の仕事が決まった直後、でも世間の荒波を味わっていた私にとっては仕事は複数あったほうが良いと考えてまして、その仕事の話を「面白い!!」と二つ返事で承諾したのでした。

基本的にお店の運営責任は同僚が担当、私はあくまでもお手伝いです。
この役割分担は仕事を始めた私にとってもありがたいもので、非正規雇用とはいえそうそうに休むわけにもいきません。
お店に必要な小物類などは100円ショップで購入(費用は私持ち)、それ以外は同僚が負担、準備なども全てやってくれました。

店舗経営に慣れるまで同僚が一人で各駅にて研修。
設置する駅は基本的にJRの駅。
それを週単位で駅を巡るシステム。

私がお手伝いしたのはJR相模原駅とJR保土ヶ谷駅。
同僚のお話では集客力には難のある駅とのこと。

店開きは同僚がやってくれてるので私は途中参加で売り子を行います。
「おはようございます、いらっしゃいませー!!こんにちわぁー、どうです、おひとつパンでもいかがでしょうかぁー!!!」
夕方以降は
「おかえりなさい、お帰りにパンはいかがでしょうかぁ!!」
この繰り返し。
同僚はその間に販売戦略を練り、即興でポップを作って並べ替えたり、夕方以降は在庫を確認してタイムセールにしたりと商いの素人ながらも奮闘。

その甲斐もあってかわかりませんが、トータルの収支はトントン。
利益はありませんが損益もありませんでした。

若干残ったパンの残りを齧りながら、商売で儲けを出す難しさを味わった素人の我々。

その後、お互いに別の仕事が忙しくなってしまい、パン販売事業は休業状態になっていたのですが、それから約半年の後、同僚から連絡がありました。
「おじさんの販売会社、つぶれた・・・」

どうやら事業展開に失敗したらしく店じまいとなったそうです。
我々はのれん分けなどを受けていたわけではなく、単なる「研修」扱いだったので幸い被害もありませんでした。

結局、成功も失敗もどっちつかずで終わった駅売りパン販売事業。
今後、自分で商売を行う時のいい糧になったとそう考えています。



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思い出の小湊鉄道『上総牛久駅』

2016-11-12 20:23:16 | 鉄道
小湊鉄道 票券閉塞 上総牛久駅


今年は地元・千葉に戻ったこともありまして、色々と地元の大多喜やらいすみなどをブログで書いたりしておりますが、今回は私が高校時代に通学した市原市について書いてみようと思います。
市原市は私の地元である大多喜町のお隣の自治体。
かなり面積の大きい自治体です。

面積が大きいといえば、先日まで住んでいた相模原市も同じ。


どうも、「原」と付く自治体に縁があるようです(=_=)
通学していた高校が千葉県立市原高校
最寄り駅が小湊鉄道の上総牛久駅です。






どうです、なかなかいいレトロ感満載の駅舎でしょ。
小湊鉄道でも中心的な存在の駅のようで、この駅での折り返し運転など本数も充実しています。
駅周辺は小さいながらも商店街が広がり、国道297号線沿いにはスーパーなども点在。
高校生時代にはレンタルビデオショップや本屋などを帰りに立ち寄ったもんです。
駅近くには旨い大伴焼を販売しているお店もあり、よく買い食いなどしてました。

今から4年くらい前に実家から自宅へ戻る際に10数年ぶりにこの駅を利用しました。
駅前の雰囲気などは高校時代のままを残しておりましたが、さすがに駅前にあったゲームセンターは無くなっておりました。
当時から昔あった狭くて店内が暗い感じのお店でしたから、さすがに21世紀までは生き残れなかったのでしょう。
高校時代に学校近くにあった客車を利用したカラオケボックスも無くなっておりました。

市原市でもこの上総牛久は私にとっては高校生時代の3年間、通った街。
なかなか思い出深い街です。
昔はガストが学校近くにできただけでビッグニュースでしたねぇ。

さて、高校生時代にはなかなか行けない場所でしたが、大人になったら行けるお店(風俗店ではありませんよ)を見つけました。
それは「ホルモン焼き 玉屋」。
ここで出されるお肉、そして日本酒はかなりの美味らしいんです。
体調が良くなったら一度足を運んでおきたいお店です。

今回はお隣の市原市、小湊鉄道のお話でした。

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ストーブのある駅~いすみ鉄道『国吉駅』~

2016-11-08 10:52:26 | 鉄道
が11月に入ってまだそれほど日が経っていない割にはずいぶんと冷え込みが厳しくなる今年。
こんな時に重宝するのが暖房器具です。

転居する前に住んでいた相模原では、利用している小田急線のホームには空調付待合室がありました(全駅ではありません)。
(参考画像)


夏は涼しく冬は暖かい場所を提供してくれます。
利用していた相模大野駅のホームは地上駅なので、冬などは丹沢からの吹き下ろしでかなり寒いのです。
夜などはよく利用させていただきましたm(__)m

さて、現在は千葉のローカル鉄道「いすみ鉄道」「小湊鉄道」沿線に居住している私。
自分の車もありませんしペーパードライバーでもありますので、遠出の際は基本的に鉄道を利用いたします。
夏などは山からの風が心地よく吹いたりしてくれるので、待っていてもさほど苦痛はありませんが、冬の寒さはいかんともしがたい。
子供の頃、よく冬場などは寒さしのぎに待っている連中などでおしくらまんじゅうなどをやって体を暖めてやり過ごしたりしたもんです。
あとは、お金があれば自動販売機でホットコーヒーなどを買って、すぐには飲まずにホッカイロ代わりに手などを暖めておりました。

このマックスコーヒー、どうやら千葉県がメインの販売地域らしく、他県に行った際に無くてカルチャーショックを受けたものです。
まさに千葉県のソウルフードならぬソウルドリンクです。
ちなみにマックスコーヒーは冷えているものよりもホットの方がより甘く感じられます。
糖度はコーラと同じレベルだそうです(Wikipediaより)。
糖尿病を患っている私には危険な飲み物ですが(笑)

さて、現在ではいすみ鉄道の国吉駅にストーブが設置されてました。


ストーブのある駅は東北地方などでも見受けられますが、房総では珍しい。
撮影したのは9月ですので、そろそろストーブの利用開始されているかもしれませんね。
こういうちょっとした設備があるだけで列車を待っているのにも楽しみができるってものです。

ちなみにお隣の小湊鉄道では養老渓谷駅にて足湯があるそうです。
まだ行ったことはないのですが、行った際は是非利用したいものです。
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いすみ鉄道の小さな旅~上総中野⇄大原~新型車両編

2016-10-31 15:26:09 | 鉄道
ここのところ定期的にハローワークに行くことがあります。
ハローワークがあるのはいすみ市の大原。
私が住んでいるのは隣町の大多喜町の上総中野。
自分用の自動車を保有していない私の移動手段は自転車か鉄道しかありません。
さすがに片道27㎞はある距離なので、運行しているいすみ鉄道さんを利用しております。
上総中野駅は小湊鉄道さんの始発駅でもあります。



さて、いすみ鉄道さんに乗ってみましょう。
いすみ鉄道さんには「いすみ300型」「いすみ350型」「キハ20型」の新型車両が在籍してます。
トイレとセミクロスシートは「いすみ300型」「キハ20型」、トイレなし、ロングシートは「いすみ350型」。
ちなみに車両のいわゆる¨顔¨が国鉄型なのは「いすみ350型」「キハ20型」です。

いすみ350型


キハ20型


さっそく乗り込みます。
いすみ300型以外にはサボがあります。





デザインのモデルは沿線の大多喜高校の女子高生。
朝夕などは通勤・通学に便利なロングシートのいすみ350型が多いのですが、いすみ300型やキハ20型も運用されます。
この日は2連でした。

私はもちろんボックス席。

足も投げ出してくつろぎながら汽車旅です。

くつろぎながら車窓を眺めます。

キハ20型やいすみ350型だと窓枠もこんな感じ。

より昭和な国鉄時代を再現してくれてます。

さて、噂のトイレがこちらです。

まだ利用はしてませんが、なかなか快適そうです。
なにしろ糖尿病を患ってからトイレが近い、近い(;^ω^)
トイレが車両にあるってだけで心強いものです。

せっかくの2連編成なので、じっくりと車内を見学。





いすみ300型側。


いすみ350型側。


車両にはムーミンのスタンプや地元のリーフレットなども設置されており、中づり広告では地元自治体の観光広告や飲食店などの広告もありました。
国鉄時代の木原線ではほぼ広告が無かったですからね。
時代も変わりました。

最新型なので空調も運転士さんが調整してくれます。
サービス精神旺盛な運転士さん(基本的にいすみ鉄道の運転士さんは各駅ごとに降りるお客さんに挨拶してくれます)だと、とくに観光でもないのに各駅の案内やら観光名所、車内温度のことなどを聴いてくれます。
個人タクシーの運転手さんみたいなフレンドリーさです。

やはりタイプの異なる車両が2連で走ってくれると、不思議とワクワクするもの。
これは子供も大人も同じようで、同乗した保育園児の集団や観光で来た集団客もあちこち見てたりしてました。

あとうれしいのが、窓が開閉できること。
やっぱり走行している列車で新鮮な風を浴びることができるってのもいい思い出になります。
保育園児もやってました。
私の子供時代では当たり前のことでしたが、今では開閉しない車両が増えてますので、なかなか味わうことができません。
安全対策なんでしょうけどね、やっぱりローカル線なら走る列車から窓を開けて風を思いっきり浴びたいじゃないですか。

いすみ鉄道さんでは、上総東駅と西大原駅の途中の沼にムーミンの仕掛けを置いてます。
これは地元有志の方が設置しているいわば遊び心ですね。
設置してくれてるのは私もfacebook友達の方です。
もちろん、運転士さんは通過する際に徐行したりアナウンスしたりしてくれるサービスもしてくれます。

こうして、約50分の小さな旅は終点の大原駅に到着して終了です。



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昭和キハの思い出~つり革事件~

2016-10-17 14:19:37 | 鉄道
以前からブログでも書いてますが、私の出身地『千葉県』にはいくつかのローカル鉄道線が走っております。
その中で私の地元では「いすみ鉄道」「小湊鉄道」の2路線が走っております。
そのうち、いすみ鉄道さんはかつての国鉄木原線が第三セクター鉄道に転換した鉄道会社。
最近では、国鉄型気動車の観光列車導入で何かと話題になっている鉄道です。



さて、今回のお話は国鉄時代のキハ列車で起きたとある事件のエピソードを書こうと思います。

あれは昭和の末期、私は小学生でした。
何年生だったかは忘れてしまいましたが、当時利用していた国鉄木原線でその事件は起こりました。
木原線で使用されていた車両はキハ35形。
こんな感じの車両です。(国吉駅にて静態保存中のキハ30-62)



車両の色は朱色(朱色5号)一色で、「首都圏色」と言われるカラーリング。
別名「タラコ色」。
いつも大体2両編成で運行されてました。
私が小学生時代には廃止路線の指定があり、車両もガムテープなどで補修がされていたりとなかなかの老朽化が進んでいる車両が走っていたりで、ちょっと寂しい感じでした。
そんな路線なので、当時の子供たちによるイタズラによるトラブルもありました。

ある日の学校の全校朝礼。
校長先生からのお話で、こんな話が出ました。
「先日、木原線の車両窓ガラスを割った児童がおります。皆さんはそのようなことは絶対にしないように気を付けて登下校してください」
どうやらふざけていて、勢いあまってガラスにぶつかって割ってしまったらしい・・・。
後で噂だったのですが、どうも私の通っていた小学校の何年か上の児童が犯人だったらしく、車掌や運転士、学校関係者からこってりと絞られたらしい・・・と噂が流れました。
田舎ですからね、そういうトラブルってのは珍しく、野次馬たちの格好の餌食なのです。

そんな噂でひとしきり盛り上がった後、またまた全校朝礼にて校長先生よりお話がありました。
「えー、わが校の児童が木原線のつり革を壊すということがありました。皆さんは悪ふざけでもけしてこのようなことはしないでください」
つり革って・・・。



そう、これですよね。
どうやって壊すんだろう?
しかも今度は確実に自分達の学校の人間が犯人です。
教室に戻った児童たち。
犯人捜しと壊したやり方を推理することで盛り上がります。
「誰なんだろうな、そんなことするワルは(すでにワル限定にされてます)」
「どうやったらつり革なんて壊せるんだ?いくらボロい木原線の車両でも難しいだろ」
「また先輩なんじゃないか?」
盛り上がる教室内。
そこへホームルームを行いに担任教師が入室しました。
「では、本日の朝礼で話がありました木原線のつり革事件ですが、〇〇くんは前に出なさい」
みんなは「・・・」
先生「〇〇くんが木原線のつり革を壊しました。〇〇くんは先生たちからも注意をされて反省していますので、もうしないと思いますが、みなさんも絶対に木原線を壊すようなことはしないでくださいね」
えっ、犯人ってうちのクラスの奴なの(´゚д゚`)?
っていうか国鉄(日本国有鉄道)なので国の資産を壊すってどんだけすごい小学生だよ・・・。
先生も普通に「木原線を壊すようなことはしないでくださいね」って、花壇とかじゃないんだから(´;ω;`)

さて、犯人がわかりましたが、その犯行(?)の手口はなんでしょう。
訊いてみると、「つり革を使って懸垂したら、つり革が切れた」というしょうもないものでした。
いくら当時は体育の盛んな小学校だとはいえ、車内で懸垂なんかしてはいけません。
当然、先生や国鉄職員からも「つり革で懸垂はしてはいけません」というごく至極当然なお叱りを受けたそうです。
弁償などの話は当時出てきませんでしたが、もしかしたら親がいくらか出したのかもしれませんね。
まさか廃止検討路線だからと壊していいってもんでもないでしょうし。

ちなみに犯人の友人はとくにワルでもなく、ただ活発なちょっとお調子者タイプの小学生でした。

今でも電車のつり革や窓ガラスなどを観ると、当時のエピソードを思い出します。




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