今やすっかりスマートフォンが席巻している日本の携帯電話業界。
もちろん、みんながみんなスマフォを利用してるわけではありません、しっかりと『ガラケー』を利用しているユーザー(利用者)も存在します。
私もその一人なんですけどね(笑)
今回は私事ながら、使用してきたケータイの歴史とCMなどを書きたいと思います。
私は使ったことがないのですが、ポケベル。
このポケベルのCMで大人気になったのが広末涼子です。
広末涼子/Ryoko Hirosue NTTドコモ ポケベル 1
いやぁ、可愛いっすねぇ。しかも鈴木京香のお母さんっぷりがまたいい。
このポケベル、90年代半ばまで大人気でした。
何しろ歌があったくらいですから。
「ポケベルが鳴らなくて」国武万里
今だと「LINEが返ってこない」って感じでしょうか。
ほんの25年ほど前はこんな感じだったんですね、どこかゆとりがあるというか情緒すら感じます。
その後に携帯電話が普及していきます。
懐かしい会社名とロゴ。
じつは社名が変わらずに現在も残ってるのはドコモだけなんですね(私の記憶では)。
ツーカーはわかりませんが、ドコモ以外だと現在がこうなります。
から
から
ちなみにドコモもロゴが変更しました。
から
個人的には以前のロゴのほうが好きでしたねぇ(*´▽`*)
昔は携帯電話の料金が高かったんですよ、メールやインターネットなどできない通話機能だけ。
なので私は携帯電話よりも料金の低いPHSを利用してました。
当時あったアステル東京さん。
1995 CM ASTEL PHS 30sec. 榎本加奈子さん
携帯電話との違いは料金だけではありません。その通話範囲も異なってました。
当時、携帯電話会社によって、つながりやすい、つながりにくいということがありました。それは基地局のカバー範囲が違うからなんですが、一般的にドコモが切れない(金額も高め)、ツーカーは切れやすい(金額は低め)とあり、その中間がIDOって感じ。
それでも一月辺りの料金は1万円以上していましたので、私は1万円以下のPHSを最初に持つ携帯電話に選んだのです。
PHSは地下でもつながる(当時、携帯電話は地下はつながらなかった)のですが、電車や自動車での移動中はつながりません(当時)。
そして都市部から離れると基地局がなくなるので、まったく通話できなくなってしまいます。
当時は帰省するたびに通話もできず、公衆電話で連絡していたもんです(笑)。
やがて携帯電話も料金価格の値下げ競争時代に突入します。
それでもまだまだ金額の高さを感じていた私はドコモのシティホンを選択しました。
シティホンは大都市に限定した携帯電話サービスで、大都市圏内なら携帯電話並みの通話ができて金額は携帯電話よりも安い。
でも、地方に行くとつながらない。
なので帰省したらこれまた通話できませんでした。
ここからmovaになってfomaへと進化してきました。
この頃になると料金プランも豊富になり、さほど金額も気にならなくなってきたのです。
これが2002年頃ですかね。
CMも通話から徐々にインターネットによる通信へとシフトしていきました。
NTTドコモ 携帯電話 織田裕二 CM 1996
IDO cdmaOne CM 1999
ちなみに織田裕二さん、最初はドコモのCMでしたが、その後IDO(現:aua)へCMを乗り換えて話題となりました。
このメールですが、その昔、ドコモでメール用の端末がありました。
それがこれ。
携帯電話端末と接続してメールを送信するのですが、これは携帯端末では入力しづらい人用に開発されたようですね。
じつは私もこれが欲しいなと思ってたんですが、お店で手にしてけっこう荷物になるなと感じて断念しました。
やがて携帯電話端末からアンテナが無くなり(その昔はアンテナがありましたよね。よく切れそうになったら伸ばしたりしたもんでした)、通話よりもメールやインターネットの通信がメインとなり現在のスマートフォンへ。
この20数年でずいぶんと進化したもんです。
これからどんな進化を遂げるのでしょうね、その前にスマートフォンに乗り換えないと(笑)
もちろん、みんながみんなスマフォを利用してるわけではありません、しっかりと『ガラケー』を利用しているユーザー(利用者)も存在します。
私もその一人なんですけどね(笑)
今回は私事ながら、使用してきたケータイの歴史とCMなどを書きたいと思います。
私は使ったことがないのですが、ポケベル。
このポケベルのCMで大人気になったのが広末涼子です。
広末涼子/Ryoko Hirosue NTTドコモ ポケベル 1
いやぁ、可愛いっすねぇ。しかも鈴木京香のお母さんっぷりがまたいい。
このポケベル、90年代半ばまで大人気でした。
何しろ歌があったくらいですから。
「ポケベルが鳴らなくて」国武万里
今だと「LINEが返ってこない」って感じでしょうか。
ほんの25年ほど前はこんな感じだったんですね、どこかゆとりがあるというか情緒すら感じます。
その後に携帯電話が普及していきます。
懐かしい会社名とロゴ。
じつは社名が変わらずに現在も残ってるのはドコモだけなんですね(私の記憶では)。
ツーカーはわかりませんが、ドコモ以外だと現在がこうなります。
から
から
ちなみにドコモもロゴが変更しました。
から
個人的には以前のロゴのほうが好きでしたねぇ(*´▽`*)
昔は携帯電話の料金が高かったんですよ、メールやインターネットなどできない通話機能だけ。
なので私は携帯電話よりも料金の低いPHSを利用してました。
当時あったアステル東京さん。
1995 CM ASTEL PHS 30sec. 榎本加奈子さん
携帯電話との違いは料金だけではありません。その通話範囲も異なってました。
当時、携帯電話会社によって、つながりやすい、つながりにくいということがありました。それは基地局のカバー範囲が違うからなんですが、一般的にドコモが切れない(金額も高め)、ツーカーは切れやすい(金額は低め)とあり、その中間がIDOって感じ。
それでも一月辺りの料金は1万円以上していましたので、私は1万円以下のPHSを最初に持つ携帯電話に選んだのです。
PHSは地下でもつながる(当時、携帯電話は地下はつながらなかった)のですが、電車や自動車での移動中はつながりません(当時)。
そして都市部から離れると基地局がなくなるので、まったく通話できなくなってしまいます。
当時は帰省するたびに通話もできず、公衆電話で連絡していたもんです(笑)。
やがて携帯電話も料金価格の値下げ競争時代に突入します。
それでもまだまだ金額の高さを感じていた私はドコモのシティホンを選択しました。
シティホンは大都市に限定した携帯電話サービスで、大都市圏内なら携帯電話並みの通話ができて金額は携帯電話よりも安い。
でも、地方に行くとつながらない。
なので帰省したらこれまた通話できませんでした。
ここからmovaになってfomaへと進化してきました。
この頃になると料金プランも豊富になり、さほど金額も気にならなくなってきたのです。
これが2002年頃ですかね。
CMも通話から徐々にインターネットによる通信へとシフトしていきました。
NTTドコモ 携帯電話 織田裕二 CM 1996
IDO cdmaOne CM 1999
ちなみに織田裕二さん、最初はドコモのCMでしたが、その後IDO(現:aua)へCMを乗り換えて話題となりました。
このメールですが、その昔、ドコモでメール用の端末がありました。
それがこれ。
携帯電話端末と接続してメールを送信するのですが、これは携帯端末では入力しづらい人用に開発されたようですね。
じつは私もこれが欲しいなと思ってたんですが、お店で手にしてけっこう荷物になるなと感じて断念しました。
やがて携帯電話端末からアンテナが無くなり(その昔はアンテナがありましたよね。よく切れそうになったら伸ばしたりしたもんでした)、通話よりもメールやインターネットの通信がメインとなり現在のスマートフォンへ。
この20数年でずいぶんと進化したもんです。
これからどんな進化を遂げるのでしょうね、その前にスマートフォンに乗り換えないと(笑)
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