ちょうど今から7年前の2012年の初夏の頃。
私は親友と東京は文京区、本郷界隈を歩いておりました。
なんで本郷?と思われるかもしれませんが、べつにとくに理由はありません(笑)
せいぜい「ブラタモり」で本郷をやってたくらい(笑)
でも、これが私のまた一ついい経験になるのだから人生ってのはわからんもんです。
さて、樋口一葉
の前に中山道の歴史からです。
見返り、見送りの坂。
ここから江戸とそれ以外になるという境界線。見送りと見返りをする場所ということで命名されたんだとか。
ちょうど東京大学近くなので、お散歩がてらに歴史に触れるというのもいいと思います。
いよいよ樋口一葉さんの旧宅へ。
ポンプ式の井戸などを眺めながら旧宅へ。
今でも狭い木造アパートが並ぶ界隈ですが、当時も似たような感じだったのでしょうねぇ。
明治の頃は鉄道などができてきたとはいえ、移動手段は基本的に徒歩ですから。本郷近辺でも安いアパートくらいはあったと思います。
お次は『炭団坂』へ。
ここは炭団、現代で言えばいわゆる暖房器具として利用する炭の塊を運ぶ時に必ずいくつかは荷台から転がり落ちるくらいの急坂ということで命名された坂なんだとか。
たしかにかなりの急斜面です。
最後に文京区役所へ。
残念ながら展望階からの眺めは撮影できませんでしたが、なかなかな眺めでありました。
江戸、明治、そして平成と街の移り変わりを実感しながら歴史を学べたフィールドワークでした。
私は親友と東京は文京区、本郷界隈を歩いておりました。
なんで本郷?と思われるかもしれませんが、べつにとくに理由はありません(笑)
せいぜい「ブラタモり」で本郷をやってたくらい(笑)
でも、これが私のまた一ついい経験になるのだから人生ってのはわからんもんです。
さて、樋口一葉
の前に中山道の歴史からです。
見返り、見送りの坂。
ここから江戸とそれ以外になるという境界線。見送りと見返りをする場所ということで命名されたんだとか。
ちょうど東京大学近くなので、お散歩がてらに歴史に触れるというのもいいと思います。
いよいよ樋口一葉さんの旧宅へ。
ポンプ式の井戸などを眺めながら旧宅へ。
今でも狭い木造アパートが並ぶ界隈ですが、当時も似たような感じだったのでしょうねぇ。
明治の頃は鉄道などができてきたとはいえ、移動手段は基本的に徒歩ですから。本郷近辺でも安いアパートくらいはあったと思います。
お次は『炭団坂』へ。
ここは炭団、現代で言えばいわゆる暖房器具として利用する炭の塊を運ぶ時に必ずいくつかは荷台から転がり落ちるくらいの急坂ということで命名された坂なんだとか。
たしかにかなりの急斜面です。
最後に文京区役所へ。
残念ながら展望階からの眺めは撮影できませんでしたが、なかなかな眺めでありました。
江戸、明治、そして平成と街の移り変わりを実感しながら歴史を学べたフィールドワークでした。