エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ユングがお薦めする「教師の役割」 改訂版

2015-08-04 17:33:57 | エリクソンの発達臨床心理

 

 ユングは、心の深いレベルのことに通じています。そんなことは皆さんもご存知でしたね。しかし、これは、統合失調症と見まがうばかりの幻覚や幻聴に襲われた時期を経て、その深みを知ったといっていいと思います。ユングは、その経験を「夜の航海」と呼んでいます。

 そんなユングですが、教育について述べている文章があります。ユング著作集の第十七巻(The collected Works of C.G.Jung, Vol.17)にその文書が収められています。これを読んでますとね、エリクソンのライフサイクル理論は、ユングに影響を受けているのじゃないのかしら? と思うほどです。英語版ですとね、ユングの方が、エリクソンよりも identityという言葉を先に使っている感じですからね。あるいは、エリクソンが発達危機の中の課題や徳目としている言葉も、ずいぶんと出てきます。trust 「信頼」、fidelity 「忠誠」、his own law =autonomy 「自分自身の法則(に従うこと)」などなど…。まるでライフサイクルの話をユングから聞いてるみたい。

 その中で、ユングが教師の役割について述べたところがあり、常々私もこの文書を思い出しているんですね。

 子どもは、親との一体感が無意識にあると、ユングは言うんですね。最近は、親との一体感がない場合が少なくないんですけれども、いまから50年以上も前ですと、まだ一体感のある子どもが多かったのかもしれませんね。これをユングは、primitiive identity 「最初の一体感」と呼んだんですね。しかも、一体感があることが、必ずしも子どもの幸福に繋がらない、とユングは考えたようですね。なんせ、この一体感は、無意識裡のものであって、子どもが意識的に選択したものじゃぁないでしょ。

 教師の役割は、その選択肢を子どもにプレゼントすることなんですね。これは実に大事なことで、心理臨床家の私どもがやってることは、まさにこれなんですね。ユングは言います。

「カリキュラムをきちんと教えることは、学校の目的のせいぜい半分でしかありません。後の半分の目的は、教師が自分の人格を通して、初めて可能になる、本物の心理教育をすることです。… 決定的に大事なことは、子どもが、自分の家族に対して抱いている、無意識の一体感から、自由にして差し上げて、本当の自分を上手に意識できるようにして差し上げることなんですね」。

 

 

 

 

 これは本当のことですね。算数や英語、楽器の演奏やランニングを教えることも大事です。しかし、子どもを、一番幸せにすることに間違いないのは、ユングがお勧めするように「本当の自分を上手に意識できるようになること」です。

 

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何時でも大事なのは、≪いまここ≫

2015-08-04 08:18:12 | アイデンティティの根源

 

 ≪私≫は、ゆとり、遊びから生まれます。

 Young Man Luther 『青年ルター』p216の第2パラグラフの 下から13行目途中から。

 

 

 

 

 

良心の「ねばならない」ことは、少しくらい犠牲を払ったり、罪滅ぼしをしたりしたって、満足させることなどできません。それは、いつでも全人格的な行為のままでなくてはならないんですね。ルターはこのようにして、自分の言葉で、フロイトが心理学的に定式化したことを言っています。すなわち、衝動に駆られたり、「あるいは」、正しかったりするのは、表向きだけで、心の深いところで私どもが空しくなるのは、私どもが一番正しい時ですし、悪い良心は、いつだって、まさに働いてるのが分かるのは、私どもが一番、性欲や欲に駆られている時です。しかし、(神学的に申し上げれば)同じ内側の心の状態によって、神様は、ありえない性格であることを免れました。その神様の性格の故に、マルティンは、自分自身をずっと許せませんでした。すなわち、父なる神は、立派な瞬間にしかいないという性質でしたから。永遠に父なる神は存在すべきだとはなりませんでした。自我にとっては、永遠とはいつでも≪いまここ≫のことなんですね。

 

 

 

 

 これは、よくあるパターンなんですね。人は自分が立派な時にだけ許されると感じやすい。手柄を自分の物としたいからですね。しかし、それでは、心からの安心できません。人が自分を立派に思える瞬間は、文字通り瞬間で、瞬く間に終わりになってしまうからですね。しかし、マルティンは、いつでも神様は、すぐ近くにおられることに気付けました。それで心からの「あんし~ん」を手に入れることができた、という訳ですね。

 

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ブレずに、まとまりがあること

2015-08-04 07:06:24 | エリクソンの発達臨床心理

 

 叡智の源は、直感も含めた感覚なんですね。

  The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p64の第5パラグラフから。

 

 

 

 

 

 そこで、最後の舞台で、支配的な耳触りの良い傾向であると申し上げていることに戻りましょう。すなわち、integrity 「二律背反があっても、まとめることができる力」です。この一番単純な意味は、もちろん、coherence 「ブレないで、一貫している」感じがあり、wholeness 「まとまりがあって、文句のつけようがない」感じがあることです。こういったことは、人生千秋楽の条件を考え併せますと、とてつもないほどリスクがあることに違いありませんね。そのリスクには、まとまりを付ける3つの対処過程が繋がりを失くすことも含まれます。すなわち、一つ目は、Soma 「身体」の対処過程におけるもので、繋がりのある細胞、血液をいきわたらせる血管、筋体系が響き合うやり取りが、全般的に弱まります。2つ目は、Psyche 「心」におけるもので、経験において、過去において、現在において、記憶の筋を次第に失くしてしまいます。3つ目は、Ethos 「倫理」において、次世代を育むやり取りにおいて、責任のある働きを徐々に、しかも、ほぼすべて、失くしてしまうことです。

 

 

 

 

 

 お金が増える中で、貯金を数えることは、愉しみですね。お金が減る中で、貯金を数えるのは、憂鬱かもしれませんね。増えるのは借金ばかりなりだと、借金を数えることは、苦痛以外の何物でもない、かもしれませんよね。

 人生千秋楽は、身体、心、倫理の3つの面で、様々なものを失くしてしまいます。いわば、借金が増えるような状態と感じる人も少なくないのじゃないかしらね。その中で、筋とまとまりを付けることが大事になるのですから、それは簡単じゃないことは分かりますね。

 

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