エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

本気の時

2015-08-22 12:31:51 | アイデンティティの根源

 

 ルターの流儀は、バカ正直でしょう。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.220の第3ラグラフから。

 

 

 

 

 

 ルターの言い換えには、暗黙裡のものですが、心理学的な真実があります。「うまく自我を使っている」人々は、人様の役に立つ仕事が出来るのは、「ねばならないこと」を「本気で」(その理由や動機は問いません)やれるからですね。これは、しかし、簡単なことじゃぁないでしょ。また、口先だけで「強い自我」などと言うべきじゃないしね。多くの人は、今していることが、あまりにも気が重かったら、上手く出来るはずもないんですね。上手く出来る仕事って、効率の意味からなのかもしれませんね。ヤバい仕事も同じでしょ。大事なのは、仕事がいかに効果的にできたか、ってことであって、自分の物差しで測ってみたら、その仕事をした人の人生に役に立った、ってことじゃぁないですね。

 

 

 

 

 ここで、エリクソンが言っていることは、本当のことですが、実際問題どうなの?と問われたら、そんなに簡単じゃぁないってことも分かりますよ。とくに、加藤周一さんが言うように、日本の集団では、「個人がない」のですから、いつでも組織の論理が、その組織を超える「社会のためになること」や「世界のためになる」ということよりも、優先しがちになるからです。そして、これが曲者で、「自分のため」ということを「会社のため」という錦の御旗に隠す訳ですね。ですから、「自分のため」に、社会や世界に不利益なことも、割と平気に、むしろ、「当然のことをしているだけ」という顔をしてやれるわけですね。

 ですから、本当に、ここでエリクソンが言うように、本当に、社会や世界のために「ねばならないこと」に本気になるためには、それだけの倫理的態度、意識的な姿勢、良心的心構えが必要です。

 

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ミラノコレクションの服を着た殺人鬼

2015-08-22 09:28:09 | エリクソンの発達臨床心理

 

 rejectivity リジェクティヴィティ 「大事にする相手の仲間から、仲間はずれにしたい、底意地の悪い気持ち」と「人間を上下2つに分けるウソ」が結びつく時、悪魔の働きが始まります。その自覚もなく…。

 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p69の 下から9行目途中から。

 

 

 

 

 

コンラッド・ローレンツは、「人間を上下2つに分けるウソ」を「Quasi Artenbildung クウォージ・アルトンビルドゥング 実際に人間を上下2つに分け隔てすること」とピタッと来る訳語で翻訳しています。つまりそれは、別種の人々、別の集団の人々が、生まれながらに、あるいは、歴史的に、あるいは、神の意思によって、自分達とは違うし、人類そのものにとって、危険な存在だ、という確信(であり、その確信に支えられた衝動であり、行動)ですが、「人間を上下2つに分けるウソ」が、組織に対する忠誠と勇猛果敢、組織への協力と創意工夫の点で、一番真実で、しかも、一番良いものをもたらす一方で、別々の人間集団同士が、歴史的に、憎しみ合い、殺し合うことにもなるのが、人間の最大のジレンマです。

 

 

 

 

 

 「人間を上下2つに分けるウソ」の恐ろしさは、それが、最高の服装が出来る、ということです。ミラノコレクションの服装をした殺人鬼、それが、「人間を上下2つに分けるウソ」です。最高の顔をして、現実には最悪をもらたします。

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待つ

2015-08-22 07:04:59 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
≪私≫は、≪守り続ける約束≫で発達する
  真理は、畏敬を持って対するもの 真理は、我々を超え 我々を導くもの  p337第3パラグラフ。 ...
 

 今晩は、「待つ」を考えたいと思います。今の時代は、「待てない時代」だと言われて、久しいです。会社でも、役所でも、大学でさえ、短期的な成果が求められる時代です。大学生が就職しても、3年以内に3分の1の人が辞めてしまう状況が20年近く続いているようです(http://www.mhlw.go.jp/topics/2010/01/tp0127-2/24.html)。企業がブラック化しているからかもしれません。基督教独立学園高校の校長でした、安積力也さんが、教育テレビの番組「待てない時代にどう育てるか~人間教育を支えるもの」(日曜朝5時~6時)に出演したのが、もう5年前になるそうです。

「待てない」のは、なぜなんでしょうか?

 先日、NHKの「switch interview 達人達」で、京都大学総長の山際壽一さんが、そのことを明確に話されていて、とてもいい学びが出来ました。皆さんとシェアしたいと思いました。横道好きの私。山際壽一さんをWikipediaで調べましたら、国立第1中学校のご出身とか。私は、国立第3中学校ですが、小学校の時にリトルリーグ「サンダース」で一緒に野球をやっていて、中学になってからも、同じ学習塾「知望塾」で学んだ宇梶剛士が、国立一中でしたから、なんか親近感が湧きましたね。

 その山極さんによると、「待つことは、一番人間らしいこと」だと言うんですね。何故だと思いますか? なぜなら「人だけが待つことができるから」なんですね。山極壽一さんは、京都大学霊長類研究所などで、ゴリラを研究されてきた方ですから、そう言えるのだと思います。山際壽一さんは、待つことができないことは、「人間的な本質をどんどん失いかけているんじゃぁないか?」と、さっきの番組で嘆いていました。

 「待つ」と言うのはどういうことなんでしょうか? 山際壽一さんによれば、「時間を、現実の価値観ではない、未来の価値観に賭けて、使う」ことだと言います。そして、言葉を重ねます。「短期的視点でみれば、それはすごく無駄に見える。でもそれをやり通すことが、ブレイクスルーに繋がったり、イノベーションに繋がったりする…それを人間はずっとやってきた」と。

 非常に大事な指摘ですね。私なども、日ごろ子どもの心理臨床をしてますでしょ。「待つこと」が仕事です。子どもは時に、短期間で劇的に変わることが確かにあります。しかし、それは「奇跡」であって、そうそう「奇跡」は起きない訳ですね。子どもがゆっくり成長するのを、「待つ」ことが、ですから、私のほとんどすべての仕事になります。ただ、私の場合、ただ単に待つのではなく、あるいは、「寝て待て」でもなく、「遊びながら、待つ」パターンですけれどもね。

 私に言わせたら、「待つ」というのは、「信頼」と同義語ですね。どんなに「悪い」と言われている子どもでは、「必ず発達する」と信頼すればこそ、「待つ」ことができます。また、「信頼」の話でゴメンナサイね。でも、真実がそうなっている訳ですね。「信頼があればあるほど、待てる」。その昔、やはり、基督教独立学園で、習字を教えていた「100歳の高校教師」こと、桝本梅子先生が、医学部志望で浪人になった、今は北大法学部教授の真壁仁さんに、「3年や、4年、何ですか、本当に医者になりたかったら、何でもありません」と話していたのを思い出しますね。

 私どもも、その「信頼」を、日々培って生きたいものですね。


 

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