ルターの流儀は、バカ正直でしょう。
Young Man Luther 『青年ルター』p.220の第3ラグラフから。
ルターの言い換えには、暗黙裡のものですが、心理学的な真実があります。「うまく自我を使っている」人々は、人様の役に立つ仕事が出来るのは、「ねばならないこと」を「本気で」(その理由や動機は問いません)やれるからですね。これは、しかし、簡単なことじゃぁないでしょ。また、口先だけで「強い自我」などと言うべきじゃないしね。多くの人は、今していることが、あまりにも気が重かったら、上手く出来るはずもないんですね。上手く出来る仕事って、効率の意味からなのかもしれませんね。ヤバい仕事も同じでしょ。大事なのは、仕事がいかに効果的にできたか、ってことであって、自分の物差しで測ってみたら、その仕事をした人の人生に役に立った、ってことじゃぁないですね。
ここで、エリクソンが言っていることは、本当のことですが、実際問題どうなの?と問われたら、そんなに簡単じゃぁないってことも分かりますよ。とくに、加藤周一さんが言うように、日本の集団では、「個人がない」のですから、いつでも組織の論理が、その組織を超える「社会のためになること」や「世界のためになる」ということよりも、優先しがちになるからです。そして、これが曲者で、「自分のため」ということを「会社のため」という錦の御旗に隠す訳ですね。ですから、「自分のため」に、社会や世界に不利益なことも、割と平気に、むしろ、「当然のことをしているだけ」という顔をしてやれるわけですね。
ですから、本当に、ここでエリクソンが言うように、本当に、社会や世界のために「ねばならないこと」に本気になるためには、それだけの倫理的態度、意識的な姿勢、良心的心構えが必要です。